記事内に広告が含まれています。

池波正太郎「鬼平犯科帳第22巻 特別長編 迷路」の感想とあらすじは?

この記事は約4分で読めます。

個人的に、鬼平シリーズの中で、本書が最も長谷川平蔵宣以が格好良く書かれている作品だと思います。

特に最後の場面は、思わず”目頭が熱く”なってしまいました。

本書の途中で、平蔵は探索のために頭を剃り、坊主になりきる場面があります。

探索に執念を燃やしている様を表しているのですが、それもこれも、自分が襲われるのは何とも思わないが、身内や配下が襲われる事については我慢のならないという、身内や配下に対する平蔵の思いがそうさせるのでしょう。

全ての責任を自分一人で背負う気構えと、それを実行する平蔵は、それこそ”管理職”の鑑であるといえます。

昨今、平蔵のようにきっちりと責任をとるような管理職がいないのを嘆いている人には、本書を読めば、清々しく思えるのではないでしょうか。

平蔵に対する信頼は配下の者からの言動からも分かります。

特に佐嶋忠介。平蔵が一人で見回りに出るのをヤキモキしてみています。それもこれも、平蔵は”かけがえのないお方”と思っているからです。この様に配下・部下に慕われる管理職はいないでしょう。

この事は、佐嶋忠介だけではありません。最後の場面で、同心、密偵一同、佐嶋忠介と同じ思いであるのがひしひしと伝わるのです。

最初にも書きましたが、最後の場面には”目頭が熱く”なってしまいました。それもこれも、長谷川平蔵が格好良すぎるからです。

参考:本作も「鬼平犯科帳 劇場版」の原作の一つだと思われます。

(映画)鬼平犯科帳 劇場版(1995年)の考察と感想とあらすじは?
監督は鬼平犯科帳のテレビシリーズの監督もつとめている小野田嘉幹。松竹創業100周年記念作品。率直な感想としては、"別に映画化しなくても良かったのではないか?テレビの特番で十分"といったところ。

内容/あらすじ/ネタバレ

池尻の辰五郎を捕まえた平蔵。これで池尻の辰五郎の一件は全て終わったかのように思えたが、実はこれが全ての始まりであった。

盗っ人を捕まえるために賭場に出入りしていた細川峯太郎は博奕に魅入られてしまっていた。負けが込んでいる細川峯太郎は焦りを禁じ得なかった。その細川峯太郎がお長によく似た女を見かけ、女から金を貰ってから負けを全て取り戻した。平蔵はその細川峯太郎の行状を調べ上げていたのだ。その途中で、細川峯太郎と話し込んでいた老爺に多少の引っかかりを覚えたものの、しかし細川峯太郎の行状はさして気に留めていなかった。

その中、平蔵が曲者に襲われた。曲者を取り逃がしてしまったが、傷を受ける事はなかった。しかし、やがて息・辰蔵をはじめとした身内が狙われ、そして配下の者にも魔の手が忍び寄ってくる。かつて同じ様な手口で配下を亡くしている平蔵は歯ぎしりをして悔しがる。しかも、今度の相手はどうにも執拗である。

平蔵は、細川峯太郎に話し込んでいた老爺の事を尋ねる。そして細川峯太郎の記憶により作られた人相書は矢野口の甚七のものであった。

さて、密偵になった玉村の弥吉が久方ぶりに外出をすると偶然に出会った男がいた。法妙寺の九十郎という盗賊である。話しを聞くと法妙寺の九十郎は江戸で盗めをするので玉村の弥吉に助けて欲しいと頼む。

平蔵は、配下の者が凶刃に倒れ、役宅を厳戒態勢に敷いている中で、この法妙寺の九十郎の見張りもしなくてはならなくなってしまった。

一体、平蔵の配下をねらい続ける者は誰なのか?

本書について

池波正太郎
鬼平犯科帳22
特別長編 迷路
文春文庫 約三五〇頁
長編
江戸時代

目次

豆甚にいた女
夜鴉
逢魔が時
人相書二枚
法妙寺の九十郎
梅雨の毒
座頭・徳の市
托鉢坊主
麻布・暗闇坂
高潮
引鶴

登場人物

猫間の重兵衛…盗賊
お松…盗賊
矢野口の甚七…盗賊
安藤玄丹…盗賊
吉松…盗賊
法妙寺の九十郎…盗賊
竹尾の半平…盗賊
細川峯太郎
玉村の弥吉…密偵

池波正太郎の火付盗賊改もの

映画の原作になった小説

池波正太郎「闇の狩人」の感想とあらすじは?

仕掛人の世界と盗賊の世界。本書はある意味「鬼平犯科帳」の盗賊の世界と「仕掛人・藤枝梅安」の香具師の世界を同時に楽しめる、かなりおいしい作品である。

浅田次郎の「憑神」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
幕末も幕末。大政奉還が行われた前後を舞台にしている。主人公別所彦四郎の昔らからの知り合いとして榎本釜次郎が登場する。この榎本釜次郎とは榎本武揚のことである。
藤沢周平「たそがれ清兵衛」の感想とあらすじは?
短編八作。全てが、剣士としては一流なのだが、一癖も二癖もある人物が主人公となっている。2002年の映画「たそがれ清兵衛」(第76回アカデミー賞外国語作品賞ノミネート。)の原作のひとつ。
山本一力「あかね空」のあらすじと感想は?
第126回直木賞受賞作品です。永吉から見れば親子二代の、おふみから見ればおふみの父母をいれて親子三代の話です。本書あかね空ではおふみを中心に物語が進みますので、親子三代の物語と考えた方がよいでしょう。
藤沢周平「竹光始末」の感想とあらすじは?
短編6作。武家ものと市井ものが織混ざった作品集である。「竹光始末」「恐妻の剣」「乱心」「遠方より来る」が武家もの、「石を抱く」「冬の終りに」が市井ものとなる。また、「竹光始末」「遠方より来る」が海坂藩を舞台にしている。
酒見賢一の「墨攻」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)(面白い!)
物語の始まりは墨子と公輸盤との論戦から始まる。この論戦で語られることが、物語の最後で効いてくる重要な伏線となっている。さて、墨子は謎に包まれている思想家である。そして、その集団も謎に包まれたままである。
井上靖「おろしや国酔夢譚」の感想とあらすじは?(映画の原作です)
覚書/感想/コメント「序章」で大黒屋光太夫ら伊勢漂民以外のロシアに漂着した漂民を簡単に書いています。それらの漂民は日本に帰ることはかないませんでした。ですが、この小説の主人公大黒屋光太夫は日本に帰ることを得たのです。帰ることを得たのですが、...
藤沢周平「雪明かり」の感想とあらすじは?
直木賞受賞前後の短編集。大雑把には前半が市井もので、後半が武家ものだが、中間のものは市井もの武家もの半々である。藤沢周平としては前期の作品群になる。
池波正太郎「鬼平犯科帳 第6巻」の感想とあらすじは?

主立った登場人物が登場しつくし、登場人物が落ち着いてきている。本作で印象に残るのが、「大川の隠居」である。火付盗賊改方に盗っ人が入り込み、その盗っ人と平蔵の駆け引きがとても面白い作品である。

井上靖の「風林火山」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
物語は、山本勘助が武田家に仕え、勘助が死んだ武田信玄(武田晴信)と上杉謙信(長尾景虎)との幾度と行われた戦の中で最大の川中島の決戦までを描いている。
池波正太郎「雲霧仁左衛門」の感想とあらすじは?
池波正太郎の火付盗賊改方というと「鬼平犯科帳」があまりにも有名すぎますので、本書は霞んでしまう面がありますが、「鬼平犯科帳」とは異なり、長編の面白さを十分に堪能できる時代小説であり、短編の「鬼平犯科帳」とは違う魅力にあふれた作品です。
池波正太郎「鬼平犯科帳 第2巻」の感想とあらすじは?

本書、第二話「谷中・いろは茶屋」で同心の中でも憎めない登場人物の木村忠吾が初登場する。本書では二話で主要な役割を果たす。また、小房の粂八と相模の彦十は密偵として板に付き始めてきているようである。

海音寺潮五郎「天と地と」の感想とあらすじは?
本書は上杉謙信の側から見事に描ききった小説であると思う。本書では、上杉謙信が亡くなるまでを描いているのではない。しかし、重要な局面で印象的に小説は終了している。
山本周五郎の「赤ひげ診療譚」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
新出去定という医者は、その使命感や考え方のみならず、全体としての個性が強烈である。その新出去定がいう言葉に次のようなことがある。
司馬遼太郎の「城をとる話」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
覚書/感想/コメント昭和三十九年(1964年)に俳優・石原裕次郎氏が司馬遼太郎氏を訪ね、主演する映画の原作を頼みました。それが本作です。司馬氏は石原裕次郎氏が好きで、石原氏たっての願いを無下に断れるようではなかったようです。映画題名「城取り...
夢枕獏「陰陽師」第1巻」の感想とあらすじは?
ドロドロしたオカルトチックな印象はないが、不可思議な世界感の作品である。それに、闇が舞台になっていることが多いわりには、ホラーっぽくない。静かで優雅な感じすらする。
池波正太郎「鬼平犯科帳 第8巻」の感想とあらすじは?

今ひとつピリッとした感じがない。平蔵ら火付盗賊改方の派手な大立ち回りや、なじみの密偵達の華々しい活躍が乏しく感じられるためだろう。唯一「流星」がスケールを感じる短編である。

藤沢周平「時雨のあと」の感想とあらすじは?
「闇の顔」の犯人は一体誰なのか。最後までわからず、そして、その犯人が意外な人物であることに思わず唸ってしまう作品。「鱗雲」では、二人の女性の対照的な結末が印象的な作品である。
藤沢周平「隠し剣秋風抄」の感想とあらすじは?
隠し剣シリーズの第二弾。全九編の短編集。前回同様、今回も独創的な秘剣が炸裂する。さて、印象に残る短編は、「暗黒剣千鳥」「盲目剣谺返し」の二編。「盲目剣谺返し」は2006年公開の「武士の一分」の原作である。
佐伯泰英の「居眠り磐音江戸双紙 第1巻 陽炎ノ辻」を読んだ感想とあらすじ(映画の原作)
坂崎磐音が豊後関前藩を出て江戸で暮らさなければならなくなった事件から物語は始まる。居眠り磐音の異名は、磐音の師・中戸信継が磐音の剣を評した言葉である。