覚書/感想/コメント
剣聖・上泉伊勢守信綱の高弟の一人、丸目蔵人長恵が主人公の小説。木訥で一途な姿が描かれ、清々しい小説である。
丸目蔵人長恵の若い時に、兵法の要領は、身を打捨てて無きものとして、無我夢中に戦うところにあると悟り、自らの流派を「体捨流」とつけた。「タイ捨流」とも書く。
蔵人は武芸二十一流に達し、書もよくした。だが、相良家では必ずしも正当に遇されてはいない。大口城敗退の責任がそれだけ大きかったようだ。隠居して徹斎と号し、九十過ぎまで生きた。
蔵人は上泉伊勢守信綱の弟子であるが、柳生新左衛門宗厳が「柳生新陰流」、疋田文五郎が「疋田陰流」と”陰流”の冠をつけているにもかかわらず、蔵人は若き日に名付けた「体捨流」を捨てずにいる。
この辺りは、信綱の「新陰流」と異なる考えなどがあったためなのだろうか?興味のあるところである。それでも、体捨流の中に新陰流の要素が幾分か入っているのは間違いないようだ。
体捨流の流れとしては、薩摩の示現流がある。示現流は体捨流の影響を最も強く受けている剣法である。
丸目蔵人佐長恵が登場する小説。
師の上泉伊勢守信綱を描いた作品には下記のものがある。
内容/あらすじ/ネタバレ
おそろしい子であった。七歳の時に人を殺した。十歳の時に戦場に出て大手柄を立てた。
相良氏は戦国時代のある時期、南は薩摩の一部に食い込み、中は芦北郡を併有し、北は八代郡の全域を有していた。少年は相良氏の家臣、丸目与三左衛門尉の息子だった。
以後、戦のたびに功名をたてて、名はいよいよ高くなった。だが、相良家中第一に勇士と呼ばれ、傲慢な少年となった。十五の時に元服し、蔵人長恵と名乗った。
翌年、湯浅隼人佑という兵法者がきて、これを倒し名は全九州にひびきわたった。これを機に馬廻りになったが、それよりも三年の期限付で兵法修行に出ることになった。この修行の中で、蔵人は男色に目覚め、また、自らの流名を「体捨流」とつけた。
修行からかえって、酒の席でのこと。家中の美女の話が出た。まずは上村家のお吉だという。女色は宗旨違いだが、蔵人はお吉にあって、どうしてもお吉を嫁に貰いたくなった。だが、上手くいかない。
蔵人の考えたのは手柄を立てればお吉の気持ちを惹きつけられるのではないかということだった。
蔵人は二十九になった。島津からの侵攻に対抗するため、相良家は菱刈氏に援軍を出した。だが、この戦いで蔵人は決定的な失敗をし、相良家の没落を招くことになる。
だが、めげない蔵人は再び兵法修行に出ようと考える。家中では、何年かかってもよいから日本一の兵法者になるまで戻ってくるなと送り出す。蔵人は京へ上って官位を得ようと考える。
当時の京都は信長の勢力下にあった。そして、北面伺候になることを得た。だが、まだ日本一の兵法者になったわけではない。でなければお吉は嫁にもらえない。
蔵人が諸国をまわっている間に度々聞くのが、上泉伊勢守信綱の名である。新陰流というらしい。しかも日本一の兵法者といわれている。
蔵人は上泉伊勢守信綱と仕合をせねばならぬと思う。だが、仕合は一方的なものに終った。なすすべもなく蔵人は敗れ、その場で弟子にしてもらった。
本書について
海音寺潮五郎
「おどんな日本一」
新潮文庫 約二二〇頁
戦国時代 主人公:丸目蔵人長恵
目次
おどんな日本一
登場人物
丸目蔵人長恵(石見、徹斎)
お吉
多良木五郎兵衛
上泉伊勢守信綱
疋田文五郎
神後伊豆
柳生新左衛門宗厳
柳生但馬守宗矩
相良晴広
相良義陽
犬童治部
大滝市郎右衛門
湯浅隼人佑
赤井兵部入道源盛