覚書/感想/コメント
「後北條龍虎伝」改題。惜しい作品。
「河越夜戦」もしくは「河越城の戦い」として知られる合戦に至るまでの北條氏綱・北條氏康親子と北條綱成を描いている。
河越夜戦は厳島の戦いや桶狭間の戦いとともに日本三大奇襲に数えられている。なにせ、八万五千vs一万三千の戦いに逆転勝ちし、敵の大将を討取っているのだ。
河越城を囲んでいるのは関東管領山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏の連合軍八万五千(七万とも八万ともいう)であり、対する河越城を守っている北條綱成が三千に援軍の北條氏康が八千である。
この圧倒的不利な状況を逆転して、大勝利に導いたのが北條氏康と北條綱成なのである。
まさに乾坤一擲の合戦が「河越夜戦」であった。
『乾坤とは、天地。そして、陰と陽。乾は、高く強い天。坤は、豊かに広がる大地。(中略)
そして、乾坤一擲。それは、一撃で天地を揺るがすほどの大勝負である。』
北條氏康は北条氏康と書くことのほうが多い。氷龍と呼ばれ、左頬に走る天下御免の刀瘡がトレードマーク。戦上手であっただけでなく、民生の手腕が高く評価されている政治家でもあった。
この氏康を支えたのが北條家随一の猛将である北條綱成。妹婿であり、焔虎と呼ばれる。一般的には「地黄八幡」の通り名でよく知られる。
地黄八幡とは黄色の旗に八幡大菩薩の文字を書いたものである。綱成が虎と呼ばれるのは地黄八幡が黄斑の旗指物であるからだ。黄斑とは虎を意味する。黄色に黒の文字が、虎模様に見える。
題材としては、とても面白い。
そもそもが北條氏康を描いた作品が少なく、そして北條綱成にも力点を置いた作品がほとんどない中、二人に軸を置いたこと自体意欲的である。
さらに、北條氏康が経験した戦いの中で最も面白い「河越夜戦」をクライマックスにしているのだから、面白くないはずがない。
だが、期待以上の面白さがない。作品としてはもう一歩という惜しいところだ。
北條氏綱、北條氏康、北條綱成の描き方は(不満はあるものの)悪くないと思う。だが、決定的に余計なのが、風魔小太郎である。
風魔小太郎を登場させてはいけないというのではない。登場のさせ方とその絡ませ方が白けさせるのだ。
そもそも風魔小太郎を氏康・綱成と同世代として登場させる意味が理解できない。それこそ祖父の伊勢宗瑞(北條早雲)の代から仕えている一族の長にしておけばいいだけの話である。
そして、その風魔小太郎のキャラクター色を強く出し過ぎているのが、興を削がれる要因となっている。
前作「禁中御庭者綺譚 乱世疾走」でもそうだったが、この作者の癖なのか、無理やりキャラを立てようとする。ライトノベルならいざ知らず、無理にキャラクター勝負に打って出る必要はない。
とくに、本作品のように始まりが「河越夜戦」であり、最後も「河越夜戦」で終わるような徹頭徹尾「戦」を描いている作品では、キャラクターを重視するよりも、別の描き方があるはずであり、そのためにはキャラクターを前面に押し出したい気持ちを極力抑え込む必要がある。
極めて面白い題材を扱っているだけにとても残念でならない。
もし、「真剣 新陰流を創った男、上泉伊勢守信綱」と同じようにドライな書き方をしていたならば、もっと面白かったはずである。
内容/あらすじ/ネタバレ
天文十四年(一五四四)。小田原に本城を構える北條家の三代目惣領・氏康は一門の存亡を左右する大事な岐路に立たされていた。家臣たちが「氷龍」と畏敬する北條氏康が、駿河東部から軍を撤退して小田原に戻る途中で聞いたのは河越城が囲まれたというものだった。
氏康は突如として駿河の今川義元が北條家の城を攻めてきたので、対応に追われた。誤算だったのは、甲斐の武田晴信が出張ってきたことである。今川と武田は今川義元の代になって婚姻を通じて縁戚となっている。
その中で、関東管領山内上杉憲政が関八州の諸家を糾合して六万を超える軍勢で河越城を囲んだというのだ。河越城で籠城している自軍は三千余にすぎない。
さらなる苦境が伝えられた。それは安房の里見義堯が上総の金谷城を抜いたという。
氏康はこの争乱のすべてを仕掛けたのが宿敵の扇谷上杉朝定と確信していた。
息の根を止めるような報がもたらされた。それは妹婿の古川公方足利晴氏も二万余りの軍勢を率いて河越城攻めに加わったというのだ。
上杉朝定の狙いは明白である。北條に奪われた河越城の奪還であり、武蔵のもう一つの大根城である江戸城も標的に入っているはずである。
氏康には祖父の代からの遺言がある。三代にして関八州に覇を成す、そして、人こそ財というものがある。今回の場合、この相反する二つの教えに氏康の焦りは募っている。
そして何よりも、河越城には北條家の武者ならば誰もが「焔虎」と一目を置く北條綱成がいる。血はつながっていないが、二人は双子の兄弟のように育ってきた。
伊勢氏綱は、我が家はまもなく北條と名乗ることになると、嫡男・伊勢伊豆千代丸に語った。
伊勢家は系譜をさかのぼれば桓武平氏の一門である。その平氏の中で関東における家格の高いのが北條なのである。
氏綱の父・宗瑞逝去の報が関八州を駆け巡る中、氏綱はじっと動かずに雄飛の時期を待っていた。その間、着々と武蔵侵攻のための調略を進めていた。
関東管領として君臨してきた両上杉家に対抗するために準備したのが古河公方・足利高基の調略だった。さらに扇谷上杉朝興によって殺された太田道灌の孫たちが守る江戸城に仕掛けを打った。
こうした布石の最後を締めるのが、関東の桓武平氏の中で最も家格の高い北條家の名跡を継ぐことであった。
大永四年正月十一日。満を持した北條氏綱は多摩川を越え扇谷上杉朝興と対戦した。
四年間にわたる周到な策を練って戦いに挑んだ氏綱の圧勝だった。氏綱は江戸城を手に入れ、ここに北條家による関八州制覇の母体が出来上がった。
遠江の高天神城から大須賀太郎左衛門が弟の大須賀新六郎と供に北條家を頼ってきた。二人は幼子を抱えている。福島兵庫介正成の息子・勝千代と弁千代丸である。
氏綱と正成は親交があった。氏綱はすぐに二人の子を北條で預かるといった。勝千代は七歳。氏綱の倅・伊豆千代と同じ歳である。この日を境に、勝千代は氏綱のもとで養育されることになった。
新当流の塚原高幹が小田原にしばらく逗留することになった。家臣らは教えを請い、その中で新九郎と名を変えた伊豆千代は福島勝千代の姿を始めて見た。
兵法指南が終わり、勝千代は新九郎の御稽古衆に抜擢された。
二人は共に多くの時間を過ごすようになり、双子のように育っていった。
享禄元年(一五二八)。二人は十四歳になった。
近頃、城下で悪さを働いている輩がいるという。白面童子の外郎売が現れると盗みを働かれるというのだ。これを退治すると新九郎が言い出した。盗賊は風祭村の奥の風間谷から出てくる。頭目は小太郎というらしい。
享禄二年、元服した新九郎は氏康と名乗ることになった。勝千代も綱成となった。
その夜、風間谷の小太郎が氏康の前に現れた。そして、風間一統は氏康の味方となるという。それとともに風魔と名乗ることになった。
氏康の元服を終えて間もなく、駿府の大叔母が死んだ。今川家との関係を重視する氏綱はすぐに氏康をつれて弔問に訪れた。そして、この時に氏康の婚姻が決まった。相手は寿桂尼の娘・瑞葉である。
享禄三年(一五三〇)。氏康は初めて戦評定に参加した。評定は紛糾していた。武蔵の戦況をめぐるものである。
扇谷上杉と山内上杉が手を組んだため、北條家が劣勢に回らざるを得なくなっているのだ。そして、稲城の小沢城と瀬田原の世田谷城が攻め落とされた。
ここにきて、北條家は武蔵の侵攻を止められただけでなく、江戸城を死守するために四方に引きずり出される格好となっていた。
風魔小太郎が氏康に小沢城には五百ほどの兵士しかいないと告げた。
氏康の初陣が小沢原での一戦と決まった。十六歳の初陣である。
綱成もこの戦が初陣である。幡指物には地黄八幡を選んでいる。
初陣で氏康は左頬に傷を受け、二筋の刀瘡が走った。
戦は大勝利だった。だが、氏康は戦いの中で得た傷と、仲間の死の中によって、心に大きな傷を得ていた。
見舞いにきた綱成が氏康の姿を見て愕然となるほどであった。
氏康が瑞葉と祝言を挙げることになった。
この時初めて綱成が妹のお蝶を想っていることを知った。だが、氏康はそのことにもろ手を上げるわけにはいかなかった。妹たちは北條家のためにどこかに嫁いでいかなければならないだろう。
扇谷上杉朝興が死んだ。継ぐのは十三歳の朝定である。これを機に、氏綱は河越城を攻め、ついに河越城を手に入れた。
この後、氏綱は綱成にお蝶を娶らせることにした。そして、古河公方との縁談が進んでいることを氏康に告げる。
だが、この縁談には条件がある。それは小弓公方を討てというのだ。この戦に加わった綱成の活躍によって国府台で勝利した。そして綱成の名が関八州に鳴り響いた。
戦の後、綱成と蝶姫の縁組が発表され、さらには、綱成が北條家の養子となって北條姓を名乗ることになった。
河越城を奪取した氏綱にとって、残されたのは鶴岡八幡宮の再建だった。そして、それを見届けたのちに亡くなった。享年五十六。
氏綱死去の報が関八州を駆け巡り、扇谷上杉朝定がまず動いた。河越城奪取に動いたのだが、これはすぐに撃退した。
天文十四年(一五四五)。氏康と綱成は三十一歳となった。
八万五千の大軍に囲まれた河越城を助けに行けば、相手の思うつぼかもしれない。だが、氏康は河越行きを決定した。
本書について
海道龍一朗
北條龍虎伝
新潮文庫 約四九〇頁
目次
一 天険
二 名跡
三 虎児
四 抜擢
五 風祭
六 巻狩
七 元服
八 駿府
九 評定
十 初陣
十一 鳳雛
十二 刀瘡
十三 勧進
十四 公方
十五 祝言
十六 川越
十七 奮迅
十八 相続
十九 悪意
二十 乾坤
登場人物
北條氏康
瑞葉
北條綱成(福島勝千代)
蝶姫
風魔小太郎
松田憲秀
清水綱吉
重蔵
二曲輪猪助
北條氏綱…氏康の父
清水定吉…氏康の乳母夫役
大道寺盛昌
笠原信為
松田盛秀
大須賀太郎左衛門
大須賀新六郎
(福島兵庫介正成)
扇谷上杉朝定
扇谷上杉朝興…朝定の父
難波田弾正
足利晴氏…古川公方
今川義元
寿桂尼
塚原高幹