香取神宮は千葉県の東部、利根川に近いところに鎮座しています。
電車ですと最寄りの駅は香取駅になりますが、徒歩で30分くらいかかります。
タクシーはつかまえるのが大変だと思います。
そのため、佐原駅からタクシーで行くのがオススメです。
車ですと都内から1時間半くらいでしょうか。
インターを降りてからも近いです。
車でしたら、半日で香取神宮と鹿島神宮、息栖神社の三社を巡る「東国三社巡り」ができます。
「東国三社巡り」は伊勢神宮をお参りしたのと同じご利益があるとされます。
車でしたら、「東国三社巡り」を終えたあとに水郷の町・佐原に向かって、小江戸の街並みの散策も良いです。
佐原の江戸時代から続く創業およそ300年のうなぎ割烹山田のウナギは美味しいです。
泊まりで行かれるのでしたら、佐原駅周辺がオススメです。
香取神宮の由緒・歴史
香取神宮は、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、茨城県神栖市の息栖神社とともに「東国三社」の一社です。
宮中の四方拝で遥拝される一社で、下総国一之宮です。
古来、神宮と言えば、伊勢神宮と鹿島神宮、香取神宮の3社を指していました。
残るは伊勢神宮。いつかは行ってみたいです。
由緒
香取神宮は、初代神武天皇の御代に創建されたと云われています。経津主大神は、はるか昔 天照大神の命により、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)鹿島神宮の神と共に出雲へ派遣され見事交渉を成功させることができました。二神は、大国主神から自らが最も大切としていた広鉾を授かり、日本の国を平定して天照大神の元へ復命されたのです。御神徳
この由緒からも、国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く。特に「神宮」の御称号(明治以前は、伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されています。奈良の春日大社、宮城の鹽竈神社を始めとして香取大神を御祭神とする神社は多く、関東を中心に約400社ある香取神社も経津主大神を御祭神としています。引用元:香取神宮境内案内図
香取神宮境内案内図
香取海と古社
不思議なのが、香取神宮が、全国有数の古社ということです。
鹿島神宮の時も思ったことです。古代において、関東は辺境の地だったのでは…。
実際は、古代において関東はそれなりの人口がいたと考えられていますので、今後の研究によっては新たな発見があるかも知れません。
しかも、関東の中でもさらに東の太平洋に近いところに2社もあるというのは、なぜなのだろうと思っていました。
いずれの神宮も国譲りに関わる祭神を祀っています。
こうした古社が近いところに揃っているのも、さらに不可思議です。
息栖神社を含めて3社も古社が固まっているのは、この地が重要な拠点であったからです。
古来、この辺りは香取海(かとりのうみ)と呼ばれる内海と、海との合流点でした。海運、水運の重要な拠点であったのです。
息栖神社には案内板が数多く設置され、大変参考になることが多いですが、その看板の一つに「息栖の津」についての説明があります。
時代は下りますが、南北朝期の応安7年(1374)のころには、利根川の支配権は香取神宮にありました。
香取神宮は利根川流域の下総側24、常陸側50の津を支配していました。
つまり今の千葉県側で24か所、茨城県側で50か所の小さな船場の権益を握っていたのです。
物部氏との関係
また、同時に北への前線基地としての機能も求められたのでしょう。
香取神宮を中心に香取海を支配していたのが、物部氏でした。有力な軍事氏族です。
鹿島神宮は祭祀をつかさどる中臣氏が支配していました。
当初、両者の力関係は物部氏の方が上であったため、物部氏がこの一帯を支配していました。
ですが、中央で中臣氏の勢力が増すにつれ、この周辺での力関係も逆転していくことになります。
武道の神様を祀る
軍事氏族の物部氏の最前線だったこともあるのでしょう。
香取神宮も鹿島神宮も、いずれの神宮も剣道や弓道などの武道にとても縁があります。
剣術の流派の源流をたどれば、鹿島神宮か香取神宮にたどり着きます。
不思議な話です。
剣術の流派は古墳時代前期に最古の剣術が生まれたようです。
最初の流派が、常陸国鹿島神宮の祝部(=つまり神官)の国摩真人が編み出した「鹿島の太刀」を基とする「関東七流」です。
牧秀彦「剣豪 その流派と名刀」に詳しいです。
時代小説を読むと様々な剣術の流派や刀が登場する。一流派・一名工毎に、見開きで完結する内容となっているので、事典代わりに読まれると良いと思う。
「関東七流」の詳細は分からないようです。
鹿島神流や香取神道流の祖と言われます。
香取神道流の流れの中に剣豪・飯篠長威斎がいます。
日本神話で大国主の国譲りの際に活躍する経津主神(フツヌシ)を祭神とすることで知られる、全国でも有数の古社である。
古くは朝廷から蝦夷に対する平定神として、また藤原氏から氏神の一社として崇敬された。その神威は中世から武家の世となって以後も続き、歴代の武家政権からは武神として崇敬された。現在も武道分野からの信仰が篤い神社である。
文化財としては、中国唐代の海獣葡萄鏡(かいじゅうぶどうきょう)が国宝に指定されている。建造物では江戸時代の本殿・楼門、美術工芸品では平安時代の鏡、中世の古瀬戸狛犬が国の重要文化財に指定されており、その他にも多くの文化財を現代に伝えている。
wikipedia
千葉県には3つの一之宮
さて、千葉県には3つの一之宮があります。
これは千葉県に3つの国、下総国、上総国、安房国があったためです。
香取神宮の見どころ
津宮鳥居河岸(香取神宮の一の鳥居)
かつての一の鳥居です。
鹿島神宮や息栖神社同様に川辺に建っています。
一の鳥居ということは、ここがかつての香取神宮への表参道口になる。鳥居を背にすると、正面方向には香取神宮の奥宮がくる。
社号標と朱塗の大鳥居
ここが香取神宮の入り口です。
そして立派な朱塗の大鳥居。
参道正面にある二の鳥居になります。
大鳥居の左に看板があります。
灯篭が並ぶ参道と神池
参道には灯篭が並び、緩やかな上り坂。
玉砂利の参道の両側には、桜や楓が植えられています。
春は桜を楽しみ、秋には紅葉が楽しめます。
登り切って、総門が見える手前左にあるのが神池です。
総門
鳥居があって、階段上に総門があります。
総門をくぐると、正面に手水舎があります。
そして、右を見ると楼門が見えます。
楼門
立派な楼門です。
扁額は鹿島神宮同様に東郷平八郎元帥の筆によるものです。
本殿同様元禄13年に造営され、昭和58年に重要文化財指定されました。南側、楼上の額は「東郷平八郎」の筆によるものです。
香取神宮境内案内図
側に由来が書かれた看板。
香取神宮の御由緒
御祭神 経津主大神(フツヌシノオオカミ)
大神は天照大神の御神勅を奉じて国家建設の基を開かれ国土開拓の大業を果たされた建国の大功神であります。故に昔から国民の崇敬非常に篤く、国家鎮護、国運開発の神、民業指導の神、武徳の祖神として廣く仰がれて居ります。御創祀は神武天皇十八年と傳へられ現在の御社殿は元禄十三年の御造営にもとづくものです。明治以降は官幣大社に列せられ毎年四月十四日の例大祭には宮中より御使が参向される勅祭の神社であります。
境内案内板
菊祭り2017
菊祭りが開催されており、楼門周辺に綺麗に飾り付けられていました。
軽く紅葉もしており、きれいでした。
黄門桜
徳川光圀、ようするに水戸黄門が植えたとされる桜です。
楼門の右手前にあります。小ぶりな桜。
拝殿・本殿
拝殿の正面。昭和15年国費で造営されました。
黒の漆塗りを基調としています。
拝殿・本殿はとてもきれいです。
気品の漂うつくりで、とても手入れが行き届いていて、見ていてすがすがしい建物です。
茅葺の屋根も、日の光を浴びてキラキラしていました。
元禄13年(1700年)徳川幕府の手によって造営され、昭和52年に国の重要文化財としてしていされました。屋根は、檜皮葺(ひわだぶき)、黒漆を基調とした色合いに極彩色で彩を加え、御神威の大きさを感じさせます。
香取神宮境内案内図
斜め横から
本殿の横や後ろ
奥にある神庫
御神木
大杉。樹齢1000年を超えるといわれ、目通り約8mあります。
神楽殿
旧拝殿です。現拝殿の造営時に、現在の場所に移築しました。
神饌殿と三本杉
本殿の西に位置し、源頼義の祈願により三又に分かれたといいます。
要石と奥宮への道
要石と奥宮。
大鳥居をくぐって参道を歩き始めるとすぐに案内表示があります。
護国神社の鳥居
少し歩くと階段があります。
登ると左正面に護国神社。
護国神社(末社・境外社)
参道の左手にあり、昭和二十一年九月創建されました。明治以降の国難に殉じた香取郡出身の御霊を御祭神としています。春・秋、二度の例祭が行われています。
https://katori-jingu.or.jp/guide/
護国神社の左側奥に進むと要石案内標識があります。
押手神社(末社・境外社)と要石
末社の押手神社があり、
対面に要石があります。
要石は鹿島神宮のものよりも大きいです。ただし、狭い場所にあります。
地震を起こす大鯰を抑えるため地中深くまで差し込んでいるとされる霊石。両宮にあり、わずかに露出している頭頂部は、香取では凸形石、鹿島では凹形をしています。
香取神宮境内案内図
古くより、この地方は大変地震が多く、人々はとても恐がっていました─これは、地中に大きなナマズが住み着いて荒れ騒いでいるのだと。香取・鹿島両神宮の大神様等は、地中に深く石棒を差し込み、大ナマズの頭尾を刺し通されたといいます。当神宮は凸形、鹿島は凹形で、地上に一部を現し、深さ幾十尺と伝えられています。貞享元年(一六八四)水戸光圀公が当神宮参拝の折、これを掘らせましたが根元を見ることが出来なかったといわれています。
https://katori-jingu.or.jp/guide/
さらに奥に進むと、奥宮にたどり着きます。
奥宮(摂社)
奥宮こそが、香取神宮の本当の姿だと感じました。
ここは静謐でいい場所です。
楼門より旧参道を西へ100m程に鎮座する社。経津主大神の荒魂を祀ります。現在の社殿は昭和48年伊勢神宮御遷宮の折の古材によるものです。
香取神宮境内案内図
この奥宮の鳥居が鳥居河岸(津宮浜鳥居)なのかもしれません。
位置的にそうなります。
一の鳥居ということは、ここがかつての香取神宮への表参道口になる。鳥居を背にすると、正面方向には香取神宮の奥宮がくる。
そして、この奥宮のすぐそばに剣豪・飯篠長威斎(いいざさ・ちょういさい)の墓があります。
飯篠長威斉家直(いいざさ・ちょういさい・いえなお)。名は長意(ながおき)、家直。通称は山城守、伊賀守。日本の剣術は三大流派から始まったとされる。念流、陰流、そして神道流である。その神道流の祖である。正式名は天真正伝神道流(てんしんしょうでんしんとうりゅう)という。
下総国式内社の碑
下総国式内社11社と子松神社の所在地を清宮秀堅が調査し石碑としたものです。
文久元年(1861)年に建立されました。
摂社と末社と不思議な鳥居
摂社
- 奥宮 ※再掲
- 鹿島新宮社
- 忍男神社
- 匝瑳神社
- 側高神社
- 膽男神社
- 大戸神社
- 返田神社
- 又見神社
末社
境内社
- 天降神社
- 市神社
- 馬場殿神社
- 諏訪神社
- 櫻大刀自神社
- 六所神社
- 花薗神社
境外社
- 押手神社 ※再掲
- 護国神社 ※再掲
- 姥山神社
- 佐山神社
- 狐坐山神社
- 王子神社
- 沖宮
- 龍田神社
- 璽神社
- 裂々神社
- 日神社
- 月神社
- 大山祇神社
- 三島神社
関係社
- 神崎神社 …直接の関係はないですが、昔から深いつながりのある神社です。式年造営のときは「あさめ殿」を造る常役です。
不思議な鳥居
不思議な鳥居があります。
下総国式内社の碑を正面に、左にずっと進むと、右手に鹿が飼われているのが見えます。
その先を進んでいくと、下り坂になり、道にぶつかります。
左に上れば奥宮へ行きます。
右に行くと、すぐに見つかるのがこの鳥居です。
特別のお守り「東国三社守」
鹿島神宮、香取神宮、息栖神社の総称。三社の鎮座位置は、直角二等辺三角形を描くことが知られています。
三社を巡る「東国三社巡り」を終えると、伊勢神宮をお参りしたのと同じご利益があるとされます。
回る順番ですが、鹿島神宮と息栖神社が近いので、この2社を一緒に巡り、香取神宮を別にするのがよいです。
おススメのルートは息栖神社→鹿島神宮→香取神宮。
三社を巡った証としてのお守り「東国三社守」があります。写真は香取神宮の面。香取神宮の神紋は五七の桐です。
他のお守り
香取神宮の概要
案内図
社格等
項目 | 内容 |
---|---|
創建 | 初代神武天皇18年 |
主祭神 | 経津主大神 |
備考 | 本殿の様式 三間社流造 札所等 東国三社 |
神紋 | 五七の桐 |
文化財
国指定
指定 | 内容 |
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国宝 | 海獣葡萄鏡 |
重要文化財 | 本殿(附 棟札1枚、銘札1枚、海老錠3箇) 楼門 古瀬戸黄釉狛犬 双竜鏡 香取大禰宜家文書 15巻7冊(381通) |
登録有形文化財 | 香雲閣(建造物) 拝殿・幣殿・神饌所(以上1棟)(建造物) |
県指定
有形文化財 | 旧拝殿 1棟(附 棟札4枚)(建造物) 古神宝類(工芸品) |
市指定
有形文化財 | 神庫(建造物) 神徳館表門(建造物) |
天然記念物
国指定 | ― |
---|---|
県指定 | ― |
市指定 | 香取神宮の森 |
香取神宮のホームページ
住所&地図
所在地: 〒287-0017 千葉県香取市香取1697−1
電話: 0478-57-3211