覚書/感想/コメント
西郷隆盛の写真は一枚も現存していない。
この事実は多くの人に知られていると作者はあとがきに書いているが、私は多くの人は知らない方に軍配をあげる。
最もよく知られるのは、イタリア人画家のキヨソネが画いた肖像画で、写真と勘違いするほどよくできている。顔の上半分は弟の西郷従道、下半分をいとこの大山巌をモデルとしている。
この有名すぎる肖像画のおかげで、多くの人は西郷隆盛の写真は現存していると思っているはずである。
その西郷隆盛の写真が現存していない理由として、西郷隆盛が写真嫌いだったからという説が昔からある。
だが、西郷隆盛は敬愛する島津斉彬のモデルとして写真に撮られており、また、高杉晋作、坂本竜馬、伊藤俊輔、大隈八太郎などを撮った上野彦馬によっても撮られている。少なくとも二人には写真を撮られているのだ。
島津斉彬は主君ということもあり、自らの意志で撮られたというわけではないだろうが、上野彦馬には自ら撮影を依頼しているはずであり、西郷隆盛が写真嫌いだったという説が揺らいでしまう。
ちなみに、上野彦馬の写真は西郷隆盛以外は現存している。
西郷隆盛の写真は一枚も現存していない。
このことは一体何を意味しているのか?
そして、何者が何の真意があって、こうしたことをしたのか?
そこから本書の物語は始まる。まさに歴史ミステリー小説である。
作者はこれに対する答えを用意している。ここに答えを書くわけにはいかないが、ヒントを書くことにする。それはあとがきにも書かれているが、写真の力というものに関係している。もっと端的に言えば、偶像化というものに関係しているというのだ。
さて、最後に志村悠之介が東京に戻ってから意外な再会がある。そして、本書の続きとして「鹿鳴館盗撮」「ニコライ盗撮」がある。シリーズとして読まれると面白いだろう。いずれも明治を舞台にした歴史ミステリーである。
内容/あらすじ/ネタバレ
志村写真館にいきなり枢密顧問官の勝海舟が現われた。表に飾ってある桜島と一緒に写っている男の写真についてたずねたいというのだ。あのときもこんな風に突然始まったのを志村悠之介は思い出していた…。
明治九年の師走も押しつまった三十日。井上銀杖写真館に一台の馬車が止まった。降りてきた人物を見て井上銀杖は「川路閣下…」と驚きを隠せなかった。
川路と呼ばれた男は井上に鹿児島に行ってもらいたいという。西郷隆盛の写真を撮ってこいというのだ。井上は江藤新平のときと同じように指名手配写真として使うのかとたずねたが、そうではないという。
むしろ逆で、不測の事態のときに助けるために必要なのだという。今鹿児島には不穏な空気が流れている。
川路は乾板と呼ばれる最も新しい写真のタネ板を持ってきていた。
井上は自分よりも相応しい男がいると、弟子の志村悠之介を推薦した。そして、悠之介はこれを引き受けた。
引き受けたあとで心配となった悠之介は、三が日も明けた四日に、親友の一人で鹿児島出身の福崎伸吾をたずねた。朝野新聞につとめる記者の見習だ。福崎に鹿児島の状況をたずねるつもりでいた。
福崎の口から先に写真館を訪ねてきたのが、大警視の川路利良であることがわかった。警視庁の親玉だ。大物が来ていたのだ。
鹿児島には私学校と呼ばれるものが作られ、反政府感情が高まっているという。だが、決して一枚岩というわけではなく、現政府の大久保利通を支持する者もいれば、旧藩主の後見役だった島津久光を支持する者もいるという。
こうした情報を得て、志村悠之介は鹿児島へ出発した。
明治十年一月二十七日。志村悠之介は鹿児島に着き、宿を取った。亭主の話によると隣にも写真師が泊まっているという。そして次の一言が余計だったのだが、亭主は去年にも写真師がやってきて、その写真師は斬り殺されたといった。
早速西郷邸の裏山を散策してみた悠之介だったが、ここで女写真師と出会った。名を片岡小夜といった。
隣の部屋にいたのは大岩伝蔵という写真師だった。最新の写真機を持っていた。それは万延元年にフランスでデュブロニ社が開発した、最も古いタイプの現像処理機構内蔵カメラだった。原理は全く違うが、発想は現在のポラロイドに近い。
片岡小夜が悠之介をたずねてきた。二人で写真談義に花を咲かせていると、小夜は西郷隆盛の写真を撮った人物がいることを明かした。必ずしも西郷は写真嫌いというわけではなさそうだ。むしろ取り巻きの連中が西郷が写真に撮られることを毛嫌いしているらしい。
こうした中、悠之介は何者かに襲われた。その剣筋から示現流ではなく、悠之介も学んでいた北辰一刀流の使い手であることが分かった。
小夜が西郷を見つけたという。小夜のいうとおりに付いていくと、果たして桐野利秋が現われ、西郷隆盛が現われた。
悠之介は意気揚々とした気分で戻り、現像した。そして、江戸へ帰ることにしたが、写真に不自然な点を見つけた。やられた。小夜に騙された。
悠之介は鹿児島にとどまることにした。
福崎伸吾が東京から戻っていた。悠之介を心配して追いかけてきたらしい。心配の元は、悠之介の写真の師匠である井上銀杖が殺されたことにある。
しかも殺した現場には川路大警視がいたというのだ。仕事を依頼してきたのが、そもそも川路大警視だった。悠之介は頭がこんがらがった。
片岡小夜が襲われる現場に悠之介が出くわした。どうやら西郷の取り巻きでもなく、政府の手先でもない、第三の一味がいるようである。
悠之介には多くの疑問があった。一体なぜ西郷隆盛の写真を欲しがる人間がいる一方で、それを強く阻止する者がいるのか。
そして、強く阻止する者の中には西郷の取り巻きだけではなく、別の連中の陰がちらつく。その別の連中の真意とは一体何なのか。そこに、今回の真相がきっとある…。
本書について
目次
序
第一章 密命
第二章 潜入
第三章 つむじ風
第四章 不穏な空気
第五章 裸像
第六章 謎の襲撃者
第七章 西郷暗殺計画
第八章 陰の力
第九章 撮影成功
第十章 決闘
第十一章 再会
結
登場人物
志村悠之介
福崎伸吾…親友
片岡小夜
大岩伝蔵
留助
西郷隆盛
桐野利秋
井上銀杖
平川弥八郎
小島金之助
川路利良
大久保利通
勝海舟