五人のお化けと、一人の女の子をめぐるファンタジー・ホラー小説です。
前半はともかくとして、最後の四分の一はさすがに宮部みゆき氏です。
物語が終わるのかと思いきや、もう一発のおまけを用意しているのは心憎い演出でした。
主人公の女の子は十二才のおりん。高熱で死の淵を彷徨って生き返ったら、お化けが見えるようになっていました。
お化けは五人おり、新しく始めた「ふね屋」に昔からいるのだといいます。正確には、ふね屋のある場所にずっといるのだといいます。
五人は、なぜそこにいるのかは分かりません。なにか大事なものをわすれてしまっており成仏できないのでしょうか?
五人のお化けを全員見ることができる者はいなかったといいます。誰かには見え、誰かには見えないというのが今までだったのです。
ですが、おりんには全員が見えます。一体なぜ?
五人のお化けが、なぜ成仏できずにいるのか?なぜおりんだけには五人全員が見えるのか?
鍵となるのはふたつ。
一つは「ふね屋」の向かいにあったという興願寺で三十年前に起きた事件。
もう一つはお化けが見える人は、お化けと同じ心のしこりを持っているらしいということです。
ファンタジーというのは意外な気もするかも知れないが、時代小説にとてもマッチングするように思います。
ファンタジーが幻想や「空想の世界を舞台」にしており、その舞台というのはどこかしら「昔」を想定している部分があります。
面白いことに、ファンタジーでは、架空の国を舞台にして、その国の盛衰記や興亡記を描くことが多いです。
SFというのが同じく空想の世界を想定していても、未来や近未来を想定しているのと比較してみると分かりやすいかもしれません。
そして、時代小説というのも、実のところ「空想の世界を舞台」にしています。
もちろん、江戸時代などの時代設定を行い、その時代を生きた人物達を登場させたりはしていますが、主人公達は実在していない空想の人物であることが多く、実際にはなかった事件や出来事が次から次へと起ります。
ファンタジーと時代小説の近似性は他にもあります。
不可思議な出来事や、不思議な生きものなどが登場しても不自然さを感じないという点などです。最初から異質なものの発生や出現というのを許容している部分があるのです。
そして、この異質性を恐怖の方向に持っていったものがホラーともいえます。
時代小説とファンタジー、ホラーというのは、互いに共通する部分を見いだすことができるものだと思います。
伝統的にこうした性質を全部有する小説は伝奇小説と呼ばれてきましたが、本書のような系統もこうした部類に新たに加わるものになるでしょう。
それは従来の伝奇小説とは異質のものであり、そのうちに別の呼び方がされるようになるかもしれません。
そうそう、SFを引合いに出した箇所で書き忘れましたが、SFでも未来や近未来の国を舞台にして、その国の盛衰記や興亡記を描くことが多いです。面白い共通点があるものです…。
内容/あらすじ/ネタバレ
高田屋は七兵衛が大きくしてきた賄い屋である。七兵衛の道が変わったのは十三の時だった。四十の半ばを超えた時におさきと一緒になった。
七兵衛は身寄りのない子供や、ぐれた子供を好んで引き取っては高田屋で育てた。
そうした一人に太一郎がいた。太一郎は二十三の時にふたつ下の多恵と所帯を持った。太一郎と多恵の間に生まれた女の子がおりんだった。
十二の年の春。おりんが高熱で倒れた。命の危険のあるほどの病だった。
高田屋七兵衛には夢があった。料理屋を持つことである。その料理屋を太一郎にまかせたのだ。だが肝心の店を出すのにいい場所がなかった。
一年半がたち、ようやく海辺大工町にいい貸家が見つかった。隣は武家屋敷で小普請組の長坂主水助という旗本があるじだ。店の名は「ふね屋」に決まった。
誰かがおりんのおでこを撫でている。小さい女の子だった。おりんより小さい。その子は、あかんべえをしていた。
おつたが座敷に入ってきたのでおりんは驚いた。おりんの母・多恵は高田屋にいる時からおつたに面倒を見てもらっていた。
おりんはぎくりとした。ここは三途の河原なのだろうか。河原にはおじいさんがいた。おじいさんがいうには、おりんはまだ死なないという。
おりんはおじいさんが覗き込んでいた水溜まりに指をつけ、それを舐めた。おじいさんが慌てた。
目が覚めると、おりんは枕元に人がいるのを感じた。按摩さんが座っている。
おりんが元気になり、ふね屋の旗揚げの日が訪れた。最初の客は雑穀問屋の筒屋の一家である。隠居の先代主人の古稀を祝うための宴会を開くのだ。今の主・角助と太一郎は古い付き合いがある。
その日、おりんは客ではない若い侍をみた。おりんは息が苦しくなってきた。その人の姿が半分透けていたからだ。お化けだという。
お化けは、なぜおりんの一家がここに来るようになったのかを教えて欲しいという。皆も知りたがっているからという。
皆とは、お梅やおみつ、笑い坊のじいさんだという。お梅は女の子、笑い坊は按摩さんだ。全員で五人いるという。
皆成仏していないのは確かだが、迷っているわけではないという。それにここは昔、墓場だったという。通りを隔てた反対側に寺があった。
若い侍、いや、お化けは玄之介と名乗った。
向かいにあった寺の坊主というのは多くの人間を殺したのだという。そして火をつけられて寺は焼けた。そのまま寺は再建されることがなく、今に至るのだそうだ。人殺しの坊主は捕まらなかったという。だが、これも三十年も前の話だ。
座敷から悲鳴が聞こえてきた。筒屋一家と招待客は腰を抜かしている。玄之介がいい加減にしろという。暴れているのはおどろ髪というらしい。
ふね屋は一夜にして曰く付きのお化け屋敷へと転落してしまった。三日が過ぎ、噂には尾ひれがついた。
長年の夢が打ち砕かれたはずの七兵衛がなかなか動こうとしなかった。その七兵衛がやってきて、お化けを売りにしろという。人の噂も七十五日。その間、がめつくなれというのだ。だが、やはり七兵衛は気落ちしていた。
玄之介は今までに五人全員を見ることができた者はいなかったという。それがおりんが変わっている所だという。
客がついた。二組もだ。だが、その二組はお化けくらべをしたいのだという。二組は浅田屋と白子屋だ。それぞれの家のおりくとお静がひんぱんにお化けを見るというのだ。これが評判になる内に、相手に対しての競争心に火がついて、やがては衆目の面前で勝負してはどうかということになってしまった。
その場所に選ばれたのがふね屋だった。
太一郎はお化けくらべに出す料理の献立に苦心していた。それを島次に相談してみることにした。島次は七兵衛からの紹介だ。島次は太一郎にとって頼もしい相談相手だった。
その頃、おりんは玄之介とおどろ髪の対策を相談していた。おどろ髪は上手く口が利けない。玄之介はおどろ髪が向こう側にあった寺の坊主の人殺しに使われていたのではないかと思っているようだった。
そもそも向こう側にあった興願寺に何があったのかをおりんは知ろうと考えた。そのために差配人の孫兵衛に当ってみようと思った。
孫兵衛はいなかった。代わりにいたのはヒネ勝と呼ばれている勝治郎だった。
お静と名乗る女が下見にやってきた…。
浅田屋と白子屋のお化け比べの当日がやってきた。
島次も手伝いに来ていた。その島次にはお化けがついていた。そのお化けの目つきが鋭くなった。おどろ髪も現われていた。
島次についていたお化けは島次にかぶさった。すると島次が突然暴れ出した。
島次に取り憑いていたお化けは銀次と名乗った。島次の兄で、十年ほど前に島次に殺されたといっている。銀次は島次の体を乗っ取って、女房子供のそばに戻りたいのだという。
この騒ぎの間中、おどろ髪は、ただただおいおいと泣いていた…。
一夜明けて、ふね屋は通夜みたいになっていた。
銀次がなくなった時のことを知りたいと思ったおりんは高田屋をたずねた。するとおさきも島次の横にいた銀次を見ていたという。そういえば、ヒネ勝にはお梅が見える。
閃いたものがある。もしかしたら、誰に見えて誰に見えないという所にお化けの鍵があるのではないだろうか。
白子屋のお静の偽者はおゆうといった。白子屋が外に産ませた子だという。七兵衛はこのおゆうと島次が結託して今回の騒ぎを起こしたと思っている。だから、二人を引き合わせて白状させるのだという。
おりんは隣の長坂主水助と妻のみさえと知り合うことができた。
長坂はふね屋で一体何が起きているのかを詳しい話を一度聞いてみたかったという。興願寺で起きた事件には主水助の叔父が絡んでいたのだという。叔父の名は玄之介といった。
戻っておりんは玄之介と話した。玄之介は事件の当日にあったことが思い出せないのだという。
おゆうと島次を呼んで、洗いざらい白状させることになった。
玄之介はいっていた。お化けが見える人は、お化けと同じ心のしこりを持っている。
この席に同席していた人間の、心のしこりが、さまざまな形で現われてきた。そして、興願寺で起きた事件の真相というのも…。
本書について
宮部みゆき
あかんべえ
新潮文庫 計約六九〇頁
目次
あかんべえ
登場人物
おりん
玄之介
笑い坊
おりん
お梅
おどろ髪
太一郎…おりんの父親
多恵…おりんの母親、太一郎の女房
おつた
七兵衛…賄い屋高田屋の主
おさき…七兵衛の女房
お律
修太
孫兵衛…差配人
勝治郎(ヒネ勝)
お松
長坂主水助…旗本
みさえ
シロ…犬
角助…雑穀問屋筒屋の主
おえん
丸ぼう
浅田屋為治郎
おりく…倅の嫁
白子屋長兵衛
お静…娘
おゆう
島次
おたか
銀次…島次の兄
辰太郎…親分
徳