略歴
飯篠長威斉家直(いいざさ・ちょういさい・いえなお)。名は長意(ながおき)、家直。通称は山城守、伊賀守。
日本の剣術は三大流派から始まったとされる。念流、陰流、そして神道流である。その神道流の祖である。正式名は天真正伝神道流(てんしんしょうでんしんとうりゅう)という。
室町時代中期から後期にかけての武将、剣豪。。1387年(元中4年)-1488年(長享2年)とされる。102歳(一説には68歳)。(念流を興した念阿弥慈恩は1351年(正平6年)生まれとされ、陰流を興した愛洲移香斎久忠は1452年(享徳元年)生まれとされる。)下総国香取郡飯篠村(現千葉県香取郡多古町飯篠)の出身とされる。
幼少より刀槍の術を好み、香取や鹿島に伝えられてきた武芸を学び、卓越した技を身につけていたらしい。
天真正伝香取神道流
1455年から始まる享徳の乱の中で、千葉氏分家の馬加康胤と重臣の原胤房が挙兵して千葉氏18代当主千葉胤直と父・千葉胤直を攻め滅ぼしている。
千葉氏宗家に仕えていた家直は、主家の断絶と、一族の滅亡の憂き目にあい、香取神宮にほど近い梅木山不断所に千日参籠して、ついに剣の極意を悟り、体系化して天真正伝神道流を興した。60歳のころとされる。
天真正とは、神が化身して現れた童子だという。神から伝えられた秘法なので、神から伝えられた流派ということになる。この神とは香取神宮の経津主大神(フツヌシ)だけでなく、鹿島神宮の武甕槌大神(タケミカヅチ)の両神だったようだ。一説には、香取神宮の経津主大神から、後に天下剣客の師となるべく、秘法を授かったともされる。
流派の中では「兵法は平法」と説く。無益な立ち合いを避け、戦わずして勝つことを極意とする。
飯篠長威斉家直は、決まった「型」のなかった武芸の世界に、くさり鎌、棒術、薙刀なぎなた、槍、小太刀、二刀流など、百般にわたる「型」の原型をつくった。
この後、65歳になり、8代将軍・足利義政に仕えたというが、義政が遊び暮らして武芸を顧みないので、故郷の香取へ帰ったという。
古来より武芸で有名だった鹿島・香取の地にいたことと、ちょうど武芸の勃興期であったため、多くの武芸者が長威斎から刀槍の奥義を得ようと来たらしい。
弟子には塚原土佐守安幹(塚原卜伝の養父)、師岡一波斎(諸岡一羽)、松本備前守政信など。孫弟子の流れに塚原卜伝や上泉信綱らがいる。塚原卜伝は新当流を名乗った。