海隣寺の歴史
本尊には伝説があります。
海から金色に輝く阿弥陀如来像が引き上げられ、仏像は本尊となり「海上月越如来」と呼ばれました。
それを、亥鼻城主だった千葉勝胤が、馬加(幕張)に建立したというものです。
もともと寺は海沿いにあったのですが、千葉家の内紛に伴い、寺は馬加(幕張)から酒々井を経て、佐倉に移ったとされます。
訪れた場所
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海隣寺の見どころ
中世石塔群があります。
海隣寺は千葉一族の保護が厚かったため、境内に墓所が設けられました。
現在は隣接する佐倉市役所の一角になっています。市指定史跡です。
確認されている墓は、千葉昌胤墓、千葉利胤墓、千葉親胤墓、千葉胤富墓、千葉邦胤墓です。
また、海隣寺は当麻無量光寺の有力な末寺です。
海隣寺の住職から無量光寺の他阿上人になる例もありました。
熊野権現。一遍が信仰したため、全国の時宗寺院にあります。
海隣寺の概要
項目 | 内容 |
---|---|
山号 | 千葉山 |
院号 | 深広院 |
正式名 | 千葉山深広院海隣寺 |
開基 | 千葉勝胤 |
宗派 | 時宗当麻派 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
別称 | ― |
備考 | 佐倉七福神 |
場所など
〒285-0013 千葉県佐倉市海隣寺町