ちょっとした丘にあり、また、海からも少し遠いため、なぜこんなところに貝塚が?と思ってしまいます。
JR成田線小見川駅から千葉交通バス「茶畑」下車で徒歩約40分です。
車で小見川南小学校を目指すのが一番わかりやすいです。
史跡を示す石碑は墓地の中にあります。
貝塚があり、土器が出土したということは、この地に人類の営みがあったということです。
正直辺鄙な場所なのですが、こうした遺跡を訪れるたびに、不思議を感じざるを得ません。
ここには人が住んでおり、生活があったのが、何らかの理由により人々はこの地を去りました。
この地は人を養うという役割を終えたのですが、ここに人が住んでいたという確かな証拠が残されています。
阿玉台貝塚の歴史
縄文時代中期の貝塚です。
縄文中期の様相を知るうえで重要な貝塚といわれています。
1894年(明治27)に東京帝国大学の八木奘三郎らにより発掘されました。
利根川南岸の下総台地の阿玉台にある遺跡。
利根川下流に注ぐ黒部川支谷の沖積地の緩斜面に位置しています。
3ヶ所にわたって分布しています。
数回にわたる発掘調査が進められ、海産貝類が主体の純鹹貝塚であることが分かっています。
多くの土器、石器、貝輪などが出土しました。
この貝塚から土器が出土しており、「阿玉台式土器」と名づけられ、縄文時代中期前半の関東地方における縄文土器編年の標式遺跡となりました。
胎土に雲母末を含むため、光に照らすとキラキラ光るのが特徴です。
口縁部に独特の大きな四角形の取手をもっています。
土器は霞ヶ浦周辺に顕著な分布を示し、北は福島県に広がり、散発的には中部地方にも認められるそうです。
西関東、甲信地方の勝坂式土器 (→勝坂遺跡 ) と時期的に同じです。
1957年(昭和32)の発掘調査では、貝塚を構成する貝は、ハマグリ、シオフキ、アサリが多く、海の貝を主体とした貝塚であることがわかりました。
鹿島灘から流入してきた海水が、縄文中期にはこの辺りまで迫っていたと推定されています。
他に魚類(スズキ・クロダイ・マダイ)・鳥類(キジ・ワシ)・両生類(カエル)・ほ乳類(イノシシ・シカ・イタチ)の骨も検出されています。
学術上価値が高いことから、1968年(昭和43)に国の史跡に指定されました。
阿玉台貝塚の見どころ
住所&地図
※直接の住所がないので、すぐそばの小見川南小学校が目印となります。
所在地:〒289-0328 千葉県香取市五郷内2218