遠方からでも、その独特の風貌で周囲の山々とは異なるたたずまいを見せるのが筑波山です。
これだけ目立つ山であれば、山岳信仰が盛んになるのはとてもわかります。
神社があるのは南側で、遠方からでも中腹に赤い鳥居が見えますので、あぁ、あの辺りかぁ、とすぐに分かります。
赤い鳥居のすぐ上に、筑波山神社の中心となる拝殿があります。
中腹には拝殿しかなく、本殿は山頂に2つあります。
主要社殿は3箇所。
筑波山は西峰・東峰からなる双耳峰であり、筑波山神社本殿はその両山頂に1棟ずつ鎮座しています。
本殿までは山登り(ケーブルカーで行くなどの手段がある)となります。一般的には拝殿のあるところを「筑波山神社」ということが多いです。
- 男体山本殿
- 女体山本殿
- 拝殿
筑波山神社の歴史
「常陸国風土記」が書かれた頃には、神の山として信仰が深く、公家・武家から崇敬が深い古代社格制度の常陸国の式内社でした。
関東平野に人が住み始めた頃から崇められてきたようです。
筑波山は、関東地方に人が住むようになったころから、信仰の対象として仰がれてきました。御山から受ける恵みの数々は、まさに神からの賜物でありました。その山容が二峰相並ぶため、自然に男女二柱の祖神が祀られました。
https://www.tsukubasanjinja.jp/about/about.html
その後祖神は「いざなぎの神、いざなみの神」と日本神話で伝えることから、筑波の大神も「いざなぎ、いざなみ両神」として仰がれています。
第十代崇神天皇の御代(約二千年前)に、筑波山を中心として、筑波、新治、茨城の三国が建置されて、物部氏の一族筑波命が筑波国造に命じられ、以来筑波一族が祭政一致で筑波山神社に奉仕しました。
第十二代景行天皇の皇太子日本武尊が東征の帰途登山されたことが古記に書かれ、その御歌によって連歌岳の名が残ります。
奈良時代の『万葉集』には筑波の歌二十五首が載せられ、常陸国を代表する山として親しまれたことがわかります。延喜の式制(927年)で男神は名神大社、女神は小社に列しました。
中世以降仏教の興隆につれて筑波山にも堂塔が建ち、小田城主八田知家の末子 八郎為氏が国造の名跡を継いで神仏並立の時代が続きました。江戸時代、幕府は江戸の鬼門を護る神山として神領千五百石を献じました。幕末になって藤田小四郎等が尊王攘夷の兵を起した筑波山事件を経て明治維新となり、神仏が分離されて神社のみとなり、明治6年に県社となりました。
※神仏分離については安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―」に詳しいです。
筑波山神社の見どころ
祭神は筑波男ノ神(つくばおのかみ、筑波男大神)と筑波女ノ神(つくばめのかみ、筑波女大神)。
筑波男ノ神(つくばおのかみ、筑波男大神)は男体山の神で人格神を伊弉諾尊(いざなぎのみこと)とされます。こちらが名神大社とされています。
筑波女ノ神(つくばめのかみ、筑波女大神)は女体山の神で人格神を伊弉冊尊(いざなみのみこと)としています。こちらが小社とされます。
鳥居
神橋(しんきょう)
切妻造小羽葺屋根付、間口1間、奥行4間で、安土桃山時代の様式の反橋。江戸時代の寛永10年(1633年)の3代将軍徳川家光による寄進とされ、元禄15年(1702年)に5代将軍徳川綱吉により改修されました。
手水舎
随神門(ずいしんもん)
間口5間2尺、奥行3間の楼門で、茨城県内では随一の規模です。
寛永10年(1633年)に3代将軍徳川家光により寄進されましたが、宝暦4年(1754年)に焼失しました。
再建しましたが、明和4年(1767年)に再度焼失しました。
現在の楼門は、文化8年(1811年)の再建によるものです。
随神門の前から下を見渡した風景です。
随神門
拝殿向かって左側に倭健命(やまとたけるのみこと)、右側に豊木入日子命(とよきいりひこのみこと)の随神像が安置されています。
神仏習合時代には「仁王門」として仁王像(金剛力士像)を安置していました。
神仏分離後は「随神門」とされました。
仁王像は神仏分離の際、桜川から筏で流され、つくば市松塚の東福寺に運ばれました。
神仏習合については、義江彰夫「神仏習合」に詳しいです。
ガマの口上
拝殿からの随神門
光譽上人五輪塔(こうよしょうにんごりんとう)
随神門の脇にあります。
明治初年の廃仏毀釈において破却移転を免れた、筑波山神社に残る唯一の寺院関係の堂塔です。
光譽は徳川秀忠の乳母の子息とされる人物。
※廃仏毀釈については安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―」に詳しいです。
大杉
拝殿
明治8年(1875年)の造営。
明治以前には中禅寺の本堂(大御堂)がありましたが、神仏分離で大御堂が廃され、新たに建てられました。
拝殿前には礎石が残っています。
大御堂は拝殿の南西方に真言宗豊山派大御堂教会の大御堂として再建されています。
裏手
丸葉クス
案内図
万葉歌碑
参集殿の御朱印
社務所
平将門ゆかりの地
関東も千葉の北から茨城の南にかけては平将門ゆかりの地が多いです。
摂社
摂社はいずれも筑波山中の白雲橋コース沿いに鎮座し、伊弉諾尊・伊弉冊尊の御子神(三貴子と蛭子命)を祀っています。
稲村神社(いなむらじんじゃ)
祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)。弁慶七戻りの先にある巨石の上に鎮座する。
安座常神社(あざとこじんじゃ)
祭神は素盞鳴尊(すさのおのみこと)。「北斗岩」の先にある「屏風岩」前に鎮座する。
小原木神社(こはらぎじんじゃ)
祭神は月読尊(つきよみのみこと)。「北斗岩」(弘法大師が妙見菩薩を見たという伝説に基づく)の下に鎮座する。
渡神社(わたりじんじゃ)
祭神は蛭子命(ひるこのみこと)。奇岩「裏面大黒」近くに鎮座する。
末社
末社は、神社整理以前には百社以上がありました。拝殿周辺に六社あります。
日枝神社・春日神社
日枝神社の祭神は大山咋神。
春日神社の祭神は武甕槌神、経津主神、天兒屋根神、比売神。
両社は本社拝殿の左殿側に隣接して鎮座し、拝殿を共有しています。
東が日枝神社、西が春日神社。建物は、本殿・拝殿とも寛永10年(1633年)の3代将軍徳川家光による寄進とされます。
共有している拝殿
本殿
手水舎
厳島神社
祭神は市杵島姫命。本社拝殿の南西にある池の中に鎮座。祭神は琵琶湖竹生島からの勧請。社殿は寛永10年(1633年)の3代将軍徳川家光による寄進とされます。
朝日稲荷神社
祭神は太田命。「出世稲荷」の別名がある。本社拝殿の裏手に鎮座する。嵯峨天皇第四皇子・常陸国太守忠良親王の創建とされます。
稲荷神社(稲荷社)
朝日稲荷神社に隣接して鎮座する。
愛宕神社(愛宕山神社)
本社拝殿の東側の奥に鎮座する。
筑波山神社の概要
社格等
創建 | 不詳(有史以前) |
主祭神 | 筑波男ノ神(伊弉諾尊) 筑波女ノ神(伊弉冊尊) |
備考 | 本殿の様式:一間社流造2棟 |
文化財
国指定
国宝 | ― |
重要文化財 | 太刀 銘吉宗(附 糸巻太刀拵)(工芸品) |
登録有形文化財 | ― |
県指定
有形文化財 | 神橋(建造物) 境内社春日神社本殿・日枝神社本殿 及両社拝殿(建造物) 境内社厳島神社本殿(建造物) |
市指定
有形文化財 | 随神門(建造物) |
天然記念物
国指定 | ― |
県指定 | ― |
市指定 | ほしざきゆきのした まるばくす |
公式ページ
地図
所在地: 〒300-4352 茨城県つくば市 筑波1番地
電話: 029-866-0502