電車でも車でも参拝に苦労しない場所にあります。
古社は不便なところにあることがありますので…。古代の交通網と現代の交通網が一致しないことがよく分かります。
電車の場合、JR本納駅から徒歩10分の場所にあります。
車でしたら、境内には駐車スペースがありませんが、100mくらいのところに専用駐車場があります。参拝時には、そこに停めました。
参拝当時、目の前にコンビニがありました。駐車場もありますが、マナー違反ですので神社が用意している駐車場に停めましょう。
橘樹神社の歴史
日本武尊の妻・弟橘比売(おとたちばなひめ)を祀る橘樹神社は「たちばなじんじゃ」と呼びます。
式内社(小)、上総国二宮で、旧社格は県社です。神紋は「橘」。
古くは「橘神社」「橘木神社」。現在は「橘樹」で「たちばな」と読みます。
主祭神は日本武尊の妻・弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)です。
ご神体は境内にある弟橘比売命の墳墓です。本殿の裏にあります。
相殿神は日本武尊と弟橘比売命の父である忍山宿禰(おしやまのすくね)です。創建は第12代景行天皇40年と伝わります。
橘樹神社は、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の后である弟橘媛(オトタチバナヒメ)を祀っている古い神社です。尊が東征中、荒れくるう海に身を投じて海神の怒りを鎮めたので、無事任務を遂行することができたといいます。社殿後方に弟橘媛の墓と伝えられる墳丘があります。そのため橘樹神社は「橘様(通称)」と呼ばれ地域の人々に親しまれています。
https://www.city.mobara.chiba.jp/0000000089.html
弟橘媛が海に身を投じて暴風を鎮める
社伝によると、日本武尊の東征した際に、相模から上総へ渡ろうとした時、海上で暴風に遭い、上総への上陸が難しくなりましたが、弟橘媛が海に身を投じて暴風を鎮めました。
日本武尊は命をとして救ってくれた妻・弟橘媛を想い、御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのが始まりとされます。
この社伝の通りですと、東京湾寄りの内房沿いにあっておかしくないのです、何故か現在の千葉県の真ん中、古代の地図だと外房寄りに位置しています。
ここで「日本書紀」をみると、日本武尊は上総から陸奥国に入り、その時の経路が、海路で葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉浦(九十九里浜)を横切ったとされます。
ということは、東京湾の対岸に渡ったのではなく、ぐるっと安房を経て太平洋に出て、外房から上総に入ったようです。
これであれば平仄が合います。
本殿は、江戸時代の寛政12年(1800年)の造営。
ご神体は古墳
本殿の後ろに弟橘比売命御陵とされる古墳が残っています。
ご神体ですので、入り込むのは厳禁です。
本殿が造営されるまで拝殿から直接古墳を拝む形となっていたそうです。
境内の吾妻池はこの墳墓を掘った跡の穴と伝わります。
摂末社
橘樹神社にあるのは末社のみになります。
- 秋葉神社 祭神:伊弉冉命、火産霊命
- 粟嶋神社 祭神:少彦名命
- 稲荷神社 祭神:保食命 創建以来鎮座。
- 子安神社 祭神:木花開耶媛命
- 窟戸神社 祭神:天手力雄命
文化財
- 千葉県指定文化財
- 橘木社文書(附 長谷川有則文書請取状控)(書跡)
- 茂原市指定文化財
- 本納橘神社社叢(天然記念物)
- 宮ノ下遺跡(史跡)
- 橘樹神社荻生観扁額(附 荻生観自筆「琴の記」)、神代杉(書跡)
住所&地図
所在地 千葉県茂原市本納738
橘樹神社の見どころ
一の鳥居から
参道
参道です。拝殿は正面に位置していません。途中で左斜め前にカクっと曲がります。
手水舎
拝殿と本殿
写真のように、参道が途中で左に曲がっています。
鳥居との位置関係でそうなってしまっています。
本殿です。