戦国時代を舞台にした大河ドラマ
- 2023年大河ドラマ(第61回)「どうする家康」(主人公:徳川家康)
- 2020年大河ドラマ(第59回)「麒麟がくる」(主人公:明智光秀)
- 2017年大河ドラマ(第56回)「おんな城主 直虎」(主人公:井伊直虎)
- 2016年大河ドラマ(第55回)「真田丸」(主人公:真田信繁(真田幸村))
- 2014年大河ドラマ(第53回)「軍師官兵衛」(主人公:黒田官兵衛)
- 2011年大河ドラマ(第50回)「江〜姫たちの戦国〜」(主人公:江)
- 2009年大河ドラマ(第48回)「天地人」(主人公:直江兼続)
- 2007年大河ドラマ(第46回)「風林火山」(主人公:山本勘助、武田信玄)
- 2006年大河ドラマ(第45回)「功名が辻」(主人公:千代、山内一豊)
- 2003年大河ドラマ(第42回)「武蔵」(主人公:宮本武蔵)
- 2002年大河ドラマ(第41回)「利家とまつ」(主人公:前田利家、まつ)
- 1997年大河ドラマ(第36回)「毛利元就」(主人公:毛利元就)
- 1996年大河ドラマ(第35回)「秀吉」(主人公:豊臣秀吉)
- 1992年大河ドラマ(第31回)「信長」(主人公:織田信長)
- 1988年大河ドラマ(第26回)「武田信玄」(主人公:武田信玄)
- 1987年大河ドラマ(第25回)「独眼竜政宗」(主人公:伊達政宗)
- 1985年水曜時代劇「真田太平記」(主人公:真田信幸、真田幸村、真田昌幸)
- 1984年水曜時代劇「宮本武蔵」(主人公:宮本武蔵)
- 1983年大河ドラマ(第21回)「徳川家康」(主人公:徳川家康)
- 1981年大河ドラマ(第19回)「おんな太閤記」(主人公:ねね、豊臣秀吉)
- 1973年大河ドラマ(第11回)「国盗り物語」(主人公:斎藤道三)
- 1971年大河ドラマ(第9回)「春の坂道」(主人公:柳生宗矩)
- 1969年大河ドラマ(第7回)「天と地と」(主人公:上杉謙信)
- 1965年大河ドラマ(第3回)「太閤記」(主人公:豊臣秀吉)
戦国大名の登場
戦国大名同士の戦争について、国郡境目相論という概念化が試みられています。
- 大名間の抗争による同盟関係の破綻
- 抗争領域として境目が生み出される
- 境目領域の軍事拠点として城館への攻撃と攻撃軍に対する後詰軍との決戦
- 停戦後の国分け
この見解によれば戦国時代の盛期は1550年代〜1582年になります。
中世の戦乱がしばしば全国に及ぶ内乱に発展した理由は、権利を巡る戦いにあったと考えられます。
戦国時代になっても事情は同じで、戦国大名は必ずしも全国統一や政治権力を目指していたわけではありませんでした。
戦いの多くは国郡境目相論、つまり領土の境界を巡る争いであり、領土の権利を巡る戦いでした。
また、中世は武士だけでなく、農村の百姓を含めた全ての人々が自分の身の安全や権利を自分で守らなければならない自力救済の時代でした。
こうした世界では武力による問題解決が大きな比重を占めざるを得ませんでした。
戦国大名のさきがけとなったのは伊勢宗瑞(北条早雲)でした。宗瑞の代に北条を名乗ることはありませんでしたが、北条早雲として知られます。
15世紀前半の永享の乱により衰えた鎌倉公方が、下総の古河公方と伊豆の堀越公方に分裂します。
宗瑞は室町幕府政所執事伊勢氏の庶流で幕府に仕えていましたが、甥の竜王丸を今川家の家督につけた際の活躍から駿河に下向します。
そして、1493年に堀越公方の足利茶々丸を攻撃します。
かつて、これは宗瑞の戦国大名化であり、下克上の象徴的出来事として捉えられていました。
しかし、この攻撃は中央と東国をまたがる派閥関係に基づくとする説が出され、評価が大きく転換しました。
ただし、宗瑞が中央の意向に従って行ったのか、自身の利益のために派閥関係を利用したのかは議論の余地があります。
その後、宗瑞は小田原城を奪取します。奪取時期については複数説があります。
1509年に相模中部に乱入し、扇谷・山内上杉氏との長い抗争が始まります。そして、1516年に相模を手中にします。
明応〜永正年間の東国の戦争を特徴づけるのは、一族・家中抗争と外来勢力の進出です。
宗瑞の跡を継いだ氏綱は北条へ改姓を行いました。相模支配の正統性を打ち出したものと考えられます。
江戸城の奪取に成功すると、上杉氏との対立が激しくなります。
16世紀半ば、越後では守護・上杉氏の守護代・長尾景虎が主家の上杉氏を継ぎ、上杉謙信と名乗りました。甲斐を統一して信濃に領域を伸ばした武田晴信(信玄)としばしば衝突します。
戦国大名のうち、守護大名が国人や守護代をおさえて戦国大名に成長したのは、少数に限られ、東国では武田、今川、九州の大友、島津などでした。
伊勢宗瑞を主人公にした本です
- ゆうきまさみ「新九郎、奔る!」 学習漫画としても秀逸です
分国支配
戦国大名の領国を分国と呼びます。分国統治の第一目標は富国強兵です。
大河川の治水、灌漑事業によって、平野部の開拓、農業生産の安定と増大を図りました。
産業の開発にも努力し、金・銀などの鉱山開発、綿花栽培をこころみた大名もいました。
分国経済の中心として城下町を整備し、道路の整備により宿駅・伝馬制度をととのえ、関所を撤廃します。
国内のすべての武士を家臣団に編入する強兵策にも取り組みます。しかし、惣村や荘園制度と結びついていた武士の家臣団への編入は容易くはありませんでした。そのため、惣村の直接支配と、荘園の解体を目指します。
家臣の知行地は、年貢を銭に換算した貫高で表示し、貫高制により軍役賦課の基準とします。
新しい家臣を有力家臣にあずける寄親・寄子制度によって戦力を強めます。
領内の把握のために検地を実施します。
戦国大名によって社会の構造が根本的に変えられていきました。
領内統制のため、独自の分国法(家法)を定めました。家臣団統制と農民統制から成るものでした。
分国法には近江の六角氏や肥後の相良氏のように、大名と家臣の協約によって定められたものもありました。
戦国大名の徳政
戦国大名の徳政令の内容を見ていくと、中世徳政における眼目の一つである借銭・借米の破棄が主たるものです。
特定の国や地域を対象に一斉に発布される惣徳成の場合は、領国政策の一環としてより幅広い内容を持たせて善政の内容を強く含ませるものもありました。
この典型とされるのが北条氏徳政令です。
永禄3(1560)年の北条氏徳政令は、北条氏康から北条氏政への代替わりを背景に、撫民思想を基調とする北条国家の支配原則を示したものと見ることができます。
徳政は中世社会を特色づけるものですが、鎌倉・室町期にとどまらず戦国期にも広範に見られました。そして為政者の法としての徳政令は、中世社会の終焉とともに歴史の表舞台から姿を消していきます。
一向一揆と惣国一揆
戦国時代になると一揆が大規模化・組織化します。その代表が一向一揆と惣国一揆です。
北条早雲の伊豆進出のころ、加賀では守護大名が浄土真宗(一向宗)による一向一揆によって倒されました。
加賀の一向一揆の基礎を作ったのは蓮如でした。蓮如は惣村をそのまま宗教組織の講に編成したり、御文(やさしい文章の手紙)によって念仏を広めました。
教えは近江から北陸へ広がり、各地に本願寺派の拠点ができます。
長享2(1488)年、加賀の一向一揆が守護・富樫氏を倒し、約100年にわたって合議に基づく一国の支配を行いました。
一向宗は惣村の形成が進んだ東海、近畿にも広がります。
近畿地方では、石山本願寺の指令によって一向一揆をおこし、大名と争うようになります。
惣国一揆は一国規模の一揆で、伊賀惣国一揆は天正伊賀の乱で織田信長によって、紀州惣国一揆は豊臣秀吉の紀州征伐によって解体されます。
垂直的な支配関係を軸にする権力と、構成員の平等を理念とする一揆は水と油の関係にように見えますが、研究により戦国大名権力の一揆的構造が指摘されるようになっています。
学会の共通認識では、一揆と大名を不倶戴天の敵とみなして、一揆を大名が屈服させることによって近世が始まるという古典的理解が成り立たないというものになっています。
一向一揆について言えば、本願寺門徒のみで結成されたものではなく、門徒と非門徒の連合という性格であることが解明されました。
本願寺が一向一揆を動かした要素の一つに「報謝行」があります。
報謝行は造悪無碍を抑止するための考えで、往生を約束してくれた阿弥陀仏への感謝・報恩として念仏を称えることが推奨されましたが、この概念を拡大して軍事的な奉仕を求めるようになります。
仏敵との戦いに参加することは命懸けの報謝行という理屈です。
こうして本願寺は門徒の軍事動員が可能になります。
本願寺・一向一揆は強大な軍事力を有するようになり、大名たちの争乱に巻き込まれるようになります。
しかし本願寺の一向一揆に対する影響力は万能ではなく、一定の限界がありました。一向一揆と本願寺は一体ではありませんでしたが別物でもありませんでした。
惣国一揆について言えば、領主の一揆と百姓の一揆が一郡や一国規模で共同した重層的な一揆と評価する見解が有力です。
京と町衆
庶民に受け入れられた日蓮宗(法華宗)は15世紀に日親が京都で布教を進めた結果、商人層に広まります。
応仁の乱で焼け野原となった京都の復興を担った町衆の中心が、日蓮宗徒の商人でした。
町衆は町組をつくり、自治組織の単位として町掟を定め、指導者としての月行事を選び、自治運営を行いました。
幕府や管領の細川氏と対抗し、周辺の土一揆から町を自衛し、一向一揆には法華一揆をおこして対抗しました。
京都の庶民文化は町衆によって担われました。祇園祭も、町ごとに山鉾をつくって参加する祭りとしてこの頃に復興します。
都市の自治
各地で自治組織を持った都市が生まれます。
- 産業や交通の発展により生まれた伊勢の桑名や安濃津などのような港町、宿場町
- 寺社巡礼の流行によってうまれた、宇治、山田のような門前町
これらの町民は自由な取引を主張します。
一向宗門徒が中心となった寺内町でも、堀をめぐらし、職人や商人が住んで自治的運営を行いました。
貿易の要衝であった堺や博多では、商人がそれぞれ細川氏や大内氏と手を組んで日明貿易を行いました。
堺では会合衆、博多では年行司が中心となって自治市政を行います。
こうした都市の自治組織も戦国大名との対立の中で崩れていきます。
戦国大名が城下町を建設し、分国の経済を整備するにつれ、経済統制の必要から都市に認めていた自由な取引の特権を否定していきます。
参考文献
テーマ別日本史
政治史
- 縄文時代と弥生時代
- 古墳時代から大和王権の成立まで
- 飛鳥時代(大化の改新から壬申の乱)
- 飛鳥時代(律令国家の形成と白鳳文化)
- 奈良時代(平城京遷都から遣唐使、天平文化)
- 平安時代(平安遷都、弘仁・貞観文化)
- 平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)
- 平安時代(荘園と武士団、院政と平氏政権)
- 平安時代末期から鎌倉時代初期(幕府成立前夜)
- 鎌倉時代(北条氏の台頭から承久の乱、執権政治確立まで)
- 鎌倉時代(惣領制の成立)
- 鎌倉時代(蒙古襲来)
- 鎌倉時代~南北朝時代(鎌倉幕府の滅亡)
- 室町時代(室町幕府と勘合貿易)
- 室町時代(下剋上の社会)
- 室町時代(戦国時代) 本ページ
- 安土桃山時代
- 江戸時代(幕府開設時期)
- 江戸時代(幕府の安定時代)
- 江戸時代(幕藩体制の動揺)
- 江戸時代(幕末)
- 明治時代(明治維新)
- 明治時代(西南戦争から帝国議会)