- 縄文時代と弥生時代の文化については、「テーマ:縄文時代と弥生時代」をご参照ください。
- 古墳時代から大和王権の成立時期の文化については「テーマ:古墳時代から大和王権の成立まで」をご参照ください。
飛鳥時代
飛鳥文化と白鳳文化
飛鳥文化。7世紀前半の文化で、蘇我氏や王族によって広められた仏教中心の文化です。氏寺が建立された時期です。
中国の南北朝と朝鮮3国の文化の影響を強く受けています。
- 法隆寺金堂釈迦三尊像(鞍作鳥(止利仏師))
- 中宮寺の半跏思惟像
- 広隆寺の半跏思惟像
白鳳文化。白鳳文化。7世紀後半から8世紀初頭の文化です。天武天皇、持統天皇の時代で遣唐使によって伝えられた唐初期の文化の影響を受けています。律令国家が成立した時代でもありました。律令国家成立期の文化が白鳳文化です。
仏教は朝廷内部でも正式に信仰されるようになります。
- 舒明天皇の百済大寺(天武天皇の時に大官大寺に名称がかわります)
- 官寺:川原寺や薬師寺
676年:天武天皇は国家仏教の政策を取り始めます。
地方に金光明経などの護国の経典を配り、僧尼の統制を厳しくしました。
- 薬師寺金堂薬師三尊像
- 法隆寺金堂壁画
奈良時代になると塔、金堂、講堂、僧房、経蔵、鐘楼、食堂を七堂に数えるようになります。
宮廷歌人
白鳳時代に百済から漢学の教養を身につけた王族・貴族が渡ってきた影響もあり、宮廷で漢詩文が盛んになります。
大友皇子や藤原不比等らの作品が残っています。
漢詩文などの影響で日本の古い歌謡の形式が整い、和歌として五七調の長歌や短歌が発達します。
これに伴い、万葉仮名が定着します。
- 天智天皇
- 額田王
- 柿本人麻呂
奈良時代
天平文化
天平文化。奈良時代=天平文化です。仏教が重んじられた時代で、東大寺の大仏、国分寺・国分尼寺が建立され、唐から鑑真を招来します。古事記や日本書紀が完成した時代でした。
- 712(和銅5)年、古事記ができます。
- 720(養老4)年、日本書紀ができます。
713(和銅6)年、国ごとの産物や地名の由来、古老の伝聞を記録して言上するよう命じます。これが風土記です。
まとまったもので残っている風土記は、常陸、播磨、出雲、豊後、肥前の5つです。
教育機関
- 中央に大学
- 諸国に国学
貴族や豪族の子弟を中心に儒教の経典を注視とする教育が行われます。
文芸
- 詩文:淡海三船、石上宅嗣らが知られます。「懐風藻」には7世紀以降の漢詩文が集められました。
- 和歌:山上憶良、山部赤人、大伴家持らがあらわれ、「万葉集」が編纂されます。
- 1998年筑波:奈良・平安時代の教育について、「国学」「綜芸種智院」「大学別曹」「蔭位の制」の語句を用いて述べるよう求められました。
- 1993年京大:東アジアの国際関係を考慮しつつ、天平文化と国風文化のそれぞれの特色が問われました。
平安時代
弘仁・貞観文化
弘仁・貞観文化。平安遷都から9世紀末頃まで。漢文学の発展、密教の伝来などがあり、唐風文化とも言います。大まかには、藤原氏が他氏を排斥して権力を握るまでの時代です。
漢文学
大学でも儒教を学ぶ明経道にかわり、中国の史学や文学を学ぶ紀伝(文章)道が中心となります。
有力な氏族は一族子弟のために大学別曹を設けます。図書館と寄宿舎を兼ねたような施設で、学費が支給され、大学では講義が受けられました。
- 和気氏:弘文院
- 藤原氏:勧学院
- 橘氏:学館院
- 在原氏:奨学院
勅撰漢詩集
- 凌雲集
- 文華秀麗集
- 経国集
- 2006年京大:「三筆」と呼ばれた3人の人物を通して、9世紀前半の政治と文化について問われました。
- 1997年筑波:弘仁・貞観文化と国風文化の相違について、「凌雲集」「やまと絵」「古今和歌集」「橘逸勢」の語句を用いて述べるよう求められました。
- 1987年東大:文芸・宗教・生活などの各分野の動向に触れながら、弘仁・貞観期から摂関期にかけての文化の展開を問われました。
国風文化
国風文化は、遣唐使が廃止されたことによって唐風文化が衰退し国風文化が生まれたと長く考えられてきました。
近年では中国や朝鮮半島の文化を受容しそれらに基づいて国風文化が生まれたと考えられるようになってきました。
摂関政治の時代に対応しています。大まかには、藤原氏が天皇家の外戚になって摂政・関白として政治を行う時代です。
そのためこの時期の文化を国風文化(もしくは藤原文化)と呼びます。
貴族が地方政治から離れ、宮廷生活を中心とする世界に限られるようになったこととも文化に強く反映されました。
宮廷文化が繰り広げられる中、都市文化の担い手として登場したのが京童でした。金銀を散りばめた衣装で着飾り、祭礼では様々な芸能を演じました。
京童の活躍の場が、稲荷祭や祇園祭(八坂神社)のような祭礼でした。
- 2008年阪大:国風文化の特徴とその歴史的背景について問われました。
- 1993年京大:東アジアの国際関係を考慮しつつ、天平文化と国風文化のそれぞれの特色が問われました。
かな文学
平安時代初期の漢文学に対して、和歌がふたたび盛んになりました。
物語や日記が新たな文学として登場します。表音文字の平がな・片かながつくられたことも登場を後押しします。
- 古今和歌集…最初の勅撰和歌集で紀貫之らの編纂
- 土佐日記…紀貫之による日記文学の始まり
- 竹取物語
- 蜻蛉日記…藤原倫寧の娘による
- 源氏物語…紫式部による物語
- 枕草子…清少納言による随筆
「源氏物語」について、倉本一宏氏は、料紙の問題を提起します。当時、紙は非常に貴重だったためです。
中級官人の寡婦にして無官の貧乏学者である為時の娘の紫式部に、どうやって多くの料紙が入手し得たのでしょうか。
紫式部はいずれかから大量の料紙を提供され、そこに「源氏物語」を書き記すことを依頼されたと考える方が自然であり、そして最も考えられるのが道長と導き出しています。
教養文化も形成されました。
- 源為憲「口遊」「三宝絵詞」
- 源順「倭名類聚抄」「作文大体」
- 藤原明衡「本朝文粋」「新猿楽記」「雲州消息」
実用書も記されました
- 丹波康頼「医心方」
漢詩文の朗詠のための書物も編まれました
- 藤原公任「和漢朗詠集」
国風美術
貴族の阿弥陀信仰をあらわす阿弥陀堂建築としては次があります。
- 法成寺御堂…藤原道長によるが現存しない
- 平等院鳳凰堂…藤原頼通の宇治の別荘を寺にしたもの
貴族の住宅として日本風な寝殿造の建物が造られます。
書道の和様が発達します。和様の三跡は次の三名です。
- 小野道風
- 藤原佐理
- 藤原行成
服装も国風化が進みます。
- 男子 正装は束帯・衣冠、平服は直衣・狩衣
- 女子 正装は十二単衣、略服は小袿
院政期の文化
平氏に栄華を残すものとして、安芸の厳島神社の平家納経からうかがえます。
奥州藤原氏の栄華を残すものとしては、平泉の中尊寺金色堂があります。
摂関時代からの浄土信仰による浄土教芸術として、陸奥の白水阿弥陀堂や豊後の富貴寺大堂などの阿弥陀堂が建てられました。
文学
- 栄花(栄華)物語…藤原道長の栄華を編年的にのべている
- 大鏡…歴史物語
- 源氏物語絵巻
- 伴大納言絵巻物
- 信貴山縁起絵巻…地方社会を題材
- 陸奥話記…武士の合戦をえがく
- 今昔物語集…インド、中国、日本の1,000余りの説話を集めた
- 梁塵秘抄…後白河法皇による、今様と言われる民間歌謡の編集
鎌倉時代
鎌倉文化
鎌倉文化。新しい仏教教派があらわれ、仏教美術にも大きな変化がありました。合戦の連続の中で、人々の間に無常観が生まれ、宗教に救いを求めた時代でした。神道もこの時期に伊勢神道が形成されます。
文学
- 新古今和歌集…後鳥羽上皇が編集、幽玄の新境地が見える歌集です。西行、鴨長明、藤原定家らの歌がおさめられています。
- 山家集…西行が諸国を歩いて自然への感動をあらわしました
- 方丈記…鴨長明による随筆です
- 金槐和歌集…源実朝による歌集です
承久の乱後に藤原定家が「新勅撰和歌集」の撰集を命じられますが、政治的性格を帯びました。
乱後には軍記物語が記されました。
- 保元物語
- 平治物語
- 治承物語 → 増補されて成ったのが、平家物語です
- 承久記
- 平家物語…琵琶法師によって全国に語りひろめられました。
- 金沢文庫…北条氏一族の金沢氏が和漢の書物を集め、武蔵の金沢に建てました
- 吾妻鏡…幕府の成立と発展の歴史を書いています。
- 宇治拾遺物語…説話文学
- 有職故実の学…古典の研究や朝廷の儀式を研究
- 紀行文…「海道記」「東関紀行」、阿仏尼の「十六夜日記」
美術
勧進上人の重源により、東大寺の大仏の修理や大仏殿・南大門の再建を果たします。
宋から大仏様という建築様式を取り入れ、南都仏師の運慶、湛慶父子や快慶らの協力を得ました。
東大寺南大門の金剛力士像…運慶、快慶 特徴は力強い写実性
鎌倉時代中期
中国と結ぶ海の道を通じて多くの唐物とともに禅宗様と言われる建築様式などの新技術がもたらされました。
禅宗様は禅寺の建築に用いられましたが、古くからの和様や大仏様を取り入れた折衷様が盛んになります。
禅宗では蘭渓道隆、無学祖元らがやってきます。
絵画
- 一遍上人絵伝
- 男衾三郎絵巻
- 蒙古襲来絵巻
似絵…藤原隆信、藤原信実
刀剣
- 長船長光
- 粟田口吉光
- 岡崎正宗
書道
和様をもとにした青蓮院流
陶器
尾張の瀬戸焼
室町時代
北山文化
14世紀末、足利義満が京都北山につくった別荘にちなんで北山文化と呼びます。
水墨画や建築、庭園様式、能など現在の伝統文化の基礎ができました。
北山文化は公家社会の伝統と大陸文化を基調にしたものでした。
別荘に建てられた金閣(鹿苑寺)の建築様式は、伝統的な寝殿造風に禅宗様が加わっています。
武家独自の文化は育っておらず、武家の公家文化への憧れと、武家の奢侈的性格が色濃く出ました。
北山文化の華麗さの源流には、「ばさら」の風俗がありました。
ばさらは悪党から守護大名にひろがったもので、代表的な守護大名に佐々木導誉がいます。
- 「徒然草」…卜部兼好による随筆
- 「増鏡」…源平の争乱以後の朝廷の歴史を公家の立場で書かれたもの
- 「神皇正統記」…北畠親房による皇位継承の道理を南朝側から主張したもの
- 「梅松論」…足利氏の立場から戦乱の動きを書いたもの
- 「菟玖波集」…二条良基が編集し、連歌が和歌と対等な地位を与えられました。
神事芸能から出発した猿楽や田楽から、歌舞、演劇のかたちをとる能が発展しました。
室町時代には能楽師は座を作って寺社に保護されるようになります。
観阿弥、世阿弥父子は足利義満の保護を得て猿楽能を完成させます。
- 「風姿花伝」(花伝書)…世阿弥による能の神髄を書いたもの
能は寺社の保護を離れ、武士の援助のもと発展し、狂言とともに支持を広げていきます。
こうした文化状況の背景には日本列島における経済的繁栄がありました。日明貿易でさかえた兵庫のように湊町は活気に満ちていました。
湊町が栄え、村が自立し始めたこの時代の動きは「庭訓往来」に記されています。
「庭訓往来」では各月の行事などが記され、宗教・社会・文化の定型が記されています。
この時代に室町幕府の年中行事や儀礼が整えられ、伊勢流や小笠原流などの武家の故実の型も整えられていきました。武家の制度も型として整備されたのです。
中世の文化は家の文化を起点とし、身体の文化、職能の文化を経て型として定着しました。
東山文化
室町文化と宗教
禅宗寺院の組織は大きく西班衆と東班衆に分かれます。
西班衆は学問や儀式に関わる役職であるのに対し、東班衆は経営や日常生活を担当する役職です。
この東班衆が室町時代の文化に大きな影響を与えることになります。
南北朝時代から室町時代の初めにかけて水墨画の専門画家が出現しましたが、初期の水墨画家は禅僧で、東班衆でした。
同じように東班衆から伝えられた技術に医学もありました。
東班衆の技術が西班衆の知識と融合し、実用的な学問になり、やがては江戸時代の数学や医学につながりました。
東山文化
足利義政は応仁の乱ののち、京都東山の山荘に隠退し、足利義満の金閣にならって、銀閣(慈照寺)を建てます。
この銀閣に代表される文化を東山文化と呼びます。茶道や生花などの基礎が作られます。
しかし、東山文化には北山文化をつくりあげたほどの富はありませんでした。そのかわり、生活に根差した文化が発達します。
今日の和風住宅のもととなる、書院造が発達しました。武士、僧侶、貴族の住宅にとりいれられ、床や付書院をもつ住宅様式です。
庭園では枯山水の手法が用いられます。
茶の侘茶や、床を飾る立花(花道)が始まります。侘茶は闘茶を芸術的に高めたもので、村田珠光、堺の武野紹鴎を経て千利休が茶の湯(茶道)として完成させました。
水墨画は東山文化の気風に合い、書院造の床の間の飾り、襖絵に使われて盛んになります。
京都相国寺の画僧・雪舟は、明に渡って画法を学び、水墨の山水画を完成させます。
水墨画の手法を大和絵に取り入れたのが、狩野正信・元信父子の狩野派でした。
工芸では金工の後藤祐乗が活躍し、蒔絵技術も発展しました。
今日につながる年中行事も広まりました。5月の菖蒲湯、7月の盂蘭盆会など、公家と武家にひろまった文化が庶民にも受け入れられました。
服装では男性の素襖、女性の小袖の着流し、衣料も麻から木綿が中心となります。
日本料理の原形が作られたのもこの時代です。禅宗寺院が中心に考えられた調理法などが、公家、武家、庶民に広がります。膳立て、食器、食事の礼儀作法が定められます。米を常食にする人が増え、粥も好まれました。
庶民は荏胡麻からとる灯油の灯火を用いるようになります。
庶民文芸
猿楽能は上流社会で好まれた他、年の庶民のなかでも親しまれました。これはとは別に、農民の間では田楽能がもてはやされました。
和泉の一農村の祭りを見た貴族は、農民によって能が演じられるその演技に感嘆しました。
農村や都市の庶民が直接参加する芸能としては盆踊りや念仏踊り、風流踊りがありました。
また、狂言には口語や民謡が取り入れられて庶民に愛好されます。
- 御伽草子 「一寸法師」など庶民が主人公となる作品が多く、庶民の夢が託されています。
- 古浄瑠璃、小歌 「閑吟集」小歌集
- 連歌 応仁の乱後に宗祇が現れ、正風連歌を確立します 「新撰菟玖波集」
- 俳諧連歌 山崎宗鑑
- 有職故実や古典研究 一条兼良など公家が伝統文化の担い手になります
地方文化
応仁の乱により京都が荒廃すると、貴族・僧侶が地方の大名に身を寄せました。
西国の大内氏のところには雪舟をはじめとして貴族・僧侶が集まり、西の京都と呼ばれるほど文化が栄えました。日明貿易にも力を入れ、貿易を独占しました。この日明貿易の富が山口の文化を支えました。
肥後の菊池氏や薩摩の島津氏は、禅僧の桂庵玄樹を招いて儒学をひろめ、薩南学派と呼ばれる朱子学のもとを築きます。
土佐では南村梅軒が朱子学の南学の祖と伝えられます。
下野では15世紀中ころに関東管領上杉憲実によって足利学校が繁栄し、日本各地から多くの学生があつまり、イエズス会の宣教師に坂東の大学と称されました。
この頃の教育は寺院で武士の子弟を対象に行われ、「庭訓往来」「貞永式目」などが教科書として使われました。
都市の商工業者の間では、読み・書き・計算が必要とされ、いろは引きの国語辞書である「節用集」が刊行されました。
村落では、指導者層のあいだにも、読み・書き・計算の必要性が説かれるようになり、農村にもしだいに文字の知識が浸透しました。
安土桃山時代
桃山文化
この時代は、下級武士や農民から身を起こした新しい大名や、商工業の活発な活動によって富を得た豪商が現れました。
新興勢力が支配的になり、文化でも大きな変化が現れます。
仏教色がいちじるしく薄れ、現実の生活を楽しむ風が強まり、南蛮文化がさかんに取り入れられました。
城は壮麗な石垣と天守閣があり、城主の居館は彫刻や絵画で飾られました。
狩野永徳や狩野山楽らが中心となり、金地に豊かな色彩を用いた濃絵が襖や屏風に描かれました。
京都、大坂、堺、博多などの富裕な町衆の文化も花開き、茶道、花道、能、狂言などが流行しました。
茶道では千利休が侘茶を完成させ、織田有楽斎、古田織部らの大名も茶道の流派を開きました。
茶席の茶碗も朝鮮出兵のときの朝鮮の陶工によって、有田焼、薩摩焼、萩焼、平戸焼などが始められました。
娯楽も豊かになり、17世紀初めの慶長年間には、出雲の阿国が京都に現れ、阿国歌舞伎として人気を集め、女歌舞伎が盛んになります。
琉球から渡来した三味線を伴奏にした浄瑠璃、それに合わせて人形をあやつる人形浄瑠璃も流行します。
各地では盆踊りも盛んになります。
京都では2階建ての民家もでき、瓦屋根も用いられ始められました。
衣服では小袖が一般的になります。女性は小袖の着流しがふつうとなり、女性は垂れ髪の髪型も結うようになり、男性は烏帽子はかぶらず、まげを結うようになりました。
南蛮文化がさかんになるにつれ、南蛮風の衣装を身に着けたり、南蛮菓子も現れました。カッパ、カステラ、コンペイトウ、パンなどの言葉は今日まで残っています。タバコを吸うようになったのもこの頃からです。
宣教師たちは、天文学、医学、地理学などを伝えたほか、油絵、銅版画の技法をもたらしました。
宣教師によって活字印刷術も伝えられ、キリスト教関係の本やキリシタン版・天草版の「平家物語」「伊曽保物語」なども刊行されます。
活字印刷は朝鮮からも伝えられました。
江戸時代
寛永文化
徳川家光の頃の文化です。京都を中心にした公家文化です。代表するのが日光東照宮、俵屋宗達の風神雷神図屏風(建仁寺)です。儒学が普及しました。
元禄文化
上方の武士や上層商人が担いました。井原西鶴や近松門左衛門が活躍します。徳川光圀による大日本史の編纂が始まります。鎖国により、外国の影響を受けることが少なく、独自の文化が生み出されます。
儒学
学問の中心は儒学、なかでも朱子学が中心となります。幕府は藤原惺窩の門人・林羅山(道春)を京都から招き、その子孫に学問をつかさどらせます。
羅山は上野の忍ヶ岡の屋敷に孔子をまつる聖堂を建てます。5代将軍・徳川綱吉はこの聖堂を湯島に移し大成殿と名付けました(湯島聖堂)。聖堂に付属する学問所が幕府の学問の中心となります。
朱子学者
- 野中兼山…南村梅軒が土佐で開いたとされる南学の系統
- 山崎闇斎…同じく、南村梅軒が土佐で開いたとされる南学の系統で、神道を儒教流に解釈して垂加神道を説きました。
陽明学者
陽明学は明の王陽明によってはじめられました。現実を批判し、矛盾を改めようと求める革新的な精神があったため、幕府から警戒されます。
- 中江藤樹
- 熊沢蕃山…中江藤樹の門人
古学派
孔子や孟子の教えに戻るべきと考えます
- 山鹿素行…朱子学を攻撃して幕府から処罰を受けます。
- 伊藤仁斎・東涯父子…京都の堀川に私塾古義堂を開きます。
- 荻生徂徠…江戸に私塾蘐園を開き、徳川吉宗、柳沢吉保に用いられました。
大名家における学問
- 水戸藩:徳川光圀による大日本史の編纂
- 加賀藩:前田綱紀が木下順庵ら多くの学者を招き、多数の書籍を集めました
学者の中には大名に仕えて政治に携わった者も現れます。
- 野中兼山…高知の山内家の家老として大土木工事をおこし、多くの新田を開発します
- 熊沢蕃山…岡山藩主・池田光政に仕え、治水事業に功績をあげます。池田光政は閑谷学校をつくって武士、庶民の教育に力を入れました。
諸学問の発達
儒学の合理的・現実的な考え方は、本草学(博物学)、医学、数学、天文学などの自然科学の発達をうながします。
- 関孝和…和算ですぐれた研究成果をあげました。円周率や円の面積、筆算代数など
- 安井算哲(渋川春海)…天文学、暦学を学び、元の授時歴をもとに貞享歴を作り、天文方に任じられました
- 山鹿素行…古文書を引用して「武家事紀」をあらわしました
- 新井白石…「読史余論」で武家政権の発展を段階的に考察しました
- 契沖…万葉集を研究して、和歌を道徳的に解釈する従来の説を排斥します
- 北村季吟…源氏物語や枕草子を自由な眼で眺めました
町人文芸
連歌からおこった俳諧が17世紀末半ばに奇抜な趣向を狙う談林風が流行り、蕉風(正風)俳諧が確立します。
- 西山宗因…談林風
- 松尾芭蕉…幽玄閑寂を旨とする。「奥の細道」
- 井原西鶴…はじめ談林風俳諧で名を知られましたが、浮世草紙と呼ばれる小説に転じ「好色一代男」「日本永代蔵」「世間胸算用」などで人気を集めました。
- 近松門左衛門…浄瑠璃・歌舞伎の脚本を書き、「曾根崎心中」など実際に起きた事件を取り上げた世話物、歴史上のことがらを取り上げた「国姓爺合戦」などで人気を博しました。
江戸初期に風俗上の理由で禁止された歌舞伎(女歌舞伎・若衆歌舞伎)は男優だけの野郎歌舞伎として上演され、江戸の市川団十郎、上方の坂田藤十郎らの人気役者がいました。
元禄の美術
豪華な桃山時代の美術様式は江戸時代前期にも受け継がれました。
- 日光東照宮をはじめとする、霊廟建築が流行しました。
- 狩野派の絵画…狩野永徳の孫・探幽が幕府に仕え、一門が幕府や大名の御用絵師になりました。
伝統的な公家文化の流れを引く美術もありました。
- 桂離宮の書院…書院造に茶室を取り入れた簡素な数寄屋造り
絵画・書画など
- 本阿弥光悦…京都の上層の町衆で多彩な文化人。絵画、蒔絵、陶芸、書道など多方面で才能を発揮します。
- 俵屋宗達…土佐派の画法をもとに、装飾画の新様式を生み出します
- 尾形光琳…書画の教養深く、蒔絵に優れ、この系統を琳派と呼びます
- 菱川師宣…江戸の中の風俗を画材として絵を描き、浮世絵と名付けられました
陶芸
- 酒井田柿右衛門…有田焼で赤絵の時期に成功
- 野々村仁清
- 尾形乾山
染物…京都の宮崎友禅が友禅染をはじめ、大いに流行します
化政文化
江戸時代の後期、江戸の繁栄に伴って文化の中心は上方から江戸へ移っていきました。
19世紀初めの文化文政期に最盛期を迎えましたので、化政文化と呼ばれています。
徳川家斉の頃の文化で、江戸の庶民による文化です。滝沢馬琴、鈴木春信、葛飾北斎などが活躍し、蘭学から洋学へ発展しました。
化政文化は幕府の厳しい統制のなかで、活気を失って退廃と無気力に満ちていましたが、庶民の文化水準が向上した時期でした。
寺子屋が増え、村役人や神職、僧侶などが師匠となって読み書きを教え、その結果、庶民も和歌や俳諧をつくって、小説を読むことができるようになりました。
18世紀後半には江戸の遊里を中心に洒落本が流行しましたが、寛政の改革で禁止され、山東京伝が処罰されます。
変わってさかんになったのが、滑稽本と読本です。
- 十返舎一九「東海道中膝栗毛」
- 式亭三馬「浮世風呂」「浮世床」
天保期はじめには、恋愛を主題とする人情本が流行しましたが、天保の改革で禁止され、為永春水が処罰されます。
勧善懲悪の思想を盛り込んだ小説の読本が読まれました。
滝沢馬琴(曲亭馬琴)「南総里見八犬伝」…約30年にわたり、100冊以上も続いて人気を集めました
俳諧
- 天明時代:与謝蕪村
- 化政時代:小林一茶
川柳(狂句)・狂歌
- 柄井川柳
- 蜀山人(太田南畝)
美術の世界では、明・清の影響を受け文人や学者が描いた文人画や、西洋画の遠近法、立体描写法を取り入れた円山応挙の写生画などが見られました。
浮世絵と錦絵
- 菱川師宣…浮世絵版画を大成しますが、墨一色でした
- 鈴木春信…田沼時代に多色刷りの錦絵を始めました
- 東洲斎写楽…役者絵、18世紀末
- 喜多川歌麿…美人画、18世紀末
- 葛飾北斎…「富嶽三十六景」天保期
- 歌川広重…「東海道五十三次」天保期(安藤広重として知られていましたが、歌川広重が正しい表記です)
生活と信仰
町人は階層によって上下の格差が激しかったのですが、都市には劇場や見世物小屋などの娯楽場が多く作られ、落語や講談などの演芸も盛んでした。
寺子屋に学ぶ町人の数も増えます。
年中行事が整えられてきたのもこの時期です。
- 五節句
- 正月にむかえる年神
- 盆にむかえる祖先の霊
- 豊作を祈る春祭り
- 収穫を感謝する秋祭り
人々は寺社の縁日や開帳、富突(富くじ)などに集まりました。
湯治や物見遊山の旅に出る人も増えました。
- 伊勢神宮参拝
- 西国三十三ヵ所巡礼
- 四国八十八ヵ所巡り
新しい学問
国学と尊王論
幕藩体制の動揺の中で、国学が興ります。
元禄期に万葉集や源氏物語などの古典の研究が行われていました。
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18世紀初め:荷田春満が古典研究の必要性を説きました(京都伏見の稲荷神社の社家出身)
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18世紀半ば:賀茂真淵が「古事記」「万葉集」を研究し、外来思想の影響を受ける前の古代の思想に戻ることを主張します(近江浜松の神職の家出身)
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本居宣長(伊勢松坂の医師)が「古事記伝」をあらわします。古代の神話研究にたいして、後世の思想を加えずに、素直な気持ちでのぞみ、古代人の心を知るべきであると主張しました。
塙保己一(武蔵出身の盲目の学者)は国学の研究を進めるため、幕府に働きかけ和学講談所を設立し、「群書類従」を編纂します。
本居宣長の死後、教えをうけついだ平田篤胤は、儒教や仏教を排斥し、共鳴する人々も出ました。
なかには、外国のものはすべてよくないとし、日本中心の復古思想を抱くものも出ました。
こうした思想が広まる中で、アメリカやヨーロッパ諸国が日本に開国を求めに来るようになると、攘夷思想が生まれました。
国学からは天皇が統治していた古代が理想の社会とする考えが生まれ、尊王思想となっていきます。
洋学
洋学も18世紀初めの新井白石らの研究から道が開かれました。
吉宗の時代に漢訳洋書の輸入制限が緩められ、田沼時代の「解体新書」の訳述がされました。
長崎に寒暖計、望遠鏡などが輸入され珍重する人が増えました。
蘭学や蛮学と呼ばれて西洋の学問に関心を抱く人が増えました。
18世紀半ばには天文台が作られ、19世紀初めには蛮書和解御用という役所を作り、ヨーロッパの書物の翻訳を始めました。医学の研究の為に種痘所も作られました。種痘所は明治になって東京大学のものになります。
民間では19世紀前半に長崎出島のオランダ商館のドイツ人医師シーボルトが長崎郊外に鳴滝塾をひらき、緒方洪庵が大坂で適々斎塾(適塾)を開き、福沢諭吉や大村益次郎らの人材を養成しました。
天保8(1837)年、アメリカ船のモリソン号が異国船打払令によって撃退される事件が起きます。この事件を知った、蘭学研究の尚歯会をつくっていた渡辺崋山、高野長英らは幕府の鎖国政策を批判します。これに対して幕府は処罰します。蛮社の獄と呼ばれる事件です。
幕藩体制の動揺とともに、様々な批判がされるようになります。
18世紀初め、古文辞学者の荻生徂徠は都市膨張の弊害を指摘しました。武士の土着を主張しましたが、弟子の太宰春台は武士が商業活動に乗り出して専売制度で利益を収めるべきと主張しました。
18世紀前半に八戸の医者・安藤昌益は「自然真営道」をあらわし、身分制の世を否定しました。
大坂の商人らによって設立された幕府公認の学問所である懐徳堂から徳永仲基、山片蟠桃らがでて儒教や仏教など既成の教学の権威に疑問を呈しました。
封建社会の矛盾を打開する議論が展開されました。
- 海保青陵:商売を卑しめる武士の偏見を批判して藩財政の再建を商工業によるべきと主張
- 本田利明:貿易振興による富国増進の必要を力説
- 佐藤信淵:産業の国営化と貿易の振興を主張
尊王思想
- 水戸学:儒学を基盤にした尊王思想で、天皇を王者として尊ぶ観念的な形で発達
- 宝暦事件:18世紀半ばに竹内式部が京都で公家に尊王論を説いて追放刑
- 明和事件:山県大弐が江戸で尊王論を説いて幕政を批判したため、死刑の処せられる
幕末になると、尊王論は政治運動と結びつき、明治維新を生み出す勢力に発展します。
参考文献
- 江戸博覧強記(上級)江戸文化歴史検定協会編
- 倉本一宏「紫式部と藤原道長」
- 高橋典幸、五味文彦編「中世史講義ー院政期から戦国時代まで」
- 古瀬奈津子「摂関政治」(シリーズ日本古代史⑤)
- 山本博文「歴史をつかむ技法」
テーマ別日本史
政治史
- 縄文時代と弥生時代
- 古墳時代から大和王権の成立まで
- 飛鳥時代(大化の改新から壬申の乱)
- 飛鳥時代(律令国家の形成と白鳳文化)
- 奈良時代(平城京遷都から遣唐使、天平文化)
- 平安時代(平安遷都、弘仁・貞観文化)
- 平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)
- 平安時代(荘園と武士団、院政と平氏政権)
- 平安時代末期から鎌倉時代初期(幕府成立前夜)
- 鎌倉時代(北条氏の台頭から承久の乱、執権政治確立まで)
- 鎌倉時代(惣領制の成立)
- 鎌倉時代(蒙古襲来)
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- 室町時代(室町幕府と勘合貿易)
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