灰原薬氏による「応天の門」の第14巻です。
時期の特定が厄介です。前巻では土師忠道の昇進時期から865年(貞観7年)と推測しましたが、この巻で藤原良房が病から政務を退きます。
藤原良房が病でいったん政務から退くのは864年(貞観6年)の冬と考えられています。
すると、本書の時期は864年(貞観6年)の冬ということになります。
舞台となる時代については「テーマ:平安時代(藤原氏の台頭、承平・天慶の乱、摂関政治、国風文化)」にまとめています。
全巻の目次
第14巻の基本情報
登場人物紹介:恬子内親王(てんし/やすらけいこ/やすこないしんのう)
恬子内親王(てんし/やすらけいこ/やすこないしんのう)は第31代伊勢斎宮です。父は文徳天皇、母は更衣・紀静子です。
斎宮としては、貞観元年~貞観18年まで務めています。清和天皇の即位にともなって斎宮となり、貞観3年(861年)に伊勢に下りました。
「伊勢物語」の第六十九段に「斎宮なりける人」という呼び名で登場する女性がいます。この人物を恬子内親王とする解釈があります。
本書はこれを下敷きにしています。
勅使となった在原業平と一夜契ったされ、内親王が懐妊したという前代未聞の不祥事になります。
本来は生まれて来ることの許されぬ子供です。
伊勢権守で神祇伯の高階峰緒は処置に苦慮し、生まれた子を師尚と名付け、我が子茂範の養子としました、という伝説があります。
史実か否かを巡って論争が続いているようです。
この逸話から、高階氏は伊勢神宮に憚はばかりある家系とされ、伊勢神宮に参詣することを許されない家系となったとされます。
関係年表
ーーー第14巻はここからーーー
- 864(貞観6)
- 富士山噴火(貞観大噴火)富士山噴火史上最大
- 亡くなった人物(円仁(入唐八家))
- 865(貞観7)
- 大きな出来事がありませんでした。
ーーー第14巻はここまでーーー
- 866(貞観8) 応天門の変
- 最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師の諡号が授けられる
- 応天門の変(応天門炎上し、伴善男が罰せられる)
第14巻の「道真の平安時代講」【解説】本郷和人
- 伊勢神宮は天照大神を祀る内宮(皇大神宮)と豊受大神を祀る外宮(豊受大神宮)の2つの神社から構成されており、外宮→内宮の順に参拝するのが正しいルートになります。三種の神器のうち、最も格の高い八咫鏡があります。
- 伊勢神宮の祭祀を司る未婚の皇女を斎王と言いますが、平安時代以降、京都の賀茂神社におかれた斎王と区別するため斎宮と呼ぶようになりました。
- 牛車は貴族の一般的な乗り物でしたが、六位以下の人は乗るのを禁じられていました。権威を示すことが大切だったからです。乗り降りは独特で、乗るときは後方から、降りるときは牛を外して、踏み台を使って前から降りました。
- 何か変事があると朝廷は法会を行いました。疫病がはやったときも法会が行われます。疫病を鎮める神さま仏さまは、感神院祇園社(八坂神社)の牛頭天王が信仰されました。牛頭天王は薬師如来の化身であり、スサノオ神でもあります。
物語のあらすじ
在原業平、伊勢に呼ばれる事
20年前、紀名虎邸に忍び込んだ在原業平は相手を間違えて静子の所にいってしまいました…。
伊勢の斎宮寮より知らせがあり、富士山の噴火を鑑みて特別の計らいをすることにしたいという知らせがありました。
清和天皇は奉幣使として在原業平を遣わすことにします。
伊勢の斎宮は、帝の即位に合わせて占いによって皇女の中から選ばれました。今の斎宮は帝の異母姉にあたる恬子内親王が役目に就いていました。恬子の母は紀静子(三条)でした。
紀有常が在原業平に奉幣使に指名したのが妹の静子であると伝えました。
在原業平は静子からの密書を読みましたが、意味がさっぱり分かりません。
そこで菅原道真を訪ねましたが、道真は絶対に伊勢に行かないと言いますが、在原業平が頭をさげ何とか承諾させました。
静子から送られてきた密書は薛濤(せつとう)という唐の伎女の詩です。閨で男を待つ寂しい伎女の恋歌です。
続く詩の中に一文字書き損じがありました。地名の蜀を燭と書き間違えているのです。なぜ…。
その頃、恬子の寝所に忍び込もうとした者を静子の侍女たちが捕まえました。手引きしたのは侍女の小雛です。
翌日、奉幣使の在原業平が斎宮寮に到着しました。
そして静子の口から斎宮の恬子が妊娠していることを聞かされます。相手は伊勢神祇官の四男の峯雄です。
災厄が多いときに祈りを捧ぐべき斎宮の身が穢されることなどあり得ません。斎宮が子を産んだと噂されれば父は誰ということになります。
そこでたまたま都から使いで訪れていた好色の爺と一夜の過ちがあったとすれば…。
在原業平は静子から恬子の罪をかぶってほしいと頭を下げられました。はめられたのです。
恬子は10の時から峯雄を慕っていたと母・静子に話しました。
菅原道真は父・是善の言いつけで島田忠臣の屋敷に橙を届けに行くことになりました。そして忠臣の屋敷前で藤原基経と出会い、車に乗るように言われます…。
伊勢では在原業平がすべての罪を背負う覚悟を決めていました。
在原業平は峯雄、小雛に覚悟を問いました。そして、恬子を神宮に行かせないように道中で凶兆が起きるように画策しました。
藤原良房、病に臥す事
藤原基経の所に、義父の藤原良房の体調が悪化したという知らせが届きました。
基経は急いで良房の屋敷に向かいました。すると、すでに伴善男が見舞いに来ていました。
基経が良房の顔を見るために寝所に向かいましたが、危篤ではない良房の姿を見てギョッとします。
試されたのか?いや、でも病は本物でした。
良房はしばらく参内しないと言います。帝の前には参らずに政をするというのです。それは事実上の摂政です。