社号標のある境内入り口そばを国道125号の阿見美浦バイパスが走っています。
入り口の位置は、バイパスの高さから1.5メートルほど下がっています。
延喜式神名帳の常陸国信太郡二座の一社「阿彌神社」の2つの論社の一社です。もう一社は竹来(たかく)にある阿彌神社です。古代社格制度の常陸国の式内社の論社です。
フツヌシとタケミカヅチの記紀伝説にちなんだ神社です。
主祭神は豊城入彦命ですが、フツヌシが主要な祭神になっています。もっとも、江戸時代はタケミカヅチを祀っていたようです。
近くにある式内社・楯縫神社と、もう一つの竹来の阿彌神社のいずれもフツヌシを祀っています。フツヌシと言えば、香取神宮の主祭神です。
霞ヶ浦の南側は、香取神宮と鹿島神宮の影響が強いエリアです。
最寄りはJRの土浦駅です。約 3.7kmあります。歩けないことはないですが、バスの利用が良さそうです。
車での訪問がおススメです。境内に数台停める場所があります。
阿彌神社(阿見町中郷)の歴史
阿彌神社
祭神 豊城入彦命。経津主命
由緒
崇神天皇十八年、豊城入彦命、東国に荏み曽て比地に到り昔建御雷経津主二大武神平国の功を憶い、其の上天地なるを思びて慨然としていわく「皇祖の天下を経営せらるるや、阿彌普都実に能く天業を輔弼せり両神功成りて天に還りしは、蓋し是の地なるか」とこれより阿彌郷と名付け、この地に命を祭る。明治六年八月郷社に列す。
明治三十九年十二月当村内の熊野神社・香取神社・天照大神宮・皇産霊神社を、明治四十一年四月鹿島神社・愛宕神社・八坂神社・八幡神社・熊野神社・鈴神社・八幡神社・稲荷神社を同年五月十握神社を合併す旧阿見村の鎮守の社として崇拝され岡崎、中郷、西郷、立之越の四地区より総代が選出され八名の氏子代表が阿彌神社の祭祀行事等を司り慣習の伝承に務め先代より今日迄引継がれている・
境内社
青麻神社、道祖神社、八幡神社、稲荷神社、日枝神社、諏訪神社
案内板
社伝によれば、創建は和銅元年(708年)です。
竹来の阿彌神社の創建時期については、諸説ありますが、和銅の頃という説もありますので、似たころに建てられたようです。
おそらく周辺には広大な香取海が広がっていたころです。
香取海と関係するのか、当社に大毒魚の伝説があります。
持統天皇の時代に、海原に海の神少童の神が現れ、この海原にいる大毒魚を退治しないと国家の問題になると言って消えました。
そこで、村内に社殿を建て、海神社として祀ったのが始まりです。
海(ウミ)が網(アミ)となり、孝謙天皇の時代の勝宝二年(750)に神託によって豊城入彦命を合祀したというのです。
阿彌神社(阿見町中郷)の見どころ
一の鳥居
参道
ほんの少し前まで、神社は鬱蒼としていたのではないかと思います。
というのは、境内を歩いていくうちに、多くの切り株が残っているのに気が付いたからです。
神社ができたころは、本当に森の中にある感じだったのではないでしょうか。
手水舎
拝殿と本殿
拝殿です。左右が開けていますが、最近木をだいぶ切ったようです。
境内社など
稲荷神社
旧霞ヶ関神社
場所と地図
〒300-0337 茨城県稲敷郡阿見町中郷2-25-1