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天恩山五百羅漢寺の参詣記-歴史と見どころ紹介(東京都目黒区)目黒のらかんさん

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目黒不動から目黒駅目指して散歩開始です。道々最初に出会ったのが天恩山五百羅漢寺です。

この日のルートは、不動前駅→目黒駅。

不動前駅 ⇒ 目黒不動(瀧泉寺) ⇒ 天恩山五百羅漢寺 ⇒ 永寿山海福寺 ⇒ 蟠龍寺 ⇒ 目黒の太鼓橋 ⇒ 大円寺 ⇒ 目黒駅

目黒駅を目指しての散歩道

天恩山五百羅漢寺はもともと本所五ツ目(現在の江東区大島)にありました。

五代将軍徳川綱吉、八代将軍徳川吉宗の援助を得て繁栄し、「本所のらかんさん」として親しまれていました。

現在は「目黒のらかんさん」として親しまれているそうです。

天恩山五百羅漢寺
東京都重要文化財 目黒のらかんさん
宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。

らかんさんとは

らかんさんは お釈迦さまのお弟子さんで実在した人々です。

お釈迦さまの説法を実際に聴き

教えのとおりに修行に励んで煩悩を払い聖者になったのです。

修行を積んで煩悩を払い

真実の智慧を完成した聖者をインドで「アラハン」と讃えました。

仏教が中国に伝わり「アラハン」の発音をそのまま生かして「阿羅漢」と表現。

使い慣れるうちに「阿」がとれて「羅漢」と呼ばれるようになったのです。

お釈迦さまが亡くなられたときに集まった500人のお弟子さんたちが

「五百羅漢」のモデルであるといわれています。

「らかんさん」は、後世の人々にお釈迦さまの教えを伝えていきました。

「らかんさん」が存在しなかったら

私たちはお釈迦さまの教えを知ることができなかったでしょう。

http://rakan.or.jp/haikan/about

五百羅漢寺の歴史

由来は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて作りあげたものです。

以来、五百体以上の群像作られ、東京都重要文化財に指定されています。

「目黒のらかんさん」として親しまれている天恩山五百羅漢寺の羅漢像は、元禄時代に松雲元慶禅師が、江戸の町を托鉢して集めた浄財をもとに、十数年の歳月をかけて彫りあげたものです。五百体以上の群像が完成してから三百年の星霜を重ね、現在は東京都重要文化財に指定されています。(現存305体)天恩山五百羅漢寺は元禄八年(1695) 本所五ツ目(現在の江東区大島)に創建されましたが、明治維新とともに寺は没落し、明治四十一年、目黒のこの地に移ってきました。長年の風雪に耐え、昭和五十六年に近代的なお堂が完成し、名実ともに「目黒のらかんさん」としてよみがえりました。

どうぞゆっくりと「目黒のらかんさん」にお参りください。

http://rakan.or.jp/

五百羅漢寺の概要

項目内容
山号天恩山
院号
正式名
開基松雲元慶、開山は鉄眼道光
宗派浄土宗系の単立
本尊釈迦如来
備考

五百羅漢寺の文化財

  • 木造釈迦三尊及び五百羅漢等像 305躯

地図

東京都目黒区下目黒3丁目20−11

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