覚書/感想/コメント
遊部は「あそべ」と読む。古代において「部民(べのたみ)」とよばれる職能集団があった。特殊な物資などを生産して貢献する部族で「遊部(あそびべ)」もそうした一つだった。
遊部は古代の葬送儀式に関わる呪術集団だったようである。やがて、歴史上からは消えるのだが、その一部が東大寺の宝物庫を護る任を負っていたのだとか。読みも「あそびべ」から「あそべ」とかわり、現在もその末裔がいるのだそうだ。
ほう、そういう特殊な集団が主役となる伝奇小説なのだね。なになに、「蘭奢待」がキーワードか。蘭の中に東、奢の中に大、待の中に寺、別名「東大寺」と呼ばれる香木。これを切り取った信長の手元から全てを奪いかえせ。
きっと「遊部」の連中が空を飛び、地を駆け抜け、縦横無尽に活躍するのだろう…。
いやいや、そう期待してしまった。
どっこい、読んでいる内に、なにやら物語が錯綜している感じに襲われた。あれも書きたいこれも書きたい。そうした思いがあり、壮大すぎる構想のわりには紙面が少なすぎて、空回り。そんな印象だ。
人によっては混乱していると感じるかも知れない。つまり、何を中心に書きたいのかが読んでいる内に分からなくなってしまうのだ。
最初に出てくる「蘭奢待」は、途中で「ん?忘れられたか?」と思うほど、影も形も出てこない。もちろん、字面では登場するが、実体を伴わないので、そう思えてしまうのだ。
これが途中で消えてしまうのは、他に書きたいことを挿入し始めているからだ。文庫でわずか八〇〇頁に満たない小説の中に、いくつもの要素を放り込むとこうなる。
登場人物に関しても、空回りが続く。
東大寺の大仏炎上とともに生まれたオト。これが主人公なのかと思っていたら、どうも違う。「遊部」が主人公であり、オトはその一人でしかない扱いだ。だったら、最初のシーンは不要だ。
そして、これがかなりの問題だが、阿国の登場。いわゆる「出雲の阿国」が「遊部」の一員だったという設定なのだが、なぜそうしたのかが分からない。
この阿国を登場させてしまうと、それなりに紙面を割かなければならない。現にそうなり、そのため前述の「蘭奢待」にまつわる攻防などが彼方に追いやられてしまっている。
もちろん、阿国の登場には意図がある。「遊部」は東大寺の宝物庫を守るために、各地で東大寺に手を出すと祟りがあると告げ、ふれまわっていたそうだ。
本書ではその役目を果たす隠れ蓑として稚児踊りの一座を立ち上げている。その一員として阿国がいるのだ。
だが、阿国じゃなくてもいいんじゃない?さらにいえば、そうした噂を広めるのは稚児踊りじゃなくてもいいんじゃない?そうした事実があったことを記せばいいわけで、ストーリーの脇道としては大きくすべきものじゃなかったような気がする。
阿国を削って、津田宗及、村上新左衛門らをもっと前面に出した方がスッキリしたと思う。
さらに、登場の意味が分からなかったのが、破邪王。いや、そりゃ、「遊部」の伝説に絡んでの登場というのは分かりますよ。でも、なぜ後半にさらに後半に新たに登場させる?しかも、あの最後…。
そもそも、「蘭奢待」奪還を巡る話以外に、ストーリーが多すぎる。津田宗及が東大寺の宝物庫を狙うというのは、この筋書きの中にあって問題はないと思う。
村上新左衛門が、旧主松永久秀をおとしめる噂をばらまく「遊部」を狙うというのも問題はないだろう。だが、前述の阿国の稚児踊り、信長と宮廷の対立、遊部に伝わる伝説…。すべてが、中途半端に処理されて、読んでいてかなりイライラした。
また、時間の経過も大きな問題だ。信長の時代から秀吉の時代まで連綿と時が流れる。
読み始めた時点では、本能寺の変前後で話が完結するなぁと思っていた。もしくは、本能寺の変をまたがせるにしても、本能寺の変となにかを強く絡ませるだろうと、思っていた。
あっさりと、本能寺の変は通りすぎた。ははは、そよ風程度だった。
一体何のために本能寺の変を出したのか…。ストーリーの展開上、この本能寺の変前後で終わらせることは出来たはずだし、これで「遊部たちのその後はよくしらない…」と終わらせた方が良かったんじゃないか。
「遊部」という恵まれた素材を題材にしながら、あちゃこっちゃに手を出して空回りした、もったいない作品。
内容/あらすじ/ネタバレ
永禄十年(一五六七)。奈良の東大寺の大仏殿が焼けていた。三好勢と松永久秀勢の争いの中での出来事であった。
この混乱の中、薬師院の片隅で一人の女が男の子を産んだ…。
天正二年(一五七四)、突然織田信長の使者がやってきて蘭奢待を拝見したいといってきた。信長は蘭奢待のある倉を開けさせ、中に入っていった。付き添う者の中に、堺の天王寺屋主・津田宗及の姿もあった。
信長は蘭奢待を切り取り、わずか数日後にこれらをさらに細かくしたものを津田宗及、千宗易、村井貞勝にも分け与えていた。
東大寺薬師院の実祐は、ある男を訪ねた。その男しか考えられなかった。寺ヶ谷に住むその男の一族は遊部と呼ばれていた。一族は東大寺の正倉院を守ってきていた。だから、この度の信長の所行には男も怒りをあらわにしていた。
三年が過ぎた。実祐は男たちに名を与えた。頭目には「天犬(アマイヌ)」と名付け、その他にシキョウ、オカツギ、ハエン、トウメと名付けた。最も若い二人にはオト、スガルと名付けた。二人は東大寺で生まれ育った男だった。目的は一つ。信長に切り取られた蘭奢待を全て取り戻すこと。
その頃、津田宗及は意外な人物に出会っていた。信長に反旗を翻して、滅ぼされた松永久秀の側近・村上新左衛門だ。
まさか生きているとは。その村上が宗及に松永久秀の形見をくれた。これは無念の分かる人に渡してくれてと頼まれたものだった。宗及はこの男なら自分の気持ちが分かってもらえるかも知れない、そう思った。形見をあずかる代わりに東大寺の正倉院を破ってもらいたいと頼んだ。
天正六年(一五七八)。蘭奢待の一部が尾張の一宮、真清田神社に奉納されていることが分かった。シキョウはこの仕事をオトとスガルの二人にやらせてはどうかとアマイヌにいう。二人が一人前の遊部に育ったかを試してみる絶好の機会だ。
同年、オトとスガルははじめて海をみた。堺の湊に来ていたのだ。信長による閲艦式が行われるというのだ。信長をみる絶好の機会だ。
実祐は京都所司代の村井貞勝にオトとスガルの二人を使ってもらうように願い出た。村井貞勝は蘭奢待を所持している。それを奪うために二人を潜入させたのだ。
村井貞勝に所に潜入して二年。初めて蘭奢待のある場所を確かめる機会が巡ってきた。だが、スガルはその物を見つけることが出来なかった。
信長が明智光秀によって本能寺で殺された。まさか謀叛とは思っていないから京都所司代の反応も遅れた。たとえ駆けつけたとしても数の上でどうにもなからいのは明白だったが、村井貞勝は出陣した。この際に、スガルに蘭奢待を渡した。
トウメたちは稚児踊りんお一座を率いて東大寺に手を出すと祟りがあると噂をばらまいていた。これ以上、正倉院などに手を出させないための方策だ。
信長が滅んで、まだ天下の趨勢は決していなかった。畿内ではいくさが絶えないでいた。
本書について
目次
序章 大仏炎上
第一章 蘭奢待
第二章 天王寺屋宗及
第三章 闇の狭間
第四章 恋
第五章 松籟
第六章 春日野
第七章 本能寺
第八章 遊行
第九章 鎮魂
第十章 破邪王
第十一章 強奪
第十二章 北野決戦
登場人物
オト=於菟
スガル=陷セ陟茀
アマイヌ=天犬、頭目
シキョウ=鴟梟、祭主
オカツギ=尾被
ハエン=巴猿
トウメ=妻女
阿国
阿菊
実祐…東大寺薬師院院主
九条稙通(行空法師)…前関白
お通
誠仁親王
勧修寺晴子
津田宗及
おあむ
村上新左衛門
織田信長
村井貞勝
破邪王