記事内に広告が含まれています。

歴史上の人物

寺社

護良親王とは?護良親王墓所の参詣記-歴史や見どころは?(神奈川県鎌倉市)南北朝時代の悲劇の皇太子

護良親王(大塔宮)は後醍醐天皇の第三皇子です。南北朝期に活躍した皇族です。大塔宮(おおとうのみや)と称しました。
歴史上の人物

茂姫(広大院)とは? 島津家から最初に将軍家に嫁いだ薩摩藩の姫

島津重豪に娘が生まれたら、徳川一門と縁組みさせるように遺言して竹姫は亡くなり、重豪に娘が誕生します。重豪の娘の幼名はお篤、その後に茂姫と改めます。後の広大院です。
歴史上の人物

天璋院篤姫とは?幕末の薩摩藩から将軍家に輿入れした御台様の生涯

天璋院とは、夫であった十三代将軍徳川家定(一八二四~一八五八)が亡くなったことによって与えられた院号である。生まれた時は「於一(おかつ(一子:かつこ))」と命名され、島津宗家の養子となった時に「篤姫」と改めて幕府に実子として届けられた。
歴史上の人物

竹姫(浄岸院)とは?五代将軍綱吉の養女と薩摩藩の関係

薩摩藩と将軍家の結びつきを語る上で、必ず登場するのが竹姫である。そして、この竹姫が強めた薩摩藩と将軍家との繋がりこそが、後に篤姫(天璋院)が十三代将軍家定の正室になるための布石となる。
歴史上の人物

調所広郷とは?幕末薩摩藩の回天資金を創り出した男

調所広郷こそが、(これもまた本人の意図とは違っているようだが)薩摩藩を幕末期に躍動するための回天資金を用意した人であり、調所広郷がいなければ幕末の薩摩の活動はあり得なかった。
歴史上の人物

直江兼続とは?「愛」の兜の前立を持つ上杉家の智将

直江兼続は兜の前立には「愛」の文字が飾られた。珍しい前立てである。だが、この「愛」の意味は、現代的な、相手を慈しむといった意味や、相手のためを思って願うなどといったものではない。