
咲柳山報土寺の参詣記-歴史や見どころは?(東京都港区)伝説の力士・雷電為右ヱ門墓のあるお寺
咲柳山報土寺の歴史江戸時代の慶長十九年(1614年)に朝倉左衛門義景の子孫である永受法師による創建されました。創建時は赤坂一ツ木大沢の里(現在の赤坂五丁目辺り)にありましたが、幕府の用地取り上げにより、安永九年(1780年)現在の場所に移り...
赤坂見附駅から青山通りを青山方面に上っていく右手に見える。本院は愛知県豊川市にあり、日本三大稲荷にも数えられている。この東京別院は本院の唯一の直轄別院(飛び地境内)である。江戸時代に名奉行で知られる大岡越前守忠相が信仰していた豊川稲荷の分霊を勧請し、屋敷稲荷として祀っていたのが始まり。
鹿島の地は古来から中臣氏にゆかりが深い土地だったようだ。中臣から藤原に姓を変えた藤原家が鹿島神宮を特に篤く信奉したことは知られるが、鹿島こそが、藤原氏繁栄の礎を築いた祖・中臣鎌足の出生の地という説がある。
息栖神社(いきすじんじゃ)は鹿島神宮、香取神宮と並んで「東国三社」の1社に数えられる。「忍潮井(おしおい)」と呼ばれる2つの井戸がある。伊勢(三重県)の明星井(あけぼのい)、伏見(京都府)の直井(なおい)とともに「日本三霊泉」の1つ。
一の鳥居ということは、ここがかつての香取神宮への表参道口になる。鳥居を背にすると、正面方向には香取神宮の奥宮がくる。