寒川神社(さむかわじんじゃ)は、千葉県千葉市中央区にある神社です。
最寄り駅は本千葉駅。
式内小社、旧社格は村社。延喜式神名帳にある下総国の寒川神社がこの神社とされます。
論社として、船橋市にある二宮神社があります。
なお、神奈川県にある寒川神社とは別です。神奈川県の方は、相模国の一之宮。
本千葉駅から15分程度のイメージ。歩いていると、いきなり現れる印象です。
海の近くにある神社で、海の神として信仰を集めました。
古代の海岸線がどうなっていたのか不明ですが、当社が古くから現在地にあったのだとすると、このあたりに漁業で生計を立てている集落があり、港もあったのでしょう。
古くから海上安全の神として信仰され、江戸時代には10石の朱印社領を有していました。
道路そばに建っています。一の鳥居。
駐車場は2台程度止めるスペースがありますが、道路側の駐車スペースのため、出るときに注意が必要です。
近隣の駐車場に止めて歩くのが無難です。
手水舎の奥が駐車スペースです。
比較的近くの蘇我駅には式内社の蘇賀比咩神社があり、船橋側には意富比神社(船橋大神宮)があります。
いずれも日本武尊に関連していますが、本社は関係がないようです。
寒川神社の歴史
度重なる火災で古記録がすべて焼失したため、創建年代については不詳です。
謙虚な神社のようで、ホームページでも、式内社であることを強調していません。
創建時期についても、不詳という姿勢を貫き、確認できる史料から、それ以前の創建とのみ記しています。
今時珍しいです。
その現存する最も古い史料とは御神宝の獅子頭で、そこに文明十三年(1481年)に社殿と獅子頭を修復した旨の記録があるそうです。
古くはそれなりの敷地を有していたのでしょうが、現在はこじんまりとした神社になっています。
由緒
当社は、古くから海の神として崇敬され盛んに信仰を集めました。当社の沖を船で航行するものは「礼帆(れいはん)」といって帆を半ばまで下ろして敬意を示し、社前を馬で通行するものは必ず馬を下りて下馬の礼をとったと伝えられております。
http://chiba-samukawa-jinja.or.jp/about/
当社の霊験あらたかさを伝える話として、獅子頭に関する言い伝えがあります。その昔、漁師の網に獅子頭がかかり、これを祀ったところ沖を航行する船の沈没が相次ぎました。これは獅子頭の祟りであろうと、当社社殿の下に石室を作って封じ込めたところ、船の事故がぴたりと止んだというものです。この獅子頭は御神宝として今も当社に所蔵されています。旧寒川村は佐倉藩領で、佐倉藩の年貢米を江戸に廻送するための御用港として、また一大漁業基地として、隣接する千葉町(現在の千葉市街)にも勝るとも劣らない賑いをみせました。寒川村領は現在の氏子町会となっている11ヶ町の他に、多数の飛び地を有しており、寒川神社は、その総鎮守として広く崇敬されました。徳川幕府からは社領として十石を寄進されました。
時代が下って明治に入ると当社は村社に列しましたが、寒川に魚市場が設置されたこともあり、千葉や寒川の魚問屋を中心とした旦那衆から盛んに信仰されました。神社に残る当時の大絵馬には魚問屋が屋号をつらね、寒川神社が海の神として篤く崇敬されていたことを伺い知ることができます。
この時代の寒川の象徴は、なんといっても神輿の「御浜下り」でした。白砂青松の出洲海岸に立つ大鳥居から、立ち並ぶ提灯の灯かりにあやしく輝く神輿が海中に渡御する様は、まさに圧巻の一語であったといいます。そして、この「御浜下り」こそが、海の神・寒川神社の神威を示し、漁師町寒川に生きる人々の誇りであったのです。
寒川神社の見どころ
二の鳥居
寒川神社神楽殿
境内社合殿
茅の輪
茅の輪。蘇民将来の説話に由来する行事。蘇民将来はスサノオと習合しているので、スサノオの神事と言っても良いかもしれません。
社務所
拝殿と本殿
寒川神社の概要
項目 | 内容 | |
---|---|---|
創建 | 不詳 | |
主祭神 | 天照大御神 寒川比古命 寒川比売命 | |
社格等 | 古代社格制度 | 式内社 |
中世社格制度 | ― | |
近代社格制度 | 村社 | |
現代の制度 | ― | |
その他 | ― | |
備考 | 例祭 8月20日・21日 |
公式ページ
地図
所在地: 千葉県千葉市中央区寒川町1-123
電話: 043-222-0438