東船橋駅を降り、南へ1kmほどのところにあります。
名門・県立船橋高校を過ぎ、市立中学を過ぎたところに参道入り口があります。
かつては海がもっと近くにあったのだろうと思われます。
周辺の高台に鎮座しているのは、他の海に近いところに鎮座する式内社と同じです。
茂侶神社(もろじんじゃ)の歴史
茂侶神社(もろじんじゃ)は「延喜式神名帳」に「下総国葛飾郡 茂呂神社」と記載される式内社です。
社名の「茂呂」は、大和国三輪山の旧名「御諸山(みもろやま)」の「モロ」のことであるとされます。
三輪山の麓には、三輪山を神体山とする大神神社があり、大物主命を祀っています。
千葉県の下記三社が論社とされています
- 茂侶神社(流山市三輪野山)旧村社
- 茂侶神社(松戸市小金原)旧村社
- 茂侶神社(船橋市東船橋) 当社
これらの他に、流山市の茂呂神社の分社である埼玉県吉川市三輪野江の三輪神社も式内・茂呂神社と称されることがあります。
いずれの神社も創建の由緒は不詳です。
流山市と松戸市の茂侶神社は大物主命を主祭神としています。
吉川市の三輪神社は大己貴尊(大国主)が主祭神。大己貴尊(大国主)=大物主命ですので、主祭神は同じです。
船橋市の茂侶神社は木花咲耶姫命を祭神としています。
本社は茂侶浅間神社とも呼ばれます。社殿の神紋は、静岡の浅間神社と同じ神紋の棕櫚葉。
当茂侶神社の起原は古く延喜式神名帳に、下総國葛飾郡二座、茂侶神社・意富比神社とあり、今を去る千六百年前すでにこの地に鎮座されて居たのであります。
引用元:境内由緒書き
愛媛縣越智郡瀬戸内海大三島祭神は阿多の豪族大山祇神の姫御子で日本の女性の表徴である木花開耶姫を祀り、古来縁結び安産子育ての神として、地元民の崇敬する処でありました。
摂社として祭神の姉命磐長姫を祀り小御嶽神社と申して居ります。
三代実録に清和天皇の貞観十三年十一月十一日下総國従五位下茂侶神に従五位上を授く、とあり又陽成天皇の元慶三年九月二十五日下総國正五位下茂侶神に正五位上を授くとあります。
西北にある湧池は天の眞名井と称する当社の神池であります。
江戸名所図会によれば、年の始に隔年この神域より柳営に根引の若松を選び上納する旧例とす、とあります。
古来例祭は旧暦6月1日に行う。
茂侶神社の見どころ
参道
よく言えば自然に近いです。
寂れた感じですが、近隣の方々が手入れをしているようで、鬱蒼とはしていません。
大事にされているように感じました。
鳥居
手水舎
拝殿と本殿
裏参道
摂社・御嶽神社
社殿の後方の裏参道に境内社。境内由緒書きにある磐長姫命を祀る御嶽神社。磐長姫命は木花咲耶姫命の姉神です。
茂侶神社の概要
社格等
古代社格制度 | 式内社(論社) |
中世社格制度 | ― |
近代社格制度 | ― |
現代の制度 | ― |
創建 | 不詳 |
主祭神 | 木花咲耶姫命 |
備考 | ― |
地図
所在地: 〒273-0002 千葉県船橋市東船橋7-20-1