勝浦方面から鴨川方面へ走ると、左側に海、右側に山となります。
日蓮生誕の地である誕生寺を過ぎ、もっと鴨川へ近づいたところで、清澄寺への看板が出てきます。
このお寺自体がお目当てではなく、お目当ては、国指定の天然記念物となっている清澄の大スギです。
ここからが遠いです。山道を結構走り、ようやくたどり着きます。
日蓮宗の大本山の一つで、日蓮が出家得度および立教開宗した寺とされます。
久遠寺、池上本門寺、誕生寺とともに日蓮宗四霊場と呼ばれます。
七大本山のひとつでもある。身延山久遠寺(山梨県南巨摩郡)を総本山とし、大本山は下記の通りです。
清澄寺の歴史
日蓮は鎌倉時代の1233年(天福元年)12歳で入山しました。後に出家得度しています。
京都へ遊学し、1253年(建長5年)に帰山すると、4月28日(5月26日/6月2日)朝、日の出に向かい「南無妙法蓮華経」と題目を唱え、立教開宗を宣言しました。
この日の正午には清澄寺持仏堂で初説法を行ったといいます。そして、名を日蓮と改めました。
縁起
山頂近くに古い柏の木があり、千光を発していたことから山号を千光山としました。
また、柏の木の下に水の涸れた池があって、加持すると清泉がたちまちに沸いたことから寺号を清澄寺としたといわれます。
千光山清澄寺はおよそ1200年の昔、”不思議法師”と名付けられた僧侶が千光を発する柏の木で虚空蔵菩薩の仏像を彫り、その仏像の前で21日間修行をしたことに始まります。
承和3年(836)、天台宗比叡山延暦寺の中興の祖慈覚大師円仁師がこの地を訪れ、その仏像の前で21日間の修行をしました。それ以来、当山は天台宗のお寺となり次第に栄えていきました。
ところが、室町~江戸期には度重なる火災と戦により衰退と復興を繰り返します。
大正期に入り日蓮聖人の銅像が完成したことでお参りの信者さんが増え、真言宗智山派と日蓮宗との間で改宗の話し合いがもたれました。
そして昭和24年、当山は日蓮宗に改宗し宗門直轄の大本山として現在に至ります。
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清澄寺の見どころ
案内図
仁王門
かつて天台宗だったのは、なんとなくわかります。山奥の密教寺院の雰囲気がとてもします。
仁王門の正面に見えるのが清澄の大スギ。思わず、おおぉ、っとなる風景です。
大堂(本堂)
報恩殿(つつじ)
鐘楼堂
祖師堂
中門
正保4年(1647)建立。昭和39年に千葉県指定有形文化財に指定されました。
清澄寺石造宝篋印塔と梵鐘
大クス
本院
日蓮聖人銅像
清澄の大スギ(国指定天然記念物)
1924年(大正13年)に国の天然記念物に指定されました。
樹高は約45メートル、幹回りは約15メートル。完全な単幹のスギとしては日本最大級。
推定樹齢は400年とも800年以上。土地の人々の伝承では樹齢は1000年とされ、古くからこの木を「千年スギ」とも呼ばれています。
かって、清澄の大スギの西側約30メートルのところに、ほぼ同じ大きさのスギがもう1本ありました。
1954年(昭和29年)の台風で倒れ、倒れたスギは年輪の数が380前後だったということから、清澄の大スギの樹齢も500歳以下である可能性があります。
清澄寺の概要
項目 | 内容 |
---|---|
山号 | 千光山 |
院号 | – |
正式名 | 千光山清澄寺 |
開基 | 開山…伝・不思議法師 創建年…伝・771年(宝亀2年) |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 十界曼荼羅 |
別称 | ― |
備考 |
寺格 大本山(霊蹟寺院) 札所等 安房国札三十四観音霊場17番、東国花の寺百ヶ寺千葉11番 |
文化財
指定 | 内容 |
---|---|
国宝 | ― |
重要文化財 | ― |
登録有形文化財 | ― |
県指定 | 有形文化財 |
清澄寺中門 清澄寺石造宝篋印塔 清澄寺石幢 梵鐘 旭森経塚遺物 |
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市指定 | 有形文化財 |
清澄寺石造宝篋印塔 木造薬師如来坐像) 木造如来立像 銅造観音菩薩立像 |
国指定 | 清澄の大スギ |
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県指定 | 清澄のモリアオガエル |
市指定 | 清澄の大クス |
場所など
〒299-5505 千葉県鴨川市清澄322−1