神崎の大クス
「こうざきのおおくす」。神崎神社社殿の右わきにあります。
大正15年(1926年)に国の天然記念物に指定されました。
利根川図志や、牧野富太郎の著書などでも紹介された有名な巨木です。
主幹は明治40年(1907)12月の社殿火災のときに焼失しました。
そのため、地上から7mほどのところで切断されています。
根本からでた5本の幹が親木をとり巻き、大きなものは樹高約25mになっています。
クスノキは日本では自生せず、大陸から移入されたと考えられています。
成長が早く、樟脳の材料とされます。
防虫成分を含むことから、虫害に強く、各地の社寺で大木が見られます。
古くからナンジャモンジャとして有名です。
水戸黄門こと徳川光圀が延宝2年(1674)にこの神社を訪れたとき、「この木は何というもんじゃろうか」と自問自答したことによるといわれています。
ちなみに、全国にナンジャモンジャの名称で親しまれている木はたくさんあります。
ナンジャモンジャという名が広がったのは、文化・文政頃の庶民の旅ブームにのってのことです。
古来、ナンジャモンジャの木といわれ、「利根川図志」「牧野富太郎科学随筆集」などでも紹介されてきたクスの木の巨木である。
延宝2年(1674)4月、水戸光圀公が当社参詣の折、「この木は何というもんじゃろうか」と自問し、感嘆されたという。
それ以来、この御神木は「ナンジャモンジャ」の名をもって広く知られわたっています。
主幹は明治40年に火災で焼け、高さ7メートルほどで切断されているが、そのひこばえがよく育ち、樹高20メートル以上に達している。
文化庁/千葉県教育委員会/神崎町教育委員会
周囲は県指定天然記念物「神崎森」に囲まれています。
神崎神社の歴史
神崎神社の創祀は、白雉2年(651)とも白鳳2年(673)とも伝えられています。
白鳳時代(645~710)に常陸国と下総国の境にあった大浦沼二つ塚より現在の地に遷座したと言われています。
明治期までは「子松神社」と称していました。
神社には神崎神社文書と呼ばれる千葉県指定の文化財があります。
神社関係の古文書や絵図で、鎌倉時代初期の承久3年(1221)から室町時代初期の応永2年(1395)に 編纂されたもので、当時の荘園・神社領関係を知る重要な資料です。
香取神宮の末社ではありませんが、香取神宮との深いつながりがあります。
まず、式年造営のときは「あさめ殿」を造る常役です。
また、「利根川図志」には大禰宜家の旧領であったと記されています。
祭神の天鳥船命も、香取神宮の経津主神と鹿島神宮の武甕槌神が大己貴命(=大国主命)と国譲りの交渉をした際、事代主神のもとへ使わされた神とされています。
鹿島神宮、香取神宮と「東国三社」の1社となっている息栖神社も主祭神は本社と同じアメノトリフネです。
香取神宮を起点にして、東に息栖神社、西に神崎神社となります。
何らかの意味があったのでしょう。
香取海(かとりのうみ)と強く関係しているのかもしれません。
また、この周辺は「神」の字がつく地名や「か」で始まる地名が多いです。
他に祭神として大己貴命と少彦名命が配されていますが、二柱とも国造りの神です。
大己貴命はのちに大国主命となり、国譲りの主役になります。
この祭神の組み合わせにはいろいろ考えさせられます。
神崎神社の見どころ
本殿
社務所
手水舎
階段
境内社
八坂神社
祇園信仰でしょう。このそばに駐車場があります。
案内板によると、この八坂神社は正徳2年(1712)に創建されたそうです。
「天王様」と親しまれ、信仰を集めていたが、明治元年に八坂神社に改称されました。
廃仏毀釈の影響です。廃仏毀釈については安丸良夫「神々の明治維新―神仏分離と廃仏毀釈―」に詳しいです。
祭神は建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)とされますが、お祭りは古くから女神の御輿といわれます。
古老の話では、「出雲の大蛇退治の神話の中で、後に命の奥方になられた櫛稲田姫(くしいなだひめ)をお祭りする」とも言われています。
神崎神宿以外にも神崎本宿、郡、古原地区に八坂神社が建立されている。
聖観音
地主稲荷
三峯神社
神崎神社(こうざきじんじゃ)の概要
社格
古代社格制度 | 式外社 |
中世社格制度 | – |
近代社格制度 | 県社 |
現代の制度 |
創建・主祭神など
創建 | 白鳳2年(673年) |
主祭神 | 天鳥船命、大己貴命、少彦名命 |
住所&地図
所在地:〒289-0221 千葉県香取郡神崎町神崎本宿1944
電話:0478-72-3161