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藤沢周平の「漆の実のみのる国」を読んだ感想とあらすじ(面白い!)

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覚書/感想/コメント

米沢藩中興の祖であり、江戸時代を通じて名君の誉れの高い上杉鷹山を主人公とした小説である。藤沢周平は以前に同じテーマで「幻にあらず」(「逆軍の旗」収録)を書いているが、藤沢周平としては珍しいことである。

同じテーマを最期の作品に選んだのは、一つには「幻にあらず」で書いた人物が実際とは異なっていたこと(例えば、藁科松柏が竹俣美作当綱より八歳歳下だったが、「幻にあらず」では歳上のように描かれている)や、書き足らなかった事柄が多かったためであろうと思われる。

そのことを裏付けるかのように、当時の米沢藩の窮状がいかにして成立したのかが克明に書かれているし、それに伴う、藩士の退廃ぶりも描かれている。

さて、上杉鷹山は名君の誉れが高いが、結局・藩主であった時代には米沢藩の財政が建て直ることはなかったようである。それは、天候不順による凶作が度々起こるという不幸な要因もあるが、財政再建の骨子となる殖産事業に失敗したという要素が大きい。だが、この失敗で鷹山を評価してはいけないだろう。

米沢藩のような窮乏に喘ぐ藩では、なにもやらない緊縮財政では破綻が目に見えている。成功するかどうかは不確定だが、何かをやらなければ未来が見えてこないのは確かである。抵抗はあったものの、それを断行したところに鷹山の真の評価があるのだろう。

これで、天候不順などの不幸がなければ、鷹山の評価はさらに上がっていたはずである。

改革が成功するかどうかは、その構想とは別の偶発的要因に左右されることが多いようである。そういう意味では、鷹山は今ひとつ運のなかった治世者だったのかもしれない。

同じく上杉鷹山を扱った小説に童門冬二の「小説-上杉鷹山」がある。

内容/あらすじ/ネタバレ

米沢藩の江戸家老・竹俣美作当綱のもとに手紙が来た。現在の米沢藩を牛耳っている森平右衛門利真を排除するには当綱が米沢に戻らなければ埒があかないと書かれていた。

米沢藩は貧乏藩である。会津時代の百二十万石から、米沢に移ってから八分の一の十五万石になったためである。だが、十五万石には十五万石のやりようがあるはずである。そのためには障害物を除かなければならない。

森平右衛門利真を除く。だが、森は現藩主重定の寵愛を受けている。除いた後の重定説得が必要である。

藩世子の直丸は英明の資質であると藁科松柏からも聞いており、当綱もそうであることを思っている。その直丸のために道を空けてもらわなければならない。

当綱は国元に戻り、執政らと謀って森を殺した。その後、素早く動き森派達を封じ込め、藩主重定を説得した。だが、これがきっかけで当綱と重定の間に感情的なしこりが残った。

竹俣美作当綱らが執政となり、藩の梶を取り始めた。その中で当綱は藩主交代を急ぐべきだと思い始める。そのためには重定に引退してもらう。だが、それもすぐというわけにはいかなかった。

森を排除した後の藩の改革は遅々として進まない。経済状況は悪化する一方である。この中で当綱が放った一言がきっかけで、封土返上の話が持ちあがる。結局は封土返上とはならなかったが、それだけ米沢藩は追詰められていた。

そして、ようやくにして藩主が交代する。第九代藩主・上杉治憲、後の鷹山である。

治憲は早速に改革に着手し始めた。それは竹俣美作当綱を中心として、倹約から始まるものだった。だが、この急速な改革に対して、頑強に国元の重臣達が抵抗を見せる。

それは、やがて「七家騒動」となる。国元の重臣達が上杉治憲を強制的に隠居させようとしたのである。他の藩でも同様の事件は起きていた。だが、このとき治憲はからくも逃げ切った。

この事件の後、竹俣美作当綱は上杉治憲に新たな改革案を示した。それによれば、改革が上手くゆけば、十五万石の米沢藩が実質三十万石になるという壮大な構想だった。上杉治憲は気持ちが高ぶるのを感じた。しかし、その一方で何かを見落としているのではないかという気持ちもあった。

こうして、米沢藩の改革の火蓋は切って落とされた。

本書について

藤沢周平
漆の実のみのる国
文春文庫 計約五九〇頁
江戸時代 上杉鷹山

目次

漆の実のみのる国

登場人物

上杉治憲(鷹山)
上杉重定
上杉駿河守勝承…支藩藩主
幸姫
琴女

竹俣美作当綱…家老
莅戸九郎兵衛善政
木村丈八高広
佐藤文四郎
藁科松柏…侍医
細井平洲

千坂対馬高敦
色部修理照長
芋川縫殿正令

森平右衛門利真

三谷三九郎…豪商