覚書/感想/コメント
将軍直属の闇の御庭番
時代小説の笑い声に「これ」といった約束事があるわけではないが、「ほーっほほほ」という笑い声は、女性か公家のものというイメージがある。忍びである公儀御庭番の口から発せられると、どうも調子が狂う。いや、むしろ気持ち悪い。
他にも設定の無理があり、どうも…。
将軍直属の闇の御庭番という設定は悪くない。将軍が市中に出回るのも、まぁいいとしよう。
だが、将軍家慶の闇の御庭番となった主人公の菅沼外記が懲らしめる対象は、将軍が任命した老中であるという点に難がある。
本書の設定では、将軍は行き過ぎた改革を進める老中・水野忠邦と御目付・鳥居耀蔵の二人に灸を据えるために菅沼外記に思うままにやれと命ずる。
だが、と思うのが、行き過ぎた改革と認識したのなら、将軍家慶自ら水野忠邦らを叱責すればいいし、何だったら罷免すればいい。
なんだって、回りくどく闇の御庭番でもって灸を据えさせなければならないのかが理解に苦しむ。
それに、読めばわかるが、水野忠邦と鳥居耀蔵の二人は将軍家慶から灸を据えられたとは思っていないだろうと言うことだ。
そりゃ、そうさ、わかるはずがない。なぜなら、チラリとも家慶の影が水野忠邦や鳥居耀蔵の目に映らないのだから。
結果として、水野忠邦や鳥居耀蔵の目には、なにやら自分たちに敵対する者がいるようにしか映らないはずである。
シリーズが続いていけば、やがて、水野忠邦や鳥居耀蔵の目にも家慶の影がちらつき、「ははーっ」とひれ伏すようになるのだろうか?それとも、家慶自らが登場して、水野忠邦や鳥居耀蔵に「どうじゃ、これに懲りて民をあまりいじめるな。民の喜ぶ政事をいたせ。」とでも言うのだろうか?
いずれにしても、それまでの過程があまりにも長くなりそうであり、かつ、将軍という絶対権力者が家臣をいたぶる構図にしかならないような気がして気が滅入る。
水野忠邦や鳥居耀蔵というのは、敵役にしやすい。だから、二人が敵役になるのは問題がないと思う。
問題は「闇の御庭番」となる主人公が仕える相手である。これを将軍家慶にしてしまったのが拙かった。
せっかく御側御用取次の新見伊賀守正路という人物を登場させたのだから、これを「闇の御庭番」のボスにすればよかったのだ。もしくは、別の人物を用意してもよかっただろうし、なんなら、菅沼外記自ら勝手に「闇の御庭番」となればよかったのだ。この場合、菅沼家に伝わる特別の秘密などを用意すればイイかもしれない。
いずれにしても、様々な逃げ道があるわけで、あえて将軍家慶をボスにする必要はなかったと思う。
後々、家慶をボスにしたことで、苦しい展開がまっているような気がしてならない。
公儀御庭番
さて、主人公の菅沼外記は四十九歳。公儀御庭番である。
そもそも御庭番は徳川吉宗によって創設された将軍直属の諜報機関で、吉宗が紀州藩から連れてきた家臣団の内、「薬込役」と呼ばれた十六人が御庭番のもととなる。薬込役とは鉄砲に弾薬を詰める役だったが、藩主の外出の際には身辺を警護する役だった。それが発展したのが御庭番である。十六家から一家加わり、分家した九家も編入されて天保の頃には二十六家が御庭番の家となっている。
御庭番は諜報活動を任務としていたが、単なる諜報活動に限らず、破壊活動を行うこともある。これを忍び御用といった。
忍び御用には御庭番家筋とは別のものが指令を受ける。吉宗が保護した甲賀忍者の末裔である。
菅沼外記は忍び御用を役目とする公儀御庭番だった。
配下も多士済々である。
村山庵斎は表稼業を俳諧師としており、筆跡を真似るのが上手である。
真中正助は関口流居合の達人だが、血を見るのが嫌いで峰打ちが得意という少々かわった所がある。
小峰春風の表稼業は絵師で、一度でも目にすると屋敷の構造を正確に記憶して絵図に興すことができる。
義助の表稼業は棒手振りの魚屋。錠前破りの名人。
外記の娘・お勢の表稼業は常磐津の師匠。酒で酔わせて三味線の音色で相手の理性を麻痺させる催眠術を使う。
一八の表稼業は幇間…。そういえば、一八には何か得意技があるのか?
内容/あらすじ/ネタバレ
江戸時代の天保十二年(一八四一)二月。御側御用取次新見伊賀守正路から菅沼外記は忍び御用を命じられた。先月薨去した十一代将軍家斉の愛妾・お美紀の方の父・旗本向井監物の屋敷に潜入して家斉が残した遺言状を奪い取って来るというものだった。
外記に命が下るまでにすでに三人の御庭番が向井邸に潜入して失敗している。外記は蹴鞠の名人として向井邸に入っていった。
奪い取った遺言状は新見伊賀守正路と老中・水野越前守忠邦の手に渡った。
将軍徳川家慶が直々に菅沼外記に会った。見事な働きと褒め、どうしても取り除いておかなければならない障害があるという。亡き将軍の佞臣たちである。それを束ねる元御小納戸頭取中野石翁に退場してもらう必要があった。
外記の配下の御庭番・村山庵斎は表の顔を俳諧師で通している。これを利用してお美代の方に近づくつもりでいる。
晩になって外記は中野石翁邸に忍び込んだ。目当てのものを手に入れ退散した。
外記は村山庵斎に石翁の筆跡を真似させ、石翁がお美代の方へあてた偽の手紙を作らせた。
これによって中野石翁を追い落とすことができたが、外記の凄腕を知った御目付の鳥居耀蔵は老中・水野忠邦に外記を消すことを進言した…。
村山庵斎を外記の愛犬ばつが吠え立てた。どこかへ連れて行くつもりらしい。その先には筵をかぶせられた死体が見えた。外記の死体だ。
外記は普段青山重蔵を名乗っている。村山庵斎は青山重蔵の死骸を引き取った。
一昨日からたてつづけに三人目の死体だと同心がいう声がした。
外記の通夜が執り行われた。外記配下の御庭番菅沼組の面々が集まった。外記の娘・お勢、関口流の達人・真中正助、絵師の小峰春風、棒手振りの魚屋・義助、幇間の一八である。
皆が悔やみを述べている時、思いがけないことが起きた。菅沼外記の死骸が起きあがったのだ。外記は死んではいなかった。
外記は今回の働きに対して老中・水野忠邦が褒美を取らせるというので料亭に向かった。
その帰りに襲われた。外記は死んだふりをした。実際に死んでいるように見せかける手法をとったのだ。
外記にはあることが念頭にあった。新見正路は知っているのか?さらには家慶も…。家慶との交流は三十年に及ぶ。だから、外記は家慶を信じたかった。
水野忠邦はあと一人口封じを行うはずだ。外記を含めた向井監物邸に忍び込んだ御庭番四人の内三人がやられている。残るのは木暮元次郎だ。
鳥居耀蔵配下の小人目付笹川新之助が外記の遺骸を扱った同心・田岡金之助と岡っ引きの伝吉を訪ねていた。
笹川は外記が確実に死んだかどうかを確かめるように鳥居から命を受けていた。
外記を木暮元次郎が訪ねてきた。外記が呼んだのだ。この木暮が外記を斬りつけてきた。木暮はこそは鳥居の小人目付を称した笹川新之助だった。
外記は対外的には死んだことにした。その方がいいと判断したからである。
外記は菅沼組の面々を集めた。水野忠邦に一泡を吹かせたいと考えたからだ。
水野派の大名から金を盗み、一部を軍資金とし、残りを庶民にばらまくのだ。狙いを定めたのは真田信濃守幸貫である。
鳥居耀蔵は徒目付の木村房之助を呼んで、木暮元次郎の行方を調べさせた。
鳥居は木暮が菅沼の死を探っていたことを木村に告げ、その中で同心の田岡金之助を訪ねたことを知らせた。木村は早速そこへ向かった。
木村が調べをしている中で、先ほど起きた小判のばらまき事件において一人だけ施しを受けていない人間がいることを知った。義助という魚屋だった。木村はこれに引っかかりを覚えたが、本筋に関係ないとして放っておくことにした。
菅沼外記は配下を集め、組を解散することを告げた。だが、程なくして皆が表稼業で思わぬドジを踏み続けることになる。
外記は秘かに江戸城に入った。将軍家慶に会うためである。そして外記は家慶から、いきすぎた水野忠邦のやり方に灸を据える、家慶だけの闇の御庭番になることになった。
外記は鳥居を懲らしめることにした。そこで鳥居の髷を盗んでやろうと考えた。
その頃、鳥居配下の徒目付・木村房之助は魚屋の義助が怪しいことに気がつき、これを徹底的に調べることにした。義助が怪しまれていることに気がついたのは幇間の一八である。そして、一八は木村のあとをつけ、鳥居の愛妾宅を突き止めた。
義助は魚屋の仕事を終えると、橋場の無人寺に通った。これを木村も突き止めた。どうやらこの寺にある堂で盗賊一味が何かを企てようとしているらしい…。
本書について
早見俊
闇御庭番 江戸城御駕籠台
だいわ文庫 約三二〇頁
目次
第一話 佞臣掃除
第二話 外記暗殺
第三話 初鰹の宴
第四話 闇御庭番
第五話 髷盗り
登場人物
菅沼外記
ばつ…愛犬
村山庵斎…外記配下の御庭番
お勢…外記の娘
真中正助…関口流の達人
小峰春風…絵師
義助…棒手振りの魚屋
一八…幇間
徳川家慶
新見伊賀守正路…御側御用取次
水野越前守忠邦…老中
飯田三太夫…水野家用人
木暮元次郎(笹川新之助)
鳥居耀蔵…御目付
木村房之助…徒目付
お喜多…鳥居の愛妾
真田信濃守幸貫…大名
真壁信吾郎
草刈洋之助
田岡金之助…南町の定廻り同心
すっぽんの伝吉…岡っ引き
中野石翁…元御小納戸頭取
お美代の方
向井監物…旗本