※テキトーに振り分けておりますので、間違っているテーマ分類があります。おいおい整えますので、ご了承ください。
平安時代
政治史
桓武天皇
- 2014年筑波:平安時代初期の政治の推移について、社会的背景をふまえ、「徳政」「軍事」「造作」の内容を明らかにしながら問われました。
- 2002年阪大:桓武天皇(桓武朝)が展開した政策の特徴と内容について問われました。
薬子の変
- 2005年東大:嵯峨天皇は、即位の翌年に起きた藤原薬子の変を経て権力を確立し、貴族をおさえて強い政治力をふるい、譲位した後も上皇として朝廷に重きをなしました。その結果、この時期30年余りにわたって政治の安定した状態が続くこととなりました。古代における律令国家や文化の変化の中で、この時期はどのような意味をもっているかが問われました。
承平・天慶の乱、東北地方の戦乱
- 2020年阪大:11世紀後半から12世紀末にかけて東北地方ではたびたび戦乱が起きました。それらの戦乱とかかわって、東北地方の支配権力がどのように変遷したのかが問われました。
- 2004年阪大:平将門の乱と藤原純友の乱(承平・天慶の乱)の歴史的意義について問われました。
参考文献
教科書の範囲を逸脱しますが、承平・天慶の乱については、下記の本が参考になります。
検非違使
- 1989年東大:北畠親房が律令制いらいの朝廷官職の大綱を解説した「職原抄」を読んだうえで、検非違使庁と蔵人所の形成過程と、検非違使庁や蔵人所などの令外官が形成される歴史的背景が問われました。
摂関政治
- 2021年東大:9世紀後半になると、奈良時代以来くり返された皇位継承をめぐるクーデターや争いはみられなくなり、安定した体制になりました。その背景にはどのような変化があったかが問われました。
- 2019年東大:10世紀から11世紀前半の上級貴族にはどのような能力が求められたか、また、この時期には、『御堂関白記』(藤原道長)や『小右記』(藤原実資)のような貴族の日記が多く書かれるようになりました。日記が書かれた目的を問われました。
- 2010年東大:奈良時代からの変化にもふれながら、10・11世紀の摂関政治期、中下級貴族は上級貴族とどのような関係を結ぶようになったのか問われました。
- 2002年筑波:8世紀末から9世紀前半における国政の展開について、「藤原冬嗣」「教王護国寺」「健児」「弘仁格式」の語句を用いて回答することが求められました。
- 1995年東大:摂政と関白の共通点と相違点と、摂関政治については、9世紀後半から10世紀中頃までの前期と、10世紀中頃から11世紀中頃までの後期の二期に分けて考えることがりますが、前期の特徴を、後期と比較して問われました。
- 1995年筑波:「太閤」「此の世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることも無しと思へば」「余」の人物や和歌を具体的に説明しながら、この時期の政治の特質について問われました。
- 1983年東大:1978年の摂関政治と院政に関する問題が改めて問われました。
- 1978年東大:10世紀から12世紀にかけての摂関の地位をめぐる変遷を、摂関政治のころの政治と、院政のころの政治とで比較して問われました。
荘園制
- 2021一橋:荘園公領制の成立の前提として、公領における開発領主の地位の変化が問われました。
- 2019年阪大:平安時代になると、日本古代国家の地方支配は受領に大きく委ねられるようになります。10世紀において受領はどのように地方支配をおこなったのか、またその後、受領の地方支配はいかなる変化の過程をたどったのか問われました。
- 2016年一橋:10世紀に各地方の実情に応じた支配を行う体制へ移行しましたが、体制の変化に伴う、地方支配における郡司の役割や地位の変化について問われました。
- 2014年京大:9世紀から10世紀には税収入の維持がむずかしくなり、財源確保に様々な方法がとられましたが、10世紀初めの変化に留意しながら9世紀から10世紀の財源確保や有力農民に対する課税の方法の変遷が問われました。
- 2010年東大:平安末〜鎌倉時代における荘園・公領の年貢がどのような物品で納められていたかを示した表をもとに、畿内・関東・九州の年貢品目には、それぞれどのような地域的特色が認められるか、年貢品目は、鎌倉時代後期に大きく変化しましたが、その変化とはどのようなものであったか、室町時代に大量の商品が発生した理由が問われました。
- 2010年阪大:平安時代になると律令体制の再編成に向けてさまざまな政策が打ち出されました。嵯峨天皇の時代の官制改革・法的整備について問われました。
- 2003年阪大:一〇世紀になると、民衆支配や地方行政のあり方が、律令体制の原則から大きく変化しました。「延喜の荘園整理令」「田堵」「国司」の語を使いながら、変化の様相について問われました。
- 2001年東大:東国と西国では、地頭がもっている荘園支配の権限にどのような違いがあったか、西国では荘園領主と地頭の間にどのような問題が生じたか、荘園ではどのような産業が展開していたかが問われました。
- 1992年京大:11世紀、13世紀、15世紀の3つの時期における荘園制のありかたが問われました。
- 1976年東大:8世紀中ごろから11世紀の中ごろにかけて、貴族の経済的な基盤がどのように変化したが問われました。
三善清行「意見封事十二箇条」
- 2019年北大:「意見封事十二箇条」において、三善清行は、仏教がもたらした問題についてどのようなことを指摘しているのかが問われました。
- 1996年東大:914年、醍醐天皇が臣下の意見を求めたときに、三善清行が当時の政治の欠点を指摘し、12か条にわたってその改善策を述べました。三善清行は「国家財政が悪影響を受け、国司の地方政治が妨げられている」と指摘しています。国司の職務の妨げとなるどのような事態が起きているのか、さらにどのような「百姓」の動きがこの事態をひきおこしたのかについて問われました。
遣唐使
- 2015年阪大:古代において日本は中国とさまざまな関係を持ちました。9・10世紀における日中間の交流について問われました。
- 1999年阪大:遣唐使が廃止された経緯、およびその歴史的影響について問われました。
- 1997年東大:吉備真備は二度にわたり唐にわたった経験をもちますが、古代の遣唐使が日本にもたらした制度や文物について問われました。多くの政治的争乱がくりかえされた中で、地方豪族出身の吉備真備は、なぜ長期にわたって政界で活躍し、右大臣にまで上ることができたのかが問われました
- 1989年一橋:近代以前の日本は、東アジア社会の一員として、他の地域と相互に影響を及ぼしあいながら、歴史を展開させてきました。次に掲げた年には、日本の対外関係史上重要な出来事が起きています。そのそれぞれについて、内外の歴史的背景と日本社会への影響を含めて説明が求められました。(1)607年、(2)894年、(3)1401年、(4)1543年
- 1985年東大:7世紀から9世紀にかけての遣隋使や遣唐使が、当時の日本の政治および文化に与えた影響が問われました。
院政
- 2012年筑波:鎌倉幕府の成立過程について、「後白河法皇」「藤原泰衡」「壇の浦」「地頭」の語句を用いて回答することが求められました。
- 2007年阪大:後三条天皇・白河天皇の政治について院政段階も含め、その歴史的意義について問われました。
- 2007年筑波:平安時代後期における院政のあり方について、「南都・北嶺」「院宣」「平清盛」「熊野参詣」の語句を用いて回答することが求められました。
東国・東北政策
- 2013年東大:奥州藤原氏はどのような姿勢で政権を維持しようとしたか。京都の朝廷および日本の外との関係にふれながら問われました。また、頼朝政権が、全国平定の仕上げとして奥州藤原氏政権を滅ぼさなければならなかったのはなぜか。朝廷の動きを含めて問われました。さらに、平氏政権と異なって、頼朝政権が最初の安定した武家政権(幕府)となりえたのはなぜか。地理的要因と武士の編成のあり方の両面から問われました。
- 1996年筑波:9~12世紀における東北地方の政治的動向について、京・鎌倉の政権と関連させつつ、「多賀城」「中尊寺金色堂」「俘囚」「藤原秀衡」「安倍頼時」の語句を用いて述べるよう求められました。
経済史
海運と海賊
- 1981年東大:平安時代に瀬戸内海で海賊の動きが活発になった背景が問われました。
貨幣
- 2015年筑波:7世紀から11世紀における銭貨の鋳造と流通について、「蓄銭叙位令」「東西市」「日宋貿易」「皇朝十二銭」の語句を用いて回答することが求められました。
- 2007年東大:日本の古代国家は、銭貨を発行し、その使用を促進するためにさまざまな政策を実行してきました。銭貨についての政策の変遷をふまえて、8世紀末に法令が出されるようになった理由が問われました。
- 1997年阪大:古代と中世の貨幣は、その使われ方にどのような違いがあったかが問われました。
社会史
- 2016年筑波:8・9世紀と10・11世紀の租税制度の違いについて、「官物」「郡司」「戸籍」「負名」の語句を用いて回答することが求められました。
- 2014年一橋:10、11世紀の貴族の食事は、庶民のそれとは異なるものとなったと言われていますが、どう異なるのかについて問われました。
- 2012年一橋:中世の京都において、住民のあり方や構成がどのように変化していったかが問われました。
- 1991年一橋:京都は、都城としての平安京の造営によって誕生した都市です。地方より上がってきた人々も居住し、律令国家の首都の機能を支えていましたが、具体的に説明が求められました。平安時代後期には、律令政府の設定した七条の東市・西市は忘れられた存在となった理由が問われました。繁華街は七条町・三条町・四条町へと移っていきますが、「新たに発展してきた商工業」によるものでしたので、その特徴と、その中世後期に向けた動向について問われました。中世後期には京都の町の運営の重要な一部を構成するに至る具体的内容を問われました。
- 1991年筑波:平安時代から室町時代にいたる土地制度の展開について「官省符」「半済」「知行国」「下地中分」の言葉を用いて回答するよう求められました。
相続制度の推移と女性の地位の変化
- 1977年東大:奈良時代から戦国時代にいたるまでの相続制度の推移と女性の地位の変化の大勢が問われました。
武士の成立
- 2006年東大:中央政界で武士の力が必要とされた理由と、平氏が権力を掌握する過程と、その経済的基盤について問われました。
- 2005年筑波:武士の台頭について、「藤原純友の乱」「平忠常の乱」「押領使」「滝口の武士」の語句を用いて回答することが求められました。
- 1996年京大:10~12世紀の国衙による支配と地方豪族との関係が問われました。
- 1994年京大:10世紀から11世紀に武士がどのようにして成立したかを、貴族や国衙との関係から問われました。
文化史
平安時代前期の文化
- 2018年京大:日本の9世紀の文化と、10・11世紀の文化の特色の対比を問われました。
- 2013年筑波:6世紀から9世紀における歴史書の編さんの意義について、「六国史」「稗田阿礼」「編年体」「太安万侶」の語句を用いて回答することが求められました。
- 2012年筑波:10〜11世紀ころの文化について、「平仮名」「唐物」「束帯」「大和絵」の語句を用いて回答することが求められました。
- 2007年筑波:古代における学問と政治の関係について、「菅原道真」「高向玄理」「吉備真備」「三善清行」の語句を用いて回答することが求められました。
- 2006年京大:「三筆」と呼ばれた3人の人物を通して、9世紀前半の政治と文化について問われました。
- 1997年筑波:弘仁・貞観文化と国風文化の相違について、「凌雲集」「やまと絵」「古今和歌集」「橘逸勢」の語句を用いて述べるよう求められました。
- 1987年東大:文芸・宗教・生活などの各分野の動向に触れながら、弘仁・貞観期から摂関期にかけての文化の展開を問われました。
国風文化
- 2008年阪大:国風文化の特徴とその歴史的背景について問われました。
- 1993年京大:東アジアの国際関係を考慮しつつ、天平文化と国風文化のそれぞれの特色が問われました。
宗教史
- 2019年北大:「意見封事十二箇条」において、三善清行は、仏教がもたらした問題についてどのようなことを指摘しているのかが問われました。
- 2012年東大:院政期から鎌倉時代にかけての寺院の造営の方法に、理念のうえで大きな相違と、鎌倉時代におこった法然や親鸞の教えは、どのような特徴をもっていたか、また、それに対応して旧仏教側はどのような活動を展開したかが問われました。
- 2011年京大:平安時代における浄土教の発展・広まりについて段階的かつ具体的に問われました。
- 2002年東大:平安時代に日本に伝来し広まった密教や浄土教の信仰は、人々にどのように受け入れられていったか。10世紀以降平安時代末に至るまでの、朝廷・貴族と地方の有力者の受容のあり方について問われました。
- 2000年筑波:11世紀から14世紀の仏教について、「選択本願念仏集」「一遍聖絵」「中尊寺金色堂」「頂相」の語句を用いて述べるよう求められました。
- 1994年筑波:10世紀から13世紀における浄土信仰の展開について「他力本願」「市聖」「日本往生極楽記」「選択本願念仏集」の言葉を用いて回答するよう求められました。
- 1993年東大:日本に渡来した朝鮮・中国の僧侶や、大陸に渡った日本の僧侶は、7世紀から9世紀にかけて、仏教の伝播と発展にどのような役割を果たしたと考えられるかが問われました。
- 1984年一橋:平安時代の宗教について、密教とはなにか、またそれが貴族層の熱心な支持をえた理由が問われました。平安時代に浄土教の信仰がひろがった事情を、社会的背景と教理とを結びつけて問われました。藤原頼通の建立した有名な寺院を例にあげて、浄土教の影響が美術(建築・彫刻・絵画)の領域に及んでいることを問われました。神仏関係についての新しい説明の仕方を表現する歴史的用語を漢字で記し、その内容を具体例をひとつあげるよう問われました。
- 1976年東大:平等院鳳凰堂が造られた事情が問われました。
教科書の内容の理解を深める本
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山川出版社「詳説日本史」に準拠した最も詳しい一冊です。