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海音寺潮五郎の「かぶき大名」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

豪快・豪傑の人物を扱っている。よくもまぁ、これだけ沢山の頑固者、偏屈者がいたもんだと思ってしまう。

最初の「かぶき大名」が約一五〇ページと長く、中編といってよい。この水野藤十郎勝成は、とんでもなく気の荒い武者である。

が、多年の流浪の間に広く世を見て、多くの人に接してきたせいもあり、徳川家帰参の折りには思いやり深い名君といってもよい人柄になっていた。人も長く生きれば丸くなるということであろうが、それでも歌舞伎興行を行うなど豪快さは変わらなかった。

「乞食大名」の鮭延越前は己の我を通して、乞食の身に甘んじているが、ある出来事が起きて、その我を通すことを止める。それは、自分を慕ってきている家臣が迷惑をするという事に気が付いたからである。

この決断は見事である。この心境の変化は物語の最後に書かれているが、この描写がまた泣かせる。

「阿呆豪傑」では信玄をして、「人間じゃと思えばこそ腹も立とうが、忠義な狩犬じゃと思えばかんにんならぬことはあるまい。」と言わしめた曲淵勝左衛門が主人公。

武田家に使えている三十八年間に、七十四度も人と争論して訴訟沙汰を起こしている。そして勝ったのはわずか一回。示談が一回。のこり七十二回は敗訴。典型的なトラブルメーカーである。今の世の中にいたら、迷惑千万な人物であろう。

「戦国兄弟」の岡田庄五郎義同が加藤清正に仕えていたときのエピソードが可笑しい。清正が普請作業の慰労のために席を設けた際、岡田庄五郎義同が労働着で出席し、清正から叱責を受けた。

翌日から、普請場で長上下をつけ、シャナリシャナリと歩きながら指揮をする。人々が「異なお姿で」とあきれていると、「ごぞんじないか、礼儀と申すものでござるそうな」。

人を食っているというか、偏屈者の典型であるが、こういう人物でも、すぐれた吏才があったというから不思議である。

「男一代の記」の中馬大蔵の人を食ったような受け答えも可笑しい。義弘が村で見た娘の名と身分を大蔵に聞きにいかせ、その報告を受けたときのこと、義弘が見たのは「拙者の妻でごわした」「そちの妻?そちはまだ独り身ではないか」「今日唯今もらいもした」「誰のことわってもろうた」「これよりお届けしようと思っているのでごわす…」。この後の人生も豪快である。そして、死に方も豪快であり爽快でもある。

内容/あらすじ/ネタバレ

かぶき大名

水野藤十郎勝成。十六にして初陣を飾り、その年齢の少年の武功としては稀有な活躍をみせた。度々の戦場働きにも活躍したが、おそろしく気の荒い人間となっていった。

甲斐信濃を巡る北条との争い、小牧長久手の戦いでもその武功は優れていた。だが、この小牧長久手の戦いの後のこと、藤十郎は家臣を斬ってしまう。父の怒りが恐ろしかった藤十郎は家康に泣きついたが、父の怒りはおさまらず、浪人の身となった。

藤十郎は京へと向かった。そして、羽柴家に奉公する。だが、喧嘩を理由に人を斬り、再び浪人する。その後は、肥後の佐々家、佐々の死後は小西行長、次には加藤清正、そして黒田長政と主を変えていく。おそらくいずれも喧嘩による刃傷沙汰によって家にいられなくなったためであろう。

黒田家も長くは続かず、再び浪人する。その中で、毛利家被官の三村家の姫に一目惚れしてしまう。その姫が為に、藤十郎は三村家に奉公する。やがて、藤十郎はその姫・お才と忍び逢う仲になる。この頃に、太閤秀吉が亡くなった。

日もすがら大名

肥前島原でおきたキリシタン一揆征伐の陣見舞いに方々から使者がやってきた。その中に内藤帯刀の家臣・土方大八郎がいた。

ある夜、一揆方が大仕掛の夜討を行ってきた。諸家の使者も勇敢に戦った。とりわけ、土方大八郎の働きはめざましかった。だが、この戦いで土方大八郎は戦死する。

この報告は諸家の使者を通じて、内藤家にもたらされた。そして、しばらくしてから、土方大八郎の遺書が主君・内藤帯刀忠興に届いた。そこに書かれていたのは、意外なことであった…

乞食大名

寛永元年。一団の武士が江戸に出てきて下谷不忍池の岸辺に住み着いた。そして、一団は乞食になった。この一団には頭領がいた。

この頭領を客がたずねてきた。この客との会話で頭領が最上家随一の勇将といわれた鮭延越前である事が分かった。

鮭延越前がこの様な身分になったのは、最上家のお家騒動のためである。当時の主君・最上義俊が愚妹のため様々な問題を起こし、ついにはお家取り潰しとなってしまったのである。

阿呆豪傑

武田家の老臣・板垣信方の草履取りなどをしていた曲淵勝左衛門。強いことは途方もなく強いが、頭がまるでなく、人並みな挨拶さえ出来ないので、士分に取り立てられることがなかった。だが、本人には不満はない。

だが、後に戦功著しく、信玄により士分に取り立てられる。しかし、もともとがもともとである、方々で軋轢を生み、問題を引き起こした。

戦国兄弟

信長の子・信雄は秀吉を討つ計画をしていた。その秀吉も信雄の家臣が秀吉に通じていると見せかけた謀略をはじめ、これに信雄はひっかかった。信雄は秀吉と通じていると思われる重臣三人を呼んで成敗しようと考える。

その噂を聞きつけた岡田庄五郎義同は兄・岡田長門守重孝に注意を促す。しかし、岡田長門守重孝は討たれてしまい、これが小牧長久手の戦の発端となる。

時は下り、岡田庄五郎義同は前田家に仕え、後に加藤家に仕官している。朝鮮役にも従軍したが、帰ってきてから、奇行が目立つようになる。

酒と女と槍と

関白豊臣秀次が秀吉の怒りを買い、切腹させられた。秀吉への面当てのために高札が立った。富田蔵人高定が追い腹するというのだ。高定は名うての伊達者である。高定は切腹の日まで、この世との別れのために遊蕩にふけるつもりでいた。

そして当日。高定は様々な人から酒を勧められ、しばし眠ってしまう。だが、このことが予想外の事態を引き起こす。秀吉からの使者が着き、切腹ならんと申し渡されてしまうのだ。

しまったと思ったが時既に遅し、高定は天下一の臆病者と呼ばれながら生き続けなければならなくなってしまった。

小次郎と武蔵の間

佐々木小次郎が宮本武蔵に敗死した後、細川家は専門の兵法者を長いこと召し抱えなかった。

だが、細川忠利は村山主水という兵法者を召し抱えた。今日、肥後に伝わる伝説では主水は稲綱使いだったそうだ。稲綱使いとは信州戸隠にある稲綱という山にある稲綱権現を信仰することによって得られる妖術を使うものをいう。

この村山主水は隠居の忠興に憎まれていたようである。

男一代の記

島津義弘が村で見かけた娘の名と身分を中馬大蔵に聞きにいかせた。大蔵は娘・草乃に会うと、その場で嫁に貰ってしまった。帰って報告すれば、おそらく義弘のものになるだろうと思ったからである。

帰って、義弘には、義弘が見たのは拙者の妻でごわしたと報告した。義弘はあきれかえってしまう。

この中馬大蔵、紛れもなく豪傑の男であった。

本書について

海音寺潮五郎
かぶき大名
文春文庫 約四〇〇頁
戦国時代

目次

かぶき大名
日もすがら大名
乞食大名
阿呆豪傑
戦国兄弟
酒と女と槍と
小次郎と武蔵の間
男一代の記

登場人物

かぶき大名
 水野藤十郎勝成
 水野惣兵衛忠重…父
 徳川家康
 鳥居元忠
 お才
 出来島隼人

日もすがら大名
 土方大八郎
 内藤帯刀忠興
 牧村半之丞

乞食大名
 鮭延越前
 山野辺右衛門義忠
 小国数馬光重
 最上義俊

阿呆豪傑
 曲淵勝左衛門

戦国兄弟
 岡田庄五郎義同
 岡田長門守重孝…兄

酒と女と槍と
 富田蔵人高定
 村山左近
 采女
 前田利長

小次郎と武蔵の間
 村山主水
 細川忠利
 細川忠興
 庄林十兵衛

男一代の記
 中馬大蔵
 草乃
 島津義弘