徒渉伝説
元弘3年(1333年)。新田義貞は挙兵からわずか2週間で鎌倉を包囲します。
軍勢を3つにわけて攻撃しますが、鎌倉は天然の要害に守られているために、いずれも攻撃が失敗に終わります。
攻撃は化粧坂切通し、極楽寺坂切通し、巨副呂坂切通しの3方から行われました。
訪れた場所
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軍勢を立て直し、新田義貞は稲村ケ崎を突破し、鎌倉へとなだれ込みました。
この時に、稲村ケ崎で義貞が潮が引くのを念じて剣を投じると、その後潮が引いて干潟となったので岬の南から鎌倉に攻め入ったという伝説が『太平記』に記されています。
鎌倉になだれ込んだ義貞軍は幕府軍を壊滅し、執権北条高時ら北条一族と残党は東勝寺で自害します。
唱歌「鎌倉」の「七里ヶ浜の磯伝い 稲村ヶ崎名将が剣投ぜし古戦場」はこの徒渉伝説を指しています。
1934年(昭和9年)国の史跡に指定
鎌倉観光のおともに。観光パンフレット&資料をどうぞ - 鎌倉市観光協会 | 時を楽しむ、旅がある。~鎌倉観光公式ガイド~
鎌倉観光に便利なパンフレットを掲出。ダウンロードできるので、鎌倉観光に持っていってください。
アクセス:江ノ電「稲村ケ崎駅」下車、徒歩3分
新田義貞を描いた小説
新田次郎の「新田義貞」を読んだ感想とあらすじ
覚書/感想/コメント鎌倉幕府を倒した功労者の一人、新田義貞を主人公とした正統派の歴史小説です。後に室町幕府を築いた足利尊氏とは年も近く、ともに源氏の名門の嫡子という共通点もあります。鎌倉幕府の倒幕に論功があったのも同じですが、時の流れに翻弄...