鎌倉五山第一位
国の史跡および名勝に指定されている方丈の裏です。広い廊下から庭園を眺めます。春先に来れば、もっと綺麗だったろうに・・・季節は秋でした。
この方丈庭園に、かつて霊松と呼ばれる大きな松の木がありました。
蘭渓道隆(大覚禅師)が庭に出てみると、松の木の上から話しかけるものがあるので、尋ねてみると、鶴岡八幡宮の神である、と答えたという逸話があります。
建長寺(けんちょうじ)
鎌倉五山の第一位です。
鎌倉時代の建長5年(1253年)の創建。開基は鎌倉幕府第5代執権北条時頼、開山は南宋の禅僧蘭渓道隆で、第二世は同じく南宋の兀庵普寧。
建長寺の紋は鎌倉幕府の執権家・北条家と同じ「三つ鱗」です。
境内は1966年(昭和41年)9月12日、「建長寺境内」として国の史跡に指定されました。
庭園が1932年(昭和7年)7月23日、「建長寺庭園」として国の史跡および名勝に指定。「建長寺庭園」の指定範囲は仏殿前のビャクシンの植栽と、方丈裏の庭園。
三門梶原施餓鬼会
創建間もない頃、施餓鬼会を行った直後に騎馬武者姿の梶原景時の亡霊が現れたという言い伝えがあります。
建長寺の「三門梶原施餓鬼会」は、梶原景時の亡霊を弔うために行われます。建長寺が開かれて間もない7月15日、三門(山門)では通常どおりの施餓鬼会が行われていました。施餓鬼会が終了した直後、武者一騎が駆けつけます。しかし、施餓鬼会が終わったのを見た武者は残念そうに引き上げていったそうです。大覚禅師(蘭渓道隆)は、すぐに傍らにいた僧にその武者を追わせ、もう一度施餓鬼会を執り行いました。施餓鬼会が終わり大覚禅師が武者に問うたところ、「われは梶原景時の霊である」と答えて感謝の言葉を述べながら姿を消したといいます。それ以来、建長寺では、7月15日の午前中に「三門施餓鬼」を、午後に「梶原施餓鬼」を執り行ってきたといいます。
https://www.nihon-kankou.or.jp/kanagawa/detail/14204ba2212061144
北条氏が台頭する過程は次にまとめています。
テーマ:鎌倉時代(北条氏の台頭から承久の乱、執権政治確立まで)
狸の三門
建長寺の三門は、寺の和尚に世話なった狸が、三門再建の為に勧進僧に化け諸国を廻ったという伝説があります。そのため「狸の三門」とも呼ばれます。
概要
山号 巨福山(こふくさん)
宗派 臨済宗建長寺派
寺格 大本山、鎌倉五山一位
本尊 地蔵菩薩
創建年 建長5年(1253年)鎌倉時代
開基 北条時頼、蘭渓道隆(開山)
正式名 巨福山 建長興国禅寺
札所等 鎌倉二十四地蔵9~11番、鎌倉三十三観音霊場28番
文化財 絹本淡彩蘭渓道隆像・大覚禅師墨蹟法語規則・梵鐘(国宝)、山門・法堂・絹本著色釈迦三尊像ほか(重文)
地図
所在地 神奈川県鎌倉市山ノ内8
周辺の寺院
建長寺を訪れたら、次には東慶寺、円覚寺、浄智寺、明月院などがおススメ。それぞれが歩いて行ける範囲内なので、鎌倉散歩に良いと思います。
◎東慶寺
多くの時代小説で登場する縁切り寺である。江戸時代には群馬県の満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られた。女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていた。
◎円覚寺
◎浄智寺