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法華堂跡(源頼朝墓・北条義時墓)と白旗神社の参詣記-歴史と見どころ紹介(神奈川県鎌倉市)[国の史跡]

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源頼朝の墓
源頼朝の墓

法華堂跡(源頼朝墓)と白旗神社

鎌倉にはちょこちょこ来るのですが、初めての場所がここでした。

源頼朝墓は、鎌倉時代の1189年(文治5年)に建てた法華堂があった場所にあります。墳墓堂とも呼ばれています。

頼朝の墓を中心とする一帯が「法華堂跡」として国の指定史跡となっており、階段下には白旗神社があります。

石段は、頼朝の亡くなった時の年齢と同じ53段です。白い旗は源氏の象徴です。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。
鎌倉白旗神社

白旗神社(しらはたじんじゃ)

白旗神社(しらはたじんじゃ)は、各地にあります。

主には関東地方・東北地方・中部地方に分布しています。特に鎌倉幕府のあった神奈川県が多く、千葉県にも多いです。いずれも源頼朝にゆかりのある地です。白幡神社・白籏神社とも表記されます。

源頼朝を主祭神とするものが多いですが、源氏の旗である白旗に因むものであるため、源義家や源義経などの源氏の武将、源氏の氏神である八幡神を主祭神とするものも多いです。

日本全国に70社あまりがあるそうです。

本社には境内社が7社ほどがあります。

祭神:源頼朝

鎌倉の白旗神社の社務所

この日のルートは、鎌倉駅から見て北東。イメージとしては鶴岡八幡宮の右上方面を散策しました。

鶴岡八幡宮 ⇒ 源頼朝墓と白旗神社 ⇒ 大江広元墓・毛利季光墓・島津忠久墓 ⇒ 荏柄天神社 ⇒ 鎌倉宮(大塔宮) ⇒ 永福寺跡 ⇒ 瑞泉寺 ⇒ 護良親王墓所

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地図

法華堂跡(北条義時墓)

石碑

源頼朝の墓から少し離れたところに北条義時の墓があります。

北条義時は2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公です。

発掘調査成果と表示

平成17年(2005年)に行った発掘調査によって建物の縁束の礎石、雨落溝、柱を支える礎石を据えている痕跡が発見され、この場所に一辺が28尺(8.48m)のお堂が建っていたことが明らかになりました。調査では瓦が出土していることから、瓦葺の建物であったと考えられます。また、一緒に出土したかわらけなどの遺物の年代から、建物は13世紀末から14世紀初頭頃には使われなくなっていたこともわかりました。

正面の地面には、その建物の柱の位置を杭と石で、雨落溝を玉砂利で示しています。

説明板
お堂のあった場所

お堂の奥の鳥居をくぐって上ると、大江広元墓・毛利季光墓・島津忠久墓に続きます。

地図

大江広元墓・毛利季光墓・島津忠久墓

法華堂跡(北条義時墓)の奥に、なんぞ、鳥居があるな。

ということで、登ってみたところ、遭遇したのが、お墓でした。

大江広元、毛利季光、島津忠久を総称して三公といいます。

長州・薩摩の始祖になる方々です。その墓でした。

鎌倉の大江広元墓・毛利季光墓・島津忠久墓の鳥居

鎌倉時代。大江広元は、朝廷に仕える下級貴族でしたが、源頼朝の側近となり、鎌倉幕府の政所初代別当を務め、幕府創設に貢献しました。

(2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で重要な登場人物でした。)

毛利季光は長州毛利氏の祖で、大江広元の四男です。

島津忠久は薩摩島津氏の祖。源頼朝の庶子とされます。

大江広元が活躍した鎌倉幕府成立時期については、次でまとめています。

テーマ:平安時代末期から鎌倉時代初期(幕府成立前夜)

鎌倉の大江広元墓・毛利季光墓・島津忠久墓入り口
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地図

住所 神奈川県鎌倉市西御門2-9