相模国の一之宮の寒川神社へ参拝しました。
最寄り駅はJR相模線の「宮山」駅です。駅から5分程度ですので、公共交通機関で行くのがおススメです。
JR相模線は茅ヶ崎駅と橋本駅を結ぶ路線です。初めて乗りましたが、単線とは知りませんでした。
宮山駅も無人駅です。駅前にコンビニが1件だけで、他には何もありませんでした。
寒川神社へは駅前の道を右へテクテク歩いていくだけですので分かりやすいです。
途中、目久尻川を超えて行きます。右手に線路を見ながら橋を渡ると、もう着きます。とても近いです。
寒川神社の概要
海から少し離れていますが、弥生時代の頃は寒川神社にもっと近いところまで海が来ていたようです。
近くには相模川が流れています。水運の便の良いところに建てられた神社です。
神奈川県は不思議なことに、東京湾に近いエリアの横須賀や鎌倉、横浜、川崎に式内社が一社もありません。
東京都や千葉県では東京湾に近いところに式内社がありますので、それと比べると不思議です。
古代の海岸線がもっと内陸だったために建てられなかったということは考えられますが、丘陵が海近くまで迫っていますので、これが理由ではなさそうです。
その代わり、相模川周辺に式内社が多い感じです。相模川が交通の要衝だったのでしょうか?
寒川神社の格式
寒川神社は式内社の中でも格式の高い名神大社です。また、相模国の一之宮です。
同じ神奈川県内の鶴岡八幡宮も相模国の一之宮とされますが、一之宮とされた時代が鎌倉時代以降ですので、寒川神社が一之宮とされた時代よりだいぶ後世になって一之宮とされています。
千葉県の寒川神社との関係
千葉県にも寒川神社があります。
祭神も寒川比古命(さむかわひこのみこと)・寒川比女命(さむかわひめのみこと)で、同じですが、関係は分かりません。
同族の古代氏族が相模国と下総国にいたのでしょうか?
ちなみに千葉県の寒川神社の近くに蘇賀比咩神社があります。文字通り古代の蘇我氏と関係のある神社です。
寒川神社の案内
宮山駅から来ると、三の鳥居に着きます。
一の鳥居と二の鳥居は寒川駅の方になりますので、一の鳥居からお詣りしたい場合は、寒川駅下車をおススメします。
神池橋を渡り、三の鳥居をくぐると、いよいよ境内です。
三の鳥居をくぐるとすぐ左手に案内板があります。
寒川神社(さむかわじんじゃ)
御祭神 寒川比古命(さむかわひこのみこと)・寒川比女命(さむかわひめのみこと) 二柱の神を奉称して寒川大明神(さむかわだいみょうじん)と申します。
例祭日 九月二十日 (九月十九日 例祭宵宮祭・流鏑馬神事)
由緒
当神社は総国風土記によりますと、雄略天皇(四五七年~四七九年)の御代に奉幣(天皇より神社に献上品がされること)の記録があり、神亀四年(七二七年)に社殿建立とも伝わり、一六〇〇年以上の歴史を有しています。
以後、延暦十六年(七九七年)桓武天皇を始めとして歴代奉幣の記録があり、承和十三年(八四六年)に神階従五位下を始めとする神階授与もなされています。
また醍醐天皇の御代に制定されました延喜式神名帳によれば相模國十三社の内、名神大社とされており、関東地方の信仰の中心をなしていました。
中世においては源頼朝、小田原北条氏累代による社殿造営や社領寄進がなされており、武田信玄からは武運長久を祈願して鉄錆地六十二間筋兜(神奈川県指定重要文化財)が奉納されるなど特に崇敬の念は篤く、徳川家代々においても社殿再建、社領寄進など古来より武家からの崇敬は極めて篤いものがありました。
明治期になりますと、明治四年五月に制定されました官国幣社制度によって、例祭において国費から幣帛料が奉納される「国幣中社」に列せられました。
その後、大正時代における関東大震災、昭和の御大典という時代を経て、昭和二十年八月十五日、大東亜戦争の終戦後、同年十二月の神道指令によって、神社の国家管理制度が廃止されました。昭和二十一年二月、神社神道の宣布と祭祀の執行による氏子の教化育成を目的として、全国の神社及び神社関係者を続合する神社本庁が設立され、当神社も神社本庁による包括神社となっております。
戦後、日本全体の復興とともに、八方除信仰を中心とした御神徳の宣揚に努め、全国の崇敬者からの崇敬と多くの御参拝をいただいております。
社殿 平成の御大典記念事業として平成九年に御本殿、幣殿、拝殿、翼殿、廻廊等の増改築が行われました。
境内 神聖なる神嶽山を背に、約一万五千坪を有しており、平成二十一年には御本殿奥庭の禁足地を「神山神苑」として開苑致しました。
祭神の寒川比古命(さむかわひこのみこと)と寒川比女命(さむかわひめのみこと)は、記紀に載っていない神です。
そのため、どういう神なのか分かりません。
この地を支配していた古代氏族に縁のある人物なのかもしれません。
参道を進んでいくと開けたエリアに辿り着きます。
参道は一直線ではありません。一直線にすることができたはずですので、敢えて一直線にしていないのでしょう。
広場に着くと正面に神門が現れますが、右手の手前にもう一つ門があります。
こちらは旧神門だそうです。位置を動かしていなければ、今の境内とはだいぶ雰囲気が違っていたのでしょう。
神門に向かいます。
拝殿と本殿が塀で囲われています。御社殿と呼んでいます。
御社殿です。中で祈祷を受けることができます。
この日も平日にも関わらず、10人ほどが祈祷を受けていました。
神社としては最も昇殿祈祷者が多いそうです。
この御神殿の奥に神嶽山神苑があります。
昔は禁足地だったそうです。今回は散策しませんでした。
御祭神をお祀りする社殿です。平成9年10月竣功。総桧造りで、東西翼殿をはじめ附属施設があり、拝殿には216名が一度に着席、参拝できる席が設けられています。
https://samukawajinjya.jp/about/keidai.html
方位盤と渾天儀
寒川神社は、古くより全国催一の八方除の守護神としで信仰されています。八方除とは、地相・家相・方位・日柄等から起因する、すなわち方位神によるあらゆる悪事災難を除く方災厄除の神としての御神徳です。
ここに、方位盤・四神の彫塑・渾天儀という八方除に因む三つの様造物の構成による記念碑を製作しました。
方位盤は四正(東・南・西・北)と四隅(北東・東南・南西・西北)の八方位と中央の九星・十干十二支を、八方には易の八卦に配当しています。一般的な気学方位盤とは異なり、八方位を均等に配置し正八角形の意匠でわかりやすく象られています。
四神は天の四方の方角を司る霊獣で、東は青龍、南は朱雀、西は白虎、北は玄式を配します。
渾天儀は、本来天体の位置・星等を測定する器具ですが、特に星の運行は人々はかりでなく国家の命運をにぎると考えられました。天文観測により暦が作られ、さらに暦によって日々の吉が占われたのです。龍は天空を支えるという故事にならい、渾天儀の四隅に配置しています。
寒川大明神を崇敬する氏子崇敬者の皆様には、この方位盤と渾天儀により方位除についてより深くご理解をいただき、バ方除信仰の礎としてご活用下さいますよう祈念いたします。
平成二十四年十月吉日
寒川神社 宮司 利根康教
案内図のパンフレットです。
末社
宮山神社
宮山地区にあった7社をまとめて祀っています。
他に神嶽山神苑内に御祖神社があります。
地図
所在地 〒253-0106 神奈川県高座郡寒川町宮山3916
電話 0467750004