覚書/感想/コメント
力丸だけが根岸肥前守鎮衛を「ひいさま」と呼ぶ。ひい爺さまのことではない、肥前守さまが縮まってしまったのだ。
この力丸姐さんにスポットが当たる。
力丸はもともと、芸妓になりたくなかった。寺子屋の師匠になって学問を教えたいという気持ちが強かったようだ。
だが、芸事の才はぴかいち。見よう見まねで芸を仕込んでも、上達が早い。名芸妓になるために生まれてきたような才を持っているのだ。
だが、その芸の才能とは裏腹に、力丸の部屋は乱雑なのが、判明する。衣紋掛には、何枚もの着物と帯が無造作にかけられ、書物もずいぶん読んでいるようだが、開いたまま何冊も投げ捨てられている。そして、浜辺に打ち上げられた枯れ木を集めるのが趣味だという。
ちょっぴりがさつな感じの力丸だが、子猫が捨てられていると、どうしても拾ってしまい、現在は三匹飼っている。優しい一面があるのだ。
今回、一つのキーワードとなるのが「高尾」である。
高尾太夫。三浦屋の抱える最高の太夫に付けられた名前で、吉原の太夫の筆頭ともいえる遊女の名。三浦屋抱えの花魁によって、代々襲名された名前。
何代続いたかは諸説ある。六代説、七代説、九代説、十一代説、他に十三代説や十六代説もある。
本書で言及があるのは、以下の三名(七代説の場合)。
二代目。仙台高尾。仙台侯の伊達綱宗の寵愛をよそに、恋人への操を貫き、そのために大川の船上で吊し斬りにされたという。一説によると高尾太夫は身請けされ、のちに仙台の仏眼寺に葬られたそうだ。
六代目。駄染め(だぞめ)高尾。紺屋高尾ともいう。染物屋の若者の純情にほだされ、落語にもなった高尾。子供三人をもうけ、八十を越える長寿だった。
七代目。榊原高尾。姫路藩主榊原政岑が請け出し。榊原政岑はこれをとがめられ、高田藩に転封のうえ隠居。
七代説の場合で、他を見てみる。
初代。子持ち高尾。実子を乳母に抱かせて花魁道中をして人気が上がった。
二代目。仙台高尾。(上記)
三代目。西條高尾。幕府御用蒔絵師西条吉兵衛に身請けされた。
四代目。水谷高尾。水戸藩御用達水谷庄左衛門に身請け。しかし、男を次々変え、行き倒れて死んだ。
五代目。浅野高尾。浅野因幡守が身請け。
六代目。駄染め高尾。(上記)
七代目。榊原高尾。(上記)
他に道哲(どうてつ)高尾、石井高尾、六指高尾、小袖高尾、采女が原高尾などがあり、説によって色々な高尾が登場する。
おそらくいくつかの高尾は捏造されたものなのだろう。だが、それだけ「高尾」という花魁の格が高かったことを意味している。
さて、栗田次郎左衛門は雪乃と結ばれた。坂巻弥三郎はかつての許婚を忘れて、新たな恋が出来るのだろうか?恋人候補はもちろん、おもんだが、本作でライバルが登場?さてさて、どうなる。
そうそう、この行く末には、おたかさんも心配している。「あらあら、弥三郎ったら、かわいそうに…」
幽霊に同情されてもなぁ…。
内容/あらすじ/ネタバレ
深川の料理茶屋「残月楼」では力丸を待つ旦那衆がいる。ようやく力丸の乗った猪牙舟が近づいていた。もう少ししたら力丸が座敷に現われるはずだ。そうしたとき、堀の水面を何かが流れてきた。人形だ。
それより力丸は待てども現われない。旦那衆が探しに出かけ、戻ってくると、人形の乗っていた板に文字が浮かんでいた。「深川の名妓、力丸姐さんのお命欲しや」。そして、人形の目が、ぎろりとこっちを向き、不気味な笑みまで浮かべていた…。
力丸が消えたという知らせはすぐに根岸肥前守鎮衛に届いた。根岸は坂巻弥三郎を連れて「残月楼」にかけつけた。
追って栗田次郎左衛門もきた。途中で栗田は橋の上にいる三人の男女に不審を覚え、追いかけたが逃げられた。一人は手練れの侍だ。義経流を遣うらしい。
幸い、奉行所にはこれといった差し迫った事件がなく、坂巻と栗田は力丸失踪事件にあたることができた。「残月楼」にいた客の身許を調べたり、「残月楼」主の佐左衛門や、力丸の母なども訊ね回った。
力丸失踪時に座敷にいた金太という芸者が殺された。力丸に間違われたのだろうか?
これをちょいと離れたところで、「ちくりん」のおかみのお紋が金太の首の紐に注目していた。一緒にいた栗田の妻女・雪乃に、あの紐は吉原紐と呼ばれ珍しいものだと告げた。霊岸島の金蔵屋という店でしかつくっていないのだとか。この金蔵屋はつぶれていた。
奥女中のさだが困った顔で根岸の所にきた。森久馬助の奥方が来ているのだという。根岸も困った顔になった。森久馬助の奥方は親切の押し売りをするので苦手なのだ。しかも、後添えを勧めに来たのだという。相手は本多という旗本の姫だそうだ。
この奥方が後日やって来て、相手の姫の腹が大きくなったので、縁談はなかったことにして欲しいという。この姫は父母と一緒にいるので、子が出来るようなことを内証でできるはずがないという。まさに狐狸妖怪の類である。
もっともらしい顔をして根岸は残念がったが、実はこれに近い話は「耳袋」に書いたのを記憶していた。
力丸に続いて雪乃までいなくなった。栗田は血相を変えて雪乃を探し回っている。
こんなときに、根岸は松平定信に呼び出されていた。その席に学問の仲間を呼んでいるという。旗本本多兵庫の娘で月路という。最前、森久馬助の奥方が縁談をもちこんだ相手だった。
その頃、雪乃は力丸と一緒に捕らえられていた。力丸たちはどうやら自分たちが吉原かそれに近いところにいると判断していた。
吉原と深川の抗争が激しくなっている。根岸は五郎蔵を誘って吉原の現状を知るために出かけた。途中、五郎蔵は昔根岸が惚れていた女は、三浦屋の最後を飾った一夜高尾だったなぁ、と感慨深げにいう。
吉原には岡っ引きの久助がすでにいる。今宵は幇間として入り込んでいるのだ。そして、久助はしばらく吉原に留まり、様子を探ることになった。
「牛の玉」が吉原に出た。根岸はこれで、雪乃たちが吉原にいるのを確信する。それは以前に雪乃に「牛の玉」の話をしたのを、覚えていたからだ。
その頃、「残月楼」の主・佐左衛門は「闇の者」達に仕事を頼んでいた…。
本書について
風野真知雄
耳袋秘帖4 深川芸者殺人事件
だいわ文庫 約三一〇頁
江戸時代
目次
序 深川節
第一話 流れてきた人形
第二話 姫さまご怪妊
第三話 牛の玉
第四話 大通人
第五話 指の匠
第六章 雷公の怒り
登場人物
根岸肥前守鎮衛…南町奉行
坂巻弥三郎…根岸家の家来
栗田次郎左衛門…根岸直属の同心
たか…根岸の亡き妻、幽霊
お鈴…根岸の愛猫、黒猫
雪乃…奥女中
力丸(新郷みか)…根岸の恋人
馬蔵(珍野ちくりん)…船宿「ちくりん」主
お紋…「ちくりん」女将
五郎蔵…海運業者の顔役
久助…幇間あがりの岡っ引き
辰五郎…栗田が手札を与えている岡っ引き
松平定信…元老中
金太…芸者
佐左衛門…「残月楼」主
森久馬助の奥方
松平頼母
小島喜三郎
みその…小島喜三郎の娘
本多月路…旗本本多兵庫の娘
美濃屋…闇の者
玉屋栄太郎…めがね屋
栄一郎…倅
つかさ…大食いの花魁
つばめの政二
戸田完二郎…根岸家家来、はやぶさ竜二
一夜高尾(おけい)
三浦屋四郎左衛門
三浦剣四郎