覚書/感想/コメント
初秋亭の扁額を掲げて一年半以上。鮫蔵が刺されてから五ヶ月以上。いよいよ謎の宗教集団「げむげむ」を巡る物語のクライマックスである。
一方で、女房たちの商売は商売人の仁左衛門も呆れるくらいに上手くいっている。
仁左衛門の嫁・おちさの小間物を見る眼や愛想の良さ、藤村の女房・加代の書く宣伝文の上手さと香道の弟子達のつながり、夏木の妻・志乃の大身旗本の奥方という風情で客の信頼を得ている。
それぞれの持ち味が存分に発揮されることで、商売は七福堂の全盛期の一年分を一月で越えようかという勢いである。
店を持ち、「早春工房」と名付けた。男たちは「初秋亭」。女性はまさにこれからが人生の春なのである。
さて、町年寄の奈良屋市右衛門が登場する。
江戸の町は町奉行以下、町年寄、名主、月行事という支配系統になっている。町年寄は町奉行の下で町方の支配にあたり、町の下情を町奉行に上申する役割を果たした。つまりは、町民のトップにいたのが町年寄である。
町年寄は世襲で、三家が勤めた。
一つが作中に登場する奈良屋であり、他に樽屋、喜多村がいる。作中では奈良屋市右衛門、樽屋藤左衛門、喜多村彦右衛門の名で登場する。
ちなみに、奈良屋は館(たち)、樽屋は樽(たる)の姓を名乗る。
本書の最後に、
「苦しみながら、働きつづけるのだ。安住などというものを求めてはいけない。なぜなら、この世は巡礼なのだから」
という箇所がある。
これは、作者が述べているように、山本周五郎の「青べか物語」で著者の座右の銘として紹介されているストリンドベリイの言葉を引用したものである。
「青べか物語」では次のように訳されている。
苦しみつつ、
なおはたらけ、
安住を求めるな、
この世は巡礼である
内容/あらすじ/ネタバレ
秋風が吹いている。
藤村慎三郎はこのところ毎日のように鮫蔵の所に顔を出している。鮫蔵は「げむげむ」教のやつらにやられたにちがいないのだが、瀕死の重傷を負って以来、体力も気力も失われて回復の道は遠そうである。
夏木権之助の治療に当ってきた寿庵が別の医者を紹介してきているそうだ。
初秋亭に骨董屋の蓑屋が訪ねてきた。夏木の三男・洋蔵が戻ってきていないかを訪ねてきたのだ。
旗本の木村慎吾が亡くなり、変な陶器を残していったのだが、その使い方や価値が全くわからない。そこで洋蔵ならばと思ったようなのだ。
夏木はその陶器を預かってみることにした。これを七福仁左衛門とにらんでみても、何だかわからない。はやりここは木村の人となりを調べてみるしかない。
夏木は木村のことを知っていた。女にはもてたという。それも夏木以上にもてた。
藤村は鮫蔵をあんなにしたのは寿庵が関係しているのではないかと考えていた。寿庵が慌ただしく深川をあとにしたのも気になる。
夏木は木村と一緒に行ったことのある飲み屋に行ってみた。木村は女の足を褒めていたようだ。そして、木村の意外な一面を見る。
その頃、寿庵の引っ越し先が意外に簡単にわかった。
藤村は鮫蔵が岡っ引きになった経緯を鮫蔵の女房に聞いた。詳しくはわからないというが、門前町の権助親分の下っ引きであったことがわかった。
権助は死んでいるが、権助の女房は生きており、話を聞いた。すると、権助は鮫蔵を死にたがりだと言っていたようだ。そして、鮫蔵は多分お侍ではないかという…。
この前まで町年寄をしていた奈良屋市右衛門が初秋亭を訪ねてきた。町年寄とは江戸の民政の頂点に立つ役目である。
それが初秋亭に入れてくれというのだ。最近この手の話しが多くなっている。だが、初秋亭の三人は四十年来の付き合いである。複雑な心境である。
奈良屋は四十の時に妻を亡くし、以来独り身である。その奈良屋が執心の女がいる。おけいという。年は三十九歳。町人の出で、旦那は一年前に死んでいる。
何度も言い寄ったが相手にされない。その理由が亡くなった亭主・金門堂があまりにもすばらしかったので、ということであるが、それが奈良屋には信じられない。金門堂は逆立ちしても、立派な男ではなかった。
後日、おけいがわずかの借金の取り立てに来た場面に仁左衛門が遭遇した。おけいは金に困っていた。夫は金の在処を隠して死んだのだという。
俳諧の師匠・入江かな女の家をげむげむの幹部が訪れていた。音蔵という。
音蔵は鮫蔵という岡っ引きを知っているかと聞いた。見舞いを装って薬を飲ませて欲しいのだという。魂が浄化する薬だという。
かな女が鮫蔵を訪ねたと聞いて藤村は、しまった、と思った…。
「海の牙」の主・安治がこの四、五日、毎晩飲みに来る客がいるが、どうも変だという。ずっと酔っ払った振りをするのだ。
もしかしたら仇持ちじゃないだろうか。常連で仇持ちらしいのはいるかと聞くと、いるという。
藤村康四郎は髪を町人風にし若旦那を装っている、長助は遊び人風を装った。二人はげむげむの集まりに潜り込んでいた。
げむげむはこの五年で随分信者を増やした。それでも世直し一揆が出来るほどではない。世直しの大鉈を揮えるまであと何十年もかかるだろう。
もはやこれまでなのかもしれない…。
あとは蒔いた種が育ってくれるのを期待するしかないだろう。
鮫蔵の頭が回ってきた。身体の方はいくらか元気がないが、頭の方は元の通りになってきている。
藤村は鮫蔵を刺したやつの話を聞いた。そして、鮫蔵を刺した場に寿庵がいたことがわかった。寿庵こそがげむげむの教祖だった。
昨日開いたばかりのうなぎ屋がもうつぶれている。味は悪くなかった。一体なぜ?
夏木と仁左衛門は、うなぎ屋に店を貸していた山形屋からその謎を解いてくれと頼まれた。藤村はげむげむで手一杯のようだから、二人で調べることになった。
そしてある不思議なことに気がつき、そして謎を解き明かした。
げむげむに関して奉行所も本格的に動き出すことになった。
本書について
風野真知雄
神奧の山 大江戸定年組7
二見文庫 約二六〇頁
江戸時代
目次
第一話 神奧の山
第二話 短命の鏡
第三話 泥酔の嘘
第四話 むにょろむにょろ
第五話 惜別の橋
登場人物
藤村慎三郎…元北町奉行所定町回り同心
夏木権之助…旗本の隠居
七福仁左衛門…町人の隠居
鮫蔵…深川佐賀町の岡っ引き
藤村康四郎…藤村慎三郎の倅
長助…下っ引き
入江かな女…俳諧の師匠
安治…「海の牙」の主
寿庵…医師
およう…寿庵の亡き娘
蓑屋
木村慎吾…旗本
おりき
奈良屋市右衛門
おけい
金門堂
川瀬三之進
八百屋の万二
音蔵
全暁
佐吉
貫太郎
のぶ助
おひさ
雉の次郎八
仙六
山形屋
菅田万之助…本所深川同心
三原屋角兵衛…木場の大旦那