覚書/感想/コメント
第137回直木三十五賞受賞作品。
ある「客」が花魁・葛城について関係者に話を聞き回るという筋立て。全てが一人称で、目次のとおり基本的に十六人の視点から葛城が語られる。
最後の章「詭弁 弄弁 嘘も方便」はさらに細かくわかれ、「舞鶴屋番頭源六再ビ弁ズ/舞鶴屋抱え振袖新造 春里ノ弁/舞鶴屋床廻し定七再ビ弁ズ/仙禽楼 舞鶴屋庄右衛門再ビ弁ズ/御目付 堀田靫負ノ弁」となっている。
ここで新たに二人人物が加わるので、合計十八人の口からこの話は語られる。聞き手である「客」は直接的には登場しない。
そもそも、最初の三章、四章まではただ単に「例の騒ぎ」という文言が出てくるだけで「何がおきた?」のかすら分からない。花魁の葛城がその「例の騒ぎ」に絡んでいるのが知れるだけで、輪郭すら見えない。
だが、この導入部分では、吉原の基本的な情報が盛り込まれ、吉原という特殊な場所の輪郭はハッキリとしてくる。
導入部分でしっかりと吉原を描くことで、読んでいる方は吉原の世界にトリップできるようになっている。題名のとおりに吉原を手引きしてくれているのだ。
一つ、二つとヒントは示されながらも、具体的にハッキリと輪郭が見えてくるのは「女芸者 大黒屋鶴次の弁」前後の所であろう。
この時点で、話は半分以上進んでいる。ここで初めて「身請けが決まっていた吉原一の花魁が神隠しにあったように消えてしまった」ことが分かる。
一体なぜ消えたのか?そもそも、どうやって消えたのか?吉原というのは縦135間(約266メートル)、横180間(約355メートル)、周囲を5間(約9.8メートル)の堀に囲まれ、唯一の出入り口が大門だけである。吉原から逃げ切るのはほぼ不可能だ。
それにまして不思議なのは、吉原が葛城を追いかけた形跡がない。一体どうして?この騒ぎには「吉原一の花魁が神隠しにあったように消えてしまった」ということ以外に、さらに裏があるというのか?
最大の謎は「客」として登場する人物。いい男であるということ以外は謎に包まれている。何者なのか?なぜ葛城の話を聞き回るのか?
後半は怒涛のように、こうした疑問と、これに対する謎解きが繰り広げられる。前半に要した枚数に比して、後半が少ないだけに、まさに怒涛である。
圧巻は、最後の章。ここで全てが解決する。
そして、最後の章を読み終えた時点で、全体のストーリーを思い返すと、文字面から追うことが出来る表面的な騒動の裏に、葛城の抱えていた心情や、葛城に縁のある人間達が思っていた、感じていたことが徐々に浮かび上がってくる仕掛けとなっている。
実は、吉原が葛城を追いかけた形跡がないことについては、本書で一言も語られていない(もっとも、最後にそれとなく書かれているのだが…)。全てを読み終えて考えてみると、なるほどそういうことかとなる。
江戸時代において、この「騒ぎ」の真相のようなことがあれば、誉めこそはすれ、けなされることはない。吉原もその点を知っており、追っ手を差し向けなかった、そういうことなのだろう。
内容/あらすじ/ネタバレ
駿河町の相模屋から紹介を受けたという客が桔梗屋に顔を出した。内儀のお延が相手をしたがどうも相模屋という名に記憶がない。が、そこは商売。客の相手をすることに。
客は吉原は初めてだという。そこで、お延は吉原の基本的なことをしゃべり始めた。おしゃべりが好きなお延だ。色々と客に教えた。
客は吉原が初めてだというのに舞鶴屋の葛城の名をだしてきた。それも二度も。不審に思ったお延は客を追い出した。
別名を仙禽楼という舞鶴屋の見世番・虎吉は飾職をしていた職人だったが、身を持ち崩し、女房を吉原に売り、自分は見世番をしているという男だった。虎吉は花魁・葛城が人の深い井戸の底を覗いたことがあったのかねぇ、と感慨深げだった。
例の騒ぎが起きた時は、葛城の話を聞きたいと大勢が押しかけたと舞鶴屋の番頭・源六はいう。源六はある事件を引き合いに出して、葛城が肝の太い花魁だったことを教えてくれた。
舞鶴屋の番頭新造・袖菊は葛城が舞鶴屋に来たのが遅く、十三か十四の時だったという。すぐに陸奥花魁という姉女郎につき格別の仕込みを受けたということを話してくれた。
伊丹屋繁斎は水揚げに手を貸す男として通っていた。葛城の相手もしたが、女にしたのは別人だという。初めて床に入って枕をならべた相手に過ぎない。なら、葛城の最初の男は誰か。そんなことは知らない。
葛城は禿のときは名を初音といった。この禿の時に行儀作法を仕込んだのは遣手のお辰だった。賢い娘で、お辰がたじたじになることもあった。
舞鶴屋の主・庄右衛門は、三月も経って葛城の話を聞きに来た客を物好きだと思っていた。葛城という名は三浦屋の高尾や松葉屋の瀬川といった名妓と同様に格式のある名で、あの妓も葛城の五代目だったという。
武士の娘だったのかという客の質問に、女衒が連れてきたのでよく分からないという。
床廻しの定七は葛城のいちばんの馴染みは蔵前の札差・田之倉屋平十郎だと教えてくれた。
この田之倉屋平十郎に贔屓にしてもらっている幇間の桜川阿善は葛城と田之倉屋平十郎は他人も羨むいい仲だったといった。が、初会からぎくしゃくしており、葛城は他の客ではそうでもないのに、田之倉屋平十郎には妙につっかかたという。
女芸者の大黒屋鶴次は、身請けが決まっていた吉原一の花魁が神隠しにあったように消えてしまい、さらに最後似合っていた客も一緒に消えてしまった騒ぎを聞きに来た客の相手をした。最後の客は侍だったという。
船頭の富五郎は葛城から度々使いを頼まれていたようだ。ある時葛城に頼まれ部屋に入っていったが、なぜか花魁はいなかった。いたのは送るはずの客人だけだった。若侍だった。
指切り屋のお種は金に困った花魁達が衣装を売り払う助けをしていた。いわば横流しのようなものである。葛城のも引き受けていたが、葛城の衣装は他の花魁とは違って、ごくありきたりの柄が多かったという。
葛城の場合、向こうからやって来たと女衒の地蔵の伝蔵はいう。本名は初といったらしい。騒ぎの直前に越後の縮緬問屋が身請けするという話があったと教えてくれた。
小千谷の縮問屋西之屋甚四郎は葛城の身請けについて話をしてくれた。
札差・田之倉屋平十郎は核心にせまる話をしてくれた。
本書について
目次
引手茶屋 桔梗屋内儀 お延の弁
舞鶴屋見世番 虎吉の弁
舞鶴屋番頭 源六の弁
舞鶴屋抱え番頭新造 袖菊の弁
伊丹屋繁斎の弁
信濃屋茂兵衛の弁
舞鶴屋遣手 お辰の弁
仙禽楼 舞鶴屋庄右衛門の弁
舞鶴屋床廻し 定七の弁
幇間 桜川阿善の弁
女芸者 大黒屋鶴次の弁
柳橋船宿 鶴清抱え船頭 富五郎の弁
指切り屋 お種の弁
女衒 地蔵の伝蔵の弁
小千谷縮問屋 西之屋甚四郎の弁
蔵前札差 田之倉屋平十郎の弁
詭弁 弄弁 嘘も方便
登場人物
葛城…花魁
お延…引手茶屋桔梗屋内儀
虎吉…舞鶴屋見世番
源六…舞鶴屋番頭
袖菊…舞鶴屋抱え番頭新造
伊丹屋繁斎
信濃屋茂兵衛
お辰…舞鶴屋遣手
舞鶴屋庄右衛門…仙禽楼主
定七…舞鶴屋床廻し
桜川阿善…幇間
大黒屋鶴次…女芸者
富五郎…柳橋船宿鶴清抱え船頭
お種…指切り屋
地蔵の伝蔵…女衒
西之屋甚四郎…小千谷縮問屋
田之倉屋平十郎…蔵前札差