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宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第3巻」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

トルファンに着いて感じたのは、ウイグル人達のとげとげしい疲弊した感じです。ここから先は7割のウイグル人を3割の漢民族が支配している地域になります。

とげとげしい感じは人々の人相を悪くしています。治安も悪化しているらしいです。宮本輝さんが旅した時期と現在とで、どのくらい変化があるのでしょうか。

さて、キジル千仏洞にある鳩摩羅什像の写真。インド・アーリア系の面影と、中央アジアの民族の面影を両方伝える顔立ちです。

想像で作られた像ですが、それでも鳩摩羅什を思い浮かべる時には役に立つかもしれません。少なくとも、漢民族とは違うのだという程度には役に立つはずです。

第8章の題「あなたんは、あたしんのん、いのちんいんいんいん。」。ナントもふざけた題ですが、これが一体何を意味しているのかは、本書を読んで確認していただきたいと思います。

内容/あらすじ/ネタバレ

第8章 あなたんは、あたしんのん、いのちんいんいんいん。

一行はトルファンに着いた。海抜40メートルの大盆地にある街。風はないにもかかわらず、砂埃で街はかすんでいる。街はアラブの世界と同じように、今までの中国とは風貌から何までもが違っている。

翌日は、高昌故城へ行き、火焔山の近くに戻って勝金口千仏洞を見て、カレーズとトルファン最大のバザールを見学した。

ここで、旅の前から心配していた親子喧嘩をおっぱじめてしまった。

第9章 天山南路

6月9日早朝。トルファンを出発し、コルラへ向かう。トルファンを出ると、ゴビの砂漠が再び延々と続く。自動車は対向車が来るとぶつかるかどうかのギリギリの運転をしながら走っていく。その結末を一行は見ることになった。車にはねられたとおぼしき光景を見たのだ。

ゴビを走り続け、ふいに煙筒の多い高層ビルの建つ街が眼下に見えた。コルラに着いたのだ。

翌朝、コルラを出発した。次はクチャである。旅はようやく半分である。

第10章 時を越える音

クチャに近づくに連れて、天山山脈は輪郭を鮮明にする。天山山脈の南麓、タリム盆地の真ん中で、タクラマカン砂漠の北側に位置するクチャ。

一行はクチャに入る前にスバシ故城を訪れることにした。スバシ故城は鳩摩羅什も恐らくは参詣した場所であるはずだ。

翌日は、クチャか近郊のキジル千仏洞へ行った。鳩摩羅什が生きた時代に描かれた壁画が残されているのだ。もっとも、宮本輝にとって重要なのは壁画だけでなく、キジル千仏洞そのものと、周辺の風景であった。

本書について

宮本輝
ひとたびはポプラに臥す3
講談社文庫 約240頁
旅の時期:1995年
旅している地域 : 中国のトルファン~クチャ

目次

第8章 あなたんは、あたしんのん、いのちんいんいんいん。
第9章 天山南路
第10章 時を越える音

ひとたびはポプラに臥す

宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第1巻」を読んだ感想とあらすじ
本書の魅力は豊富な写真が散りばめられている点にあるでしょう。写真を見ながら、実際に自分も宮本輝さんと一緒に旅をしている気分を味わうことが出来ます。日本を出発したのは1995年5月25日で、帰国したのは7月1日です。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第2巻」を読んだ感想とあらすじ
西安を出発して以来、役人が公然と賄賂を受け取る様を見てきた宮本輝さん。中国の役人に対する嫌悪感を募らせていくことになります。同じように、宮本輝さんは天水以後、町の夜を散策しなくなったと書いています。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第3巻」を読んだ感想とあらすじ
トルファンに着いて感じたのは、ウイグル人達のとげとげしい疲弊した感じです。ここから先は7割のウイグル人を3割の漢民族が支配している地域になります。。宮本輝さんが旅した時期と現在とで、どのくらい変化があるのでしょうか。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第4巻」を読んだ感想とあらすじ
「河を渡って木立の中へ」という第11章の題は、アメリカ南北戦争の南軍司令官ロバート・リー将軍が戦闘のたびにつぶやいた言葉です。この言葉に対する解釈は、本書に書かれています。なかなか含蓄のある言葉です。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第5巻」を読んだ感想とあらすじ
宮本輝さんの歴史小説観が書かれている箇所が興味深いです。実在した人物を小説化することへの抵抗が根強く横たわっているというのです。実際にあったこともない人間に、まるでその人が語ったかのように描かれる歴史小説は、欺瞞、いんちき、もしくは詐欺なのではないかという思いを払拭でないそうです。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第6巻」を読んだ感想とあらすじ
前書から、パキスタンに入りました。パキスタンの景色はそれまでの中国側とは著しく異なっているようです。むしろ景観的にはパキスタンの方が素晴らしかったようなのです。個人的には、大量に掲載されているカラー写真がとても良かった作品でした。