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宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第4巻」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

「河を渡って木立の中へ」という第11章の題は、アメリカ南北戦争の南軍司令官ロバート・リー将軍が戦闘のたびにつぶやいた言葉です。この言葉に対する解釈は、本書に書かれています。なかなか含蓄のある言葉です。

宮本輝さんがウイグル族の住む場所を旅しながら思うのは、中国が新疆ウイグル自治区を明け渡さないのは、イスラムとその勢力の浸透を阻止するためではないかということです。

そして、新疆ウイグル自治区の状況が日本の昭和20年代から30年代前半と酷似しているという事実があります。

この地域にきて、かえって宮本輝さんは昔を懐かしむような記述が増えている感じです。もしくは、昔の自分と対峙する時間が増えたとでもいうのでしょうか。

さて、大学時代、体育会テニス部に所属していた事実。本書では体が弱い弱いとのたまわっている宮本輝さん。面白いギャップです。

もう一つ興味深いのは、宮本輝さんが「人間40を過ぎると、三島の小説にはつきあいきれない。」と述べているところです。意外にそんなものかもしれません。

内容/あらすじ/ネタバレ

第11章 河を渡って木立の中へ

スバシ故城への道の途中にあった村へ行くことにした。どこかの農家を訪ね、その暮らしぶりを見てみたいと思ったのだ。それは、クチャが天山南路のどのオアシスよりも豊饒で、人心に余裕があることを示す村だったからである。

村から戻ってきた一行はクチャの博物館を見学した。鳩摩羅什に直接関係する遺物や文献があるかもしれないと思っていたが、期待ははずれた。

夕食後クチャの新市街地へ向かった。歌舞団の公演を見るためである。その公演は素晴らしい内容だった。

第12章 死をポケットに入れて

6月13日、クチャを出発してアクスへ向かった。クチャを出発すると、再びゴビが口を開けて待っている。だが、今までのゴビよりはラクダ草の等は多い。

竜巻が発生する。ゴビの竜巻は「沙竜」と呼ばれる。砂が竜となってのぼるのである。

車で走っていると、ゴビを一人の男が歩いていた。淡々と、超然と。それは、信じられないような光景だった。アクスには夕方に到着した。

翌日カシュガル目指して出発した。カシュガルへの道の途中で、突然湖が現れた。蜃気楼ではないかと思ったが、それはボガチ湖と呼ばれる本当の湖であった。

第13章 生の学理的強奪

アクスを出発して、夕方にカシュガルに到着した。西域南道の巨大なオアシスである。

カシュガルの若い女性は左右の眉を一本につなげるみたいにして、前頭部の髪を逆毛立てて盛り上げている。これが流行のオシャレのようだ。

この地で宮本輝は鳩摩羅什の足跡を辿る旅の題をどうするのかを考え始める。同行している北日本新聞社の大割範孝(ワリちゃん)氏、田中勇人(ハヤトくん)氏も考えるが、今ひとつ良い題が出てこない。

カシュガルを出て、ヤルカンドの街にはいる時、宮本輝がふと思ったこと。それが、この旅の題となった。

本書について

宮本輝
ひとたびはポプラに臥す4
講談社文庫 約220頁
旅の時期:1995年
旅している地域 : 中国のクチャ~カシュガル、ヤルカンド

目次

第11章 河を渡って木立の中へ
第12章 死をポケットに入れて
第13章 生の学理的強奪

ひとたびはポプラに臥す

宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第1巻」を読んだ感想とあらすじ
本書の魅力は豊富な写真が散りばめられている点にあるでしょう。写真を見ながら、実際に自分も宮本輝さんと一緒に旅をしている気分を味わうことが出来ます。日本を出発したのは1995年5月25日で、帰国したのは7月1日です。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第2巻」を読んだ感想とあらすじ
西安を出発して以来、役人が公然と賄賂を受け取る様を見てきた宮本輝さん。中国の役人に対する嫌悪感を募らせていくことになります。同じように、宮本輝さんは天水以後、町の夜を散策しなくなったと書いています。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第3巻」を読んだ感想とあらすじ
トルファンに着いて感じたのは、ウイグル人達のとげとげしい疲弊した感じです。ここから先は7割のウイグル人を3割の漢民族が支配している地域になります。。宮本輝さんが旅した時期と現在とで、どのくらい変化があるのでしょうか。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第4巻」を読んだ感想とあらすじ
「河を渡って木立の中へ」という第11章の題は、アメリカ南北戦争の南軍司令官ロバート・リー将軍が戦闘のたびにつぶやいた言葉です。この言葉に対する解釈は、本書に書かれています。なかなか含蓄のある言葉です。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第5巻」を読んだ感想とあらすじ
宮本輝さんの歴史小説観が書かれている箇所が興味深いです。実在した人物を小説化することへの抵抗が根強く横たわっているというのです。実際にあったこともない人間に、まるでその人が語ったかのように描かれる歴史小説は、欺瞞、いんちき、もしくは詐欺なのではないかという思いを払拭でないそうです。
宮本輝の「ひとたびはポプラに臥す 第6巻」を読んだ感想とあらすじ
前書から、パキスタンに入りました。パキスタンの景色はそれまでの中国側とは著しく異なっているようです。むしろ景観的にはパキスタンの方が素晴らしかったようなのです。個人的には、大量に掲載されているカラー写真がとても良かった作品でした。