覚書/感想/コメント
宮本輝さんの歴史小説観が書かれている箇所が興味深いです。
実在した人物を小説化することへの抵抗が根強く横たわっているというのです。実際にあったこともない人間に、まるでその人が語ったかのように描かれる歴史小説は、欺瞞、いんちき、もしくは詐欺なのではないかという思いを払拭でないそうです。
これは興味深い意見です。
この旅行記の中で、度々宮本輝さんは自身の口で、作家は嘘つきであると述べています。
小説とは所詮虚構であるから、すべからく嘘を書き連ねていることを自虐的に言ったのでしょう。そのように、自分の口でそのように述べながら、歴史小説は虚構であるから抵抗があるといっているのです。
明らかな矛盾であるはずなのですが、その矛盾に宮本輝さんは恐らく気が付きながらも、敢て述べているのが興味深いのです。
歴史小説に対する宮本輝さんが持つ違和感というのは、感覚的なものであり、宮本輝さんの小説観からきているものでしょう。
所詮は小説じゃないか。私などは面白ければ現代小説でも歴史小説でも構わない口なので、宮本輝さんみたいな違和感を感じることはないのですが…。
内容/あらすじ/ネタバレ
第14章 生きて帰らざる海
6月16日タクラマカン砂漠を目指して出発した。市街地を抜けると長いポプラ並木が続く。ヤルカンドの町に着き、タクラマカン砂漠は橋を9つ越えたところにあると教えられる。橋を9つわたると、果たしてタクラマカン砂漠が現れた。
そこは生きて帰らざる海という表現以外は無い場所であった。宮本輝はこの砂漠を前にして、今までの小説家の人世を振り返り、そして、ここで一度し切り直して次の20年に向かって歩き出そうと決意をする。
ヤルカンドへ戻り、そしてさらにカシュガルへと戻った。
第15章 群からはぐれて
カシュガル最後の日。カシュガルの街の中心部に「職人街」と呼ばれる一角があり、一行はそこを見物した。
この日の夜、ガイドをしてくれた王付明(フーミンちゃん)氏がお別れの宴会を開いてくれた。
タシュクルガンに向けて出発する日、カシュガルには雨が降った。これからは、世界の屋根・パミール高原へと足を踏み入れることになる。途中では、標高3600メートルにあるカラクリ湖を通り過ぎた。
カラクリ湖を過ぎてからタシュクルガンまでの風景はほとんど覚えていなかった。まどろんでは目覚めを繰り返していたのだ。
第16章 遠くの雪崩
6月19日、中国国境を越えて、クンジュラーブ峠を越えて、パキスタンのフンザへと向かう。だが、そこまでの道のりは想像以上に険しく、険難な道のりであった。
クンジュラーブ峠にさしかかると、中国・パキスタン国境の柱が立っている。一方は中国を示し、一方はパキスタンを示していた。
これまで辿った道を地図で確認してみると、何と短いことか。宮本輝は今まで見た場所だけで中国を判断するのはやめようと肝に銘じるのだった。
パキスタンに入り、この旅をサポートしてくれた王付明(フーミンちゃん)氏ともお別れである。だが、そのお別れは国境のざわめきに紛れてしまって、あっけないものとなってしまった。
本書について
宮本輝
ひとたびはポプラに臥す5
講談社文庫 約240頁
旅の時期:1995年
旅している地域 : 中国のカシュガル~パキスタンのフンザ
目次
第14章 生きて帰らざる海
第15章 群からはぐれて
第16章 遠くの雪崩
ひとたびはポプラに臥す