下社最初の遷座地
諏訪大社の下社の秋宮と春宮は、上社と異なり地位は同格です。
御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を遷座します。2月~7月が春宮に祭神が祀られるため、春宮とよばれています。
春宮は下諏訪の町の北端に位置しています。下社最初の遷座地とされます。
秋宮は春宮から南東に約1.2kmの地に鎮座しています。春宮と秋宮のある地域は下諏訪の中心地。近世には中山道・甲州街道の宿場町として下諏訪宿も設けられました。
西方には砥川が流れています。山から諏訪湖に流れ込む川の傍に鎮座しているのは、あえてそうした立地を選んだのでしょう。
自然崇拝の強い神社です。それを特徴付けるのが、本殿がないこと(代りに宝殿がある)です。
春宮は杉の木を御神木としています。秋宮は一位の木を御神木と死、上社は御山を御神体として拝しています。
拝しているのは、それぞれ御神木であったり御山であったりしますが、諏訪湖の傍に鎮座していることから、本当の信仰の対象は諏訪湖でしょう。
JR中央本線下諏訪駅から北西へ約1km、秋宮から西へ1kmの位置で旧中仙道沿に鎮座します。上社へは諏訪湖を隔て約13kmです。
社頭から真直ぐ800m程伸びる道路はかつては春宮の専用道路で、下社の大祝金刺一族を始め多くの武士達が流鏑馬を競った馬場でした。途中の御手洗川に架る下馬橋は室町時代の建立ですが、建築様式は鎌倉時代のもので1730年代の元文年間に修築されましたが、下社では最も古い建物で遷座祭の折に神輿はこの橋を渡ります。
入口の御影石の大鳥居は万治二年(1659)建立と推定され、境外にある万治の石仏と同じ作者と言われます。
神楽殿と拝殿、左右片拝殿及御宝殿と続く建物の配置は秋宮と同じです。神楽殿は修改築が幾度となくなされています。春宮と秋宮の社殿の建替が諏訪藩に依って計画された時に同じ絵図面が与えられたと見え、大きさこそ違いますがその構造は全く同じで、春秋両社の建築は彫刻に於て技が競われております。春宮の社殿は地元の宮大工柴宮(伊藤)長左衛門が請負い、秋宮より後から着工して一年早く安永九年(1780)に竣工しました。
御宝殿は上下社共に三間四方で、方三間の神明造りと言います。下社では寅年と申年の左右の御遷座祭の他に半年毎に春宮と秋宮の遷座祭が執行されます。春宮は杉の木を、秋宮は一位の木を御神木として拝しております。
神楽殿の西の建物が筒粥殿、その西の清流は砥川です。川の中にある島は浮島と言い、どんな大水にも流れず下社七不思議の一つです。お社は浮島社と言い、清め祓いの神を祀り六月三十日の大祓式、夏越の祓いはここで行ないます。鎌倉武士が御射山の祭典に参列する時まずこの川で身を清め八島高原へ登山したと伝えら れます。
http://suwataisha.or.jp/harumiya.html
秋宮
諏訪大社下社春宮の見どころ
下馬橋
一の鳥居からの参道途中にある太皷橋です。
室町時代造営で下社では最古の建造物になります。
身分にかかわらず馬から下りて渡らなければならないとされました。
暗渠になっているので分かりにくいですが、橋の下には御手洗川が流れています。
お詣りの前に身を清める所でした。自然を利用した手水舎というところでしょうか。
現在も遷座祭において神輿のみが渡るということですので、ここからがいよいよ本当の神域であることを示している場所になります。
手水舎
二の鳥居の手前にあります。鳥居に向かって、左手前。
鳥居
二の鳥居。一の鳥居は坂の下の交差点に位置します。鳥居の手前左に見えるのが手水舎。
右手石垣の上に見えるのが社務所・授与所。ここからは見えませんが、左手に砥川が流れています。
狛犬
社務所
神楽殿
江戸時代の天和年間(1681年~1684年)頃に造営されました。神楽殿と拝殿の配置は秋宮と同じです。拝殿は秋宮の方が立派です。
幣拝殿
幣拝殿は国の重要文化財。江戸時代の安永9年(1780年)に落成。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造り。左右に片拝殿(重要文化財)が並ぶ。かなり特殊なつくり。本殿はありません。
宝殿
諏訪大社には本殿がない代わりに2つの宝殿があります。
宝殿の一方に神輿が納められています。寅と申の年の御柱祭で御柱建て替えと同時にもう一方へ遷座し、12年ごとに宝殿は建て替えられます。宝殿は神明造に似た古い様式です。
寅年から申年の間、神輿は向かって右の宝殿に納められます。申年から寅年は神輿は向かって右の宝殿に納められます。
神輿のある方を「神殿」と呼び、祭祀を行います。もう一方は「権殿」と呼ばれます。訪れた2019年は亥年。向かって右手が神殿となります。
「権殿」
「神殿」。この日、片拝殿の右側で御祈祷を受けている家族がありました。
砥川からの風景。
境内案内図
結びの杉
先で二又に分かれています。
筒粥殿
筒粥神事が行われます。今年の世相や農作物の作況を占う伝統行事。
摂社・末社
摂社
若宮社。祭神:御子神13柱。13柱は建御名方彦神別(たけみなかたひこがみわけ)命、伊豆早雄(いずはやお)命、妻科比売(つましなひめ)命、池生(いけのお)神、須波若彦(すわわかひこ)神、片倉辺(かたくらべ)命、蓼科(たてしな)神、八杵(やきね)命、内県(うちあがた)神、外県(そとあがた)神、大県(おおあがた)神、意岐萩(おきはぎ)命、妻岐萩(つまぎはぎ)命。例祭:7月1日。
末社
子安社。祭神:高志沼河姫(こしのぬなかわひめ)命(母神)。例祭:6月22日。
上諏訪社。祭神:建御名方神(上社祭神)。例祭:7月15日。
浮島社。
境外社
- 御作田社 御田植神事が行われます。
- 青塚社 秋宮近くの青塚古墳上に鎮座。
秋葉山大権現
その他
諏訪大社春宮の概要
文化財
指定 | 内容 | |
---|---|---|
国指定 | 国宝 | ― |
重要文化財 | 春宮幣拝殿 春宮左右片拝殿(2棟) | |
登録有形文化財 | ― | |
県指定 | 史跡 | ― |
市指定 | 有形文化財 | 春宮下馬橋(建造物) |
有形民俗文化財 | ― |
天然記念物
国指定 | ― |
---|---|
県指定 | ― |
市指定 | 秋宮社叢 |
公式ページ
住所&地図
所在地 春宮:長野県諏訪郡下諏訪町193
TEL:0266-27-8316
万治の石仏
砥川を隔てて春宮の対岸にあります。春宮から浮島社を経て道があります。江戸時代前期の万治3年(1660年)に造られた石仏のため、万治の石仏と呼ばれます。高さは約2.7メートル。奥行き約4メートル。
伝説によると諏訪大社下社(春宮)に石の大鳥居を造る時、 この石を材料にしようと、ノミを入れたところ傷口から血が流れ 出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめました。
ノミの跡は現在でも 残っています。
その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い材料が あると告げられ果たしてそこに良材を見つける事ができ 鳥居は完成したというのです。
石工達は、この石に阿弥陀如来をまつ って記念としました。
尚この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町 字石仏となっています。
お参りの仕方が書かれています。