覚書/感想/コメント
青樹社文庫「上杉謙信」を改題し「上杉謙信と直江兼続」としたのが本書。
前半三分の一が上杉謙信で、後半三分の二が直江兼続である。そもそも「上杉謙信」としかつけなかった題名に相当問題がある。本書の題名の方が相応しいのはいうまでもない。
わずか三八〇ページという中で二人の武将を描こうとしているのだから、恐ろしいペースで進んでいく。
惜しいと思うのは、このページ数の短さである。
というのは、直江兼続に関連して登場する「よろず買い集め屋」六甲屋の面々が個性豊かであり、もっと紙面が長ければ、この面々を十分に生かすことができたのではないかと思うからである。
さて、樋口与六から直江兼続に名を変えるところで、本書では上杉謙信自ら直江山城守兼続と名乗らせたという設定になっており、他の本とは大きく異なる箇所があるが、まぁ、小説なので気にしないように…、
内容/あらすじ/ネタバレ
上杉謙信は春日山城で大杯を傾けながら物思いにふけっている。雪が降っている。傍らには本庄新左衛門がいる。そこへ金津新兵衛と鬼小島弥太郎がやってきた。
年明けて、永禄二年。雪解けと同時に出陣の準備をさせた。
鬼小島弥太郎は橋役人・石田定賢の所で休んでいた。そこを通りすぎた行商人に見覚えがあった弥太郎は行商人を呼び止めた。行商人は武田信玄に仕える小幡茂幸と名乗った。小幡茂幸の扱いに困った弥太郎は石田定賢にまかせてしまう。
永禄四年。「毘」文字の戦旗がひるがえった。川中島を目指して春日山から進発したのだ。上杉軍は妻女山に陣取った。この川中島の合戦は「啄木鳥の戦法」で有名な戦いである。
永禄七年。坂戸城主長尾政景が死んだ。謙信は政景の遺子・景勝をひきとった。
長尾政景の謀殺事件は謙信の胸に暗い痛みを残している。越後の安定のためには、いささかでも武田や北条によしみを通じていると疑惑されるものは取り除かなければならない。
元亀三年。武田信玄が死んだ。この頃、謙信の近習の一人に十四才の樋口与六がいた。樋口与六の才能は無骨な老臣達に、えらい小わっぱがいたものだと驚かせた。
天正五年(一五七七)。謙信は能登の七尾城攻略に取りかかっていた。
樋口与六は謙信に織田信長は出馬してくると断言した。だが、七尾城が落ちていた場合にはすぐに帰るだろうとも付け加えた。
予想通りに事が運び、織田軍の追撃軍に樋口与六も加わることになった。側には鬼小島弥太郎をつけた。だが、この戦いで与六は行方不明になってしまう。
樋口与六は六甲屋嘉兵衛に助けられていた。六甲屋は商人で、よろず買い集め屋である。合戦が終わって、無用になった品々を扱うという。
六甲屋では娘のお幸、堂前弥十郎、南蛮、投銭、篠笛といった連中の世話を受け、心を通わせていった。
ここにいる間に与六は一人の女に出会った。おゆうという。
樋口与六が春日山城へ戻ってきた。この四日後、春日山城で不祥事が起きた。毛利名左衛門が直江実綱ほかを殺し、謙信にまで迫ったのだ。事の根は名左衛門と実綱のぬきさしならぬ感情のこじれにあった。
天正六年。謙信は織田信長と決着をつけるつもりでいた。
謙信は与六に直江の家を継がせ、直江山城守兼続と名乗らせた。
兼続が直江津へいった折、懐かしい六甲屋の面々と会った。南蛮、投銭、篠笛である。忍びの術に長じる瓢箪も来ているということだった。兼続はこの皆を春日山城に招いた。
出陣間近。あろうことか上杉謙信が倒れた。諸将の動揺を鎮める必要があるが、これには継嗣を決めるのが最優先だ。謙信は不自由になった意識の中で景勝を後嗣に決めた。
事は迅速に運ばれ、上杉景勝が春日山城に秘かに連れてこられた。
そして上杉謙信が死ぬ。行年、四十九であった。
謙信の死により一気に問題が浮上してきた。まず、三郎景虎が後嗣問題に異を唱え、実家の北条家と武田家に助けを求めてきた。
直江兼続としては武田家には手を引いてもらうための方策を練るしかなく、そのために景勝に苦渋の選択を迫った。
六甲屋の面々の内、瓢箪だけが兼続の所にとどまり主従となった。
直江兼続は合戦のある度に、南蛮や投銭、篠笛を懐かしく思った。天正年間は合戦で明け暮れし、その間に、織田信長が本能寺で死に、秀吉が天下人にのしあがっていた。
本書について
永岡慶之助
上杉謙信と直江兼続
人物文庫(学陽書房) 約三八〇頁
目次
雪の武将
川中島前後
謀将初陣
戦塵
北越の星
武将の階段
継嗣参謀
影の挑戦
登場人物
上杉謙信
直江兼続(樋口与六)
上杉景勝
本庄新左衛門
金津新兵衛
鬼小島弥太郎
石田定賢…橋役人
小幡茂幸…武田信玄の近習
六甲屋嘉兵衛
お幸…六甲屋の娘
木庵…医者
堂前弥十郎
南蛮
投銭
篠笛
瓢箪
赤毛
おゆう