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勝連城の訪城記-歴史と見どころは?(沖縄県うるま市)[世界遺産]

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勝連城は「かつれんぐすく」「かつれんじょう」と読みます。

この日は勝連城からスタートし、中城城跡、首里城を訪ねました。首里城周辺での食事に時間がかかってしまい、玉陵(たまうどぅん)を訪ねることができませんでした。

小高い丘陵にあり、崖に建っているところは同じですが、世界遺産に登録されている城(ぐすく)の中では最も急峻です。

世界遺産でもあり、国の指定史跡続日本100名城です。

今帰仁城跡、座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡のいずれもジブリの天空の城ラピュタ感が満載でした。

宿泊旅行なら旅行サイトを利用するのが良いと思います。下記をご参考になさってください。

世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成要素

2000年11月30日、日本で11件目の世界遺産として登録されました。

勝連城の歴史

勝連城は、14世紀初頭に築城されたと考えられています。英祖王統2代・大成の五男、勝連按司の時代です。

12世紀から13世紀頃には築城が始まっていたという説もあります。

勝蓮城最後の城主(按司ともいいます)・第10代目城主の阿麻和利がよく知られます。勝連グスク10代目の城主の阿麻和利は海外貿易によって勝連地域に繁栄をもたらしました。

1429年の琉球王国の成立後1458年に国王に抵抗して滅ぼされました。王国の歴史書では逆心として位置づけられています。

一方で16~17世紀の琉球最古の歌謡集「おもろさうし」では阿麻和利を称える歌謡が数多く残されており、評価が二分しています。

勝連城の見どころ

下の写真の手前の所までカートで乗ってこれます。下の入り口から歩いてみるのも良いですが、カートをおススメします。というのは、ここから先も結構な勾配ですので、歩くのが大変だからです。

ウタミシガー

「ウタミシ」はお試し、「カー(ガー)」とは泉を意味する沖縄の言葉です。旧暦元旦の初みの際に、水の量によって一年の豊作・凶作を占うことから、「ウタミシガー」という名前が付いたと伝えられています。この泉の水量が豊富にあるときは「サーイ年(不作の年)」、水が少ないときは「ユガフーの年(豊作の年)」と言われています。

ウタミシガーの案内板

ミートゥガー

かってこの泉が、男女の逢瀬の場であったという伝記から「縁結びのカー(泉)」と伝えられています。女性が自由を制限された時代でも、水汲みは外出する口実になりえたのでしょう。一方で「この泉のそばで恋物語をするな」という言い伝えもあります。ここで結ばれた男女が別れると、どちらかに不幸が起きると信じられていたからです。泉は命の源や聖域であることから、困難があっても添い遂げよという教えなのかもしれません。

ミートゥガーの案内板

三の曲輪城門

肝高の御嶽

舎殿跡

二の曲輪

二の曲輪では、正面約1.7m、奥行き約14.5mの大きな殿跡が発見されました。この建物は城の中でもっとも重要な建物であったと考えられています。

礎石のあるしっかりした建物で、屋根は板または草葺きであったと考えられていますが、周辺からは大和系瓦も発見されることから一部瓦葺きだった可能性もあります。

また、建物の四隅には長方形の石灰岩による石積みが発見されています。この石積みは、建物と同時にあったと考えられていますが、機能についてはわかっていません。

また、二の曲輪の西側には地元で「火の神」と呼ばれている場所があります。

二の曲輪の案内板

ウシヌジガマ

公式HPや場所など

https://www.katsuren-jo.jp/

所在地: 〒904-2311 沖縄県うるま市勝連南風原3807-2