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佐江衆一の「江戸職人綺譚」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

第四回中山義秀文学賞受賞

錠前師、凧師、葛籠師、人形師、大工、化粧師、桶師、女刺青師、引札師の九つの職人の姿を描いており、その職業に打ち込む姿だけでなく、そこに様々な人間模様を織り込んだ短編集である。

とても短い「水明り」のような作品から、スケールの大きさを感じる「解錠綺譚」や、ホラータッチの「雛の罪」などバリエーションに富んでいる。

個人的には「水明り」や「思案橋の二人」が好きである。

ごく短い「水明り」は短編らしい短編の作りになっており、最後の一ページにすべてが凝縮されている。O・ヘンリーやカポーティの短編を思い出しながら読んだ。

一方「思案橋の二人」は好対照な人生を送ってきた老人が、その生き方を変え、考え方を変え、これからの新しい人生を歩んでゆく姿が力強い。

さて、様々な職人を扱っているので、当然ながらそれぞれの職業のことも丁寧に書かれている。そこには、全く知らない職人の姿が映し出されており、それぞれに興味深い事柄が多く書かれているのも本書の楽しみだろう。

例えば、「笑い凧」では「凧」の呼び名。

長い尾縄の垂れる形が烏賊や蛸ににているところから、京坂では「いかのぼり」、略して「いか」といい、江戸では「たこ」という。長崎では「はた」というそうだ

「一会の雪」では次の一節が印象深かった。

『「きびしい北風に吹かれて強くなるんです。日なたばかり歩いてきた人は、なよなよして傲慢で、あたし嫌いです」
「ああ、人間はそうかも知れねえ。でも竹や木は違うんだ。そこがいいね。日なたにいたってうぬぼれやしねえ。お天とうさまの光を浴びて丈夫にすくすく伸びる。木なんかはたっぷり枝だが出て、ふしがあるから強い。竹も木も自然にあるまんまに細工しなくちゃいけねえんだ。千年も山にある木を材木にしてその通り柱にすりゃ、千年もつ家が建つ」』

「対の鉋」では、茶室にかんする記述があり、茶のことなど全く知らない私などは、驚くことばかりだった。

茶室は利休以来、古い伝統とさまざまな約束事があり、流派によっても微妙に異なるそうだ。

待庵のような二畳の茶室。一畳半の庵を建てかえた三畳台目の不審庵、織田有楽の好みとされる京都建仁寺の二畳半台目の如庵、古田織部好みとされる三畳の客座を中央に相伴席と点前座を設けた燕庵。他に広い密庵や書院風の広間などがあるという。

「昇天の刺青」で興味深かったのは次のようなことだ。

文政年間。派手な刺青をするのは定火消のガエンと町火消の鳶のものに多かった。

刺青師からみると「腕から彫ってくれ」と注文する客は全部仕上がらない。ふつう背中から彫るもので、先に腕から彫りたがるものは腕だけでやめようとの下心があるとみるのだそうだ。意気地がないということなのだろう。

内容/あらすじ/ネタバレ

解錠綺譚

北見重右衛門と名乗る用人風の中年の武士が三五郎を訪ねてきた。慶応二年九月の夜のことである。駕籠に乗せられ、途中で目隠しされてついた屋敷で、三五郎は湯殿に取り付けられた錠をはずすことになった。

三五郎は、仲間内でからくり錠の三五郎といわれている。世界にもないからくり錠を発明した男なのだ。幕府御用達の仕事もしたことがある。

その三五郎が湯殿の錠をはずす仕事のことが頭から離れない。仕事も手につかない状態である。こうした中、三五郎のからくり錠を破った者がいるという。どうやら錠前破りは女らしい。

自分のからくり錠を破った女に興味を持つ三五郎であったが、再び湯殿のところから仕事が来た。今度はお姫様の長持の錠前を作ってもらいたいという。そして、出来上がった長持を持っていくと、今度はとんでもない依頼をされる…。

笑い凧

定吉は鳶凧にこだわる凧師である。当節は角凧の時勢であり、それも派手な絵凧や字凧でなければならない。地味な鳶凧ははやらないのだ。そうしたことを凧商からくどくどいわれた定吉は機嫌がよくない。さらに銀次が戻ってきていると聞く。

定吉の女房・おみねは頑固な定吉に愛想を尽かして銀次の所に行ってしまっていた。それも息子の亀太を残してだ。
鬱々とした気持ちの中、定吉は丁稚奉公に出た亀太の様子を見て、ある決心をする。

一会の雪

茶店を営むおすぎが店じまいをしようとしたいた頃。病人の女客がやってきた。おきくと名乗った女は病身をおして江戸に向かう途中だという。そして、うわごとのように伊助の所に行かなくてはという。そして、おきくは亡くなった。

明けて、おすぎは江戸に伊助を訪ねることにした。おきくのためにもそうしたいと思ったのだ。そして、おすぎは葛籠師の伊助を訪ねた。

雛の罪

目明かしの佐吉は市松人形を抱いて年端もゆかぬ八つの娘が事切れたことに心を痛めていた。見た目には事故である。だが、佐吉は誰かに見つめられているような妙な気がしていた。

死んだおくみの枕元に飾られていた人形が、人形師舟月の作だと聞いて訪ねる気になった。そして、ことのあらましを話し、内裏雛の太刀を喉に突き刺して死んだと話すと、佐吉が気の毒に思うほど狼狽した。

舟月は佐吉が帰ったあと、人形のことを思っていた。人形師がいつまでも人形の心にいてはいけないのだ。精魂込めて作るが、出来上がったら人形は人形師の手を離れて一人立ちしなくてはいけない。ことに人に似せて作る面影人形は、その人の面影を残しながらもその人と別の人形でなくてはならない。まして死者の霊などを宿してはいけないのだ。

対の鉋

おさよは大工の常吉を見ていた。来年に還暦を迎える山城屋藤兵衛が隠居所の庭先に造る茶室を棟梁の常吉が一人で仕事している。常吉にしてみれば、この仕事は初めて棟梁として任された仕事である。片時も手を抜くつもりはない。そう仕込まれてきたからだ。

常吉は大工道具と砥石に稼ぎのほとんどをつぎ込んでいる。それは鍛冶の腕、大工の腕、砥石の三拍子がそろって初めて切れ味のよい仕事が出来るからだ。

その常吉の大工道具のうち、豆鉋の一方がなくなった…

江戸の化粧師

化粧師の代之吉は職業柄、女たちを観察して次なる流行の化粧を案出するためにぶらぶらしていた。

今日も女はそこにいた。代之吉はとっさに化粧映えのする顔だと思った。これほどの顔に出会うのは珍しい。化粧師としての腕が鳴った。おしまと名乗る女のあとをつけると、女の暮らしぶりは苦しそうだった。

ある日再びおしまを見かけた代之吉はおしまに声をかけ、化粧をすることになった。そこに代之吉はあるものを見ていたのだった…。

水明り

客をとるおりんは今夜を最後にしようと心に決めていた。そのおりんの客としてやってきたのは浅吉という桶師だった。

おりんの望みは一生に一度でいいから据風呂に入ることであった。貰い湯ではなく、自分の家の据風呂だ。浅吉は浅吉で、惚れきった女に自分の作った檜の据風呂に入ってもらうのが願いだった。

そうした二人は…

昇天の刺青

死の間際、辰吉はおたえに自分の体に刺青をさせて最後の修行を終えるつもりであった。辰吉の心残りは客の吉五郎の刺青である。それをおたえに託して静かに息を引き取った。

吉五郎は九紋龍を彫ることになっていた。辰吉の葬儀が終わると、さっそくおたえは吉五郎の体に針を刺し始めた。

思案橋の二人

家督を譲り、藩の仕事を致仕して隠居になった土屋半兵衛はある決意を心に秘めていた。

そうしたある日、半兵衛は同藩の長坂六右衛門を見かけた。あまり会いたい人間ではない。偏屈もので同僚下僚から嫌われていた。半兵衛は江戸藩邸の剣術師範であったから、仕事上の直接のつきあいはないが、親しくもない。

その六右衛門が半兵衛に気が付いた。そして、六右衛門は半兵衛を訪ねるつもりだったという。だが、一体何の要件があったのかわからないまま二人は別れる。

半兵衛は戯作界の第一人者、三東京伝の店を訪ねて三東京伝に自分の作った引札の戯文を見てもらうつもりなのだ。だが、三東京伝からきつくいなされ、失意のどん底に突き落とされる。

再び六右衛門が半兵衛を訪ねて、意を決したように、剣術を教えてくれと頼み込んできた。その熱意にほだされ、半兵衛は六右衛門に剣術を教え、半兵衛は六右衛門の熱心さに感化され、いきおい戯文書きに熱が入っていった…。

本書について

佐江衆一
江戸職人奇譚
新潮文庫 約三二〇頁

目次

解錠綺譚 錠前師・三五郎
笑い凧 凧師・定吉
一会の雪 葛籠師・伊助
雛の罪 人形師・舟月
対の鉋 大工・常吉
江戸の化粧師 化粧師・代之吉
水明り 桶師・浅吉
昇天の刺青 女刺青師・おたえ
思案橋の二人 引札師・半兵衛

登場人物

解錠綺譚
 三五郎…錠前師
 瑠璃
 多加
 北見重右衛門
 嘉平…目明かし

笑い凧
 定吉…凧師
 亀太
 おみね
 銀次

一会の雪
 おすぎ
 伊助…葛籠師
 おきく

雛の罪
 佐吉…目明かし
 舟月…人形師
 おくみ
 喜兵衛…淡路屋主
 久蔵
 お里
 お品

対の鉋
 おさよ
 常吉…大工
 山城屋藤兵衛
 英三郎

江戸の化粧師
 代之吉…化粧師
 おしま
 熊吉

水明り
 浅吉…桶師
 おりん

昇天の刺青
 おたえ…女刺青師
 辰吉…おたえの父
 吉五郎

思案橋の二人
 土屋半兵衛…引札師
 長坂六右衛門
 三東京伝
 お菊