覚書/感想/コメント
シリーズ第九弾。
舞台は長崎から江戸へと戻ることになる。長いこと続いたおらん(瀬紫)との戦いにも終止符が打たれ、新たな物語が始まろうとしている。
新たな物語はまさに幕末動乱の物語でもある。
本書でも語られているが、下田ではアメリカのハリスとの交渉が始まっている。
日米修好通商条約の案がまとまるのが安政五年(一八五七)の正月である。そして、条約の調印は六月のことである。本書から一年程あとのことである。
この時に、条約締結にむけて堀田正睦は東奔西走することになるのだが、上手くいかず、やがては政治舞台から消えることになる。
思いがけない形で異国を見聞することになった藤之助の存在は開国をすすめようとしている老中首座・堀田正睦の切り札になるのだろう。
しばらくは堀田正睦の年寄目付・陣内嘉右衛門達忠とのやり取りが頻繁になりそうな気配である。
題名の「御暇」は長崎を御暇するという意味もあるのだろうし、座光寺家の奉公を止める文乃の御暇の意味も込められているのだろう。
前作でもチラリと登場した文乃であるが、嫁ぐことが決まった。相手は茶道具屋の嫡男・駿太郎である。
その嫁ぐ前に文乃の最後の奉公として、座光寺家の山吹陣屋への旅が計画される。
江戸に戻ってきたと思ったら今度は伊那へ行くことになる藤之助。一体、伊那では何が待ち受けているのだろうか?
さて、長崎で狩りの場面があり、ペルシャ馬が登場する。高島玲奈の愛馬たちである。
西洋馬が渡来したのは天正十九年(一五九一)のことで、豊臣秀吉にアラビア馬を献上したのが最初である。秀吉はたいして興味を示さなかったようで、繁殖などをさせていないようだ。
西洋馬に比べ、日本馬は丈が低くずんぐりむっくりしている。大きすぎる西洋馬は当時の日本人の体型などから考えて向かないと判断したのかもしれない。
内容/あらすじ/ネタバレ
安政四年(一八五七)。思いがけない形で異国を体験した座光寺藤之助は長崎の春を楽しんでいた。
二月に入ってから、阿蘭陀から送られた観光丸の活動が俄に激しくなっている。海軍伝習所一期生矢田堀景蔵らが訓練に明け暮れていたのだ。
半月後に観光丸は江戸にむけて航海することが決まっている。そして藤之助も江戸に戻ることが決まっていた。
藤之助は高島玲奈に誘われ狩りに出かけた。この狩りは阿蘭陀商館員と奉行所の通詞方が客となっているものだ。嘉永五年(一八五二)を最後に阿蘭陀商館長一行の江戸参府も中止となっていた。
阿蘭陀商館員、通詞方の他に初めて見る武士がいた。藤之助は江戸の匂いを感じ取っていた。
武士は大目付宗門御改与力の町村欽吾、亡き大久保純友の配下である。町村は大久保の死の真相を探り出そうとしているのだ。この大久保の死は幕閣で激しい議論をよんだという。だが、幕閣の判断は謎の南蛮剣士によってもたらされたものとして決着をみた。
藤之助は狩りを通じて町村が弓の達人であることを知った。
狩りの帰り、阿蘭陀通詞の加福海山が藤之助に耳打ちした。黄武尊が唐人屋敷を訪ねてきてくれというのだ。また、近いうちに老陳の鳥船が長崎にはいるそうだ。
おらんから藤之助に挑戦状が送られてきた。藤之助に新たな南蛮剣士の刺客を送るつもりのようだ。南蛮剣士は藤之助に敗れたバスク人ピエール・イバラ・インザーキの義弟アルバロ・デ・トーレスという。
だが、藤之助はおらんが挑戦状を送ってきた真意を測りかねていた。
黄武尊は長崎の命運が尽きたという。
老陳一派も長崎だけを相手に商う時代を終えているという。これからは江戸の動きを見て鳥船を動かすことになるだろう。そうなると江戸に戻る藤之助の存在が邪魔になったのかもしれない。そして、黄武尊は唐人は長崎と相対死する気はないといった。
翌朝からおらんからの刺客がやってきた。
椚田太郎次が藤之助を船に乗せた。船には時計師・御幡儀右衛門が工夫した新しい連発式三挺鉄砲の改良型が積まれている。
太郎次は高島を知っているかと聞いてきた。長崎湾外に浮かぶ高島は長崎奉行の支配下にはない。佐賀藩鍋島家の領地である。ここに老陳一派の船が入っている。
そして高島には良質の石炭が採掘できるのだそうだ。
おらんからの刺客が続けざまにやってきた。刺客は七日間連続でやってきた。
藤之助は玲奈に同行してバスチャン洞窟屋敷に行った。そこできりしたん流の祝言を挙げた。
祝言を終えた藤之助に玲奈の母・ドーニァ・マリア・薫子・デ・ソトはクレイモア剣を授けた。これは玲奈の父・ソトが残していったものである。
おらんが道場に現われた。それは老陳が藤之助の江戸帰府を歓迎していないことを意味している。
おらんは、刺客を倒せば代償に八百四十両を取り戻すことになり、藤之助が倒れた時は黄武尊が老陳と手を組むことになると告げた。
藤之助は阿片騒ぎのおりに顔見知りとなった遊女・あいから中間頭・専次郎が大久保純友の亡骸を最初に見つけたという事実を聞いた。この専次郎がどうやら町村欽吾の切り札となるようだった。
別離の宴が料理茶屋稲佐山荘で催された。
このあと、藤之助には長崎最後の大掃除が残っていた…。
観光丸は長崎を三月四日に出航して二十二日後に品川沖についた。
藤之助にとって一年余ぶりの江戸である。牛込御門外、裏山伏町に入って、藤之助は屋敷に戻ってきたとつくづく感じた。
都野新也、相模辰治ら若侍が出迎えた。藤之助は家臣たちの体つきが長崎出立前に比べてがっしりしていることを見て取った。野天道場も土が土俵のように固く締まり、日頃の稽古の姿が目に見えるようだ。
藤之助は文乃が奉公を止めて嫁ぐことを知った。相手は後藤松籟庵という茶道具を扱う老舗の嫡男だ。
藤之助は小姓の相模辰治を伴って吉原に向かっていた。
藤之助の見たことのある吉原はまさに生き地獄だった。だが、今は再建がなっている。
この吉原での事件を境にして藤之助が座光寺家の当主となったわけだが、これは江戸屋敷の家臣にとって触れてはならぬ禁忌であった。藤之助はこの禁忌に終止符を打つために吉原に向かっていたのだ。
藤之助は幕府講武所に向かった。頭取・男谷精一郎に呼び出されたのだ。
見所には頭取の他に桃井春蔵、伊庭軍兵衛らがおり、陣内嘉右衛門の顔も混じっていた。
呼び出されたのは他でもない、腕試しであった。
藤之助は山吹陣屋に戻りたいと陣内嘉右衛門に願った。陣内は許しが出るようにしておくという。そして、亡き大久保純友の従弟・大久保五郎丸が藤之助を狙っているようだと告げた。
藤之助は用人格の彦野儀右衛門、小姓の相模辰治、文乃、荷駄を引く桃助とで陣屋に戻ることにした。文乃にとっては最後の奉公となる旅でもある。
本書について
佐伯泰英
御暇
交代寄合伊那衆異聞9
講談社文庫 約三二〇頁
江戸時代
目次
第一章 稲佐山の狩り
第二章 クレイモア剣
第三章 別離の宴
第四章 鉄砲殺し
第五章 伊那帰郷
登場人物
座光寺藤之助為清
高島玲奈
高島了悦…長崎の町年寄
椚田太郎次…江戸町惣町乙名
魚心…椚田太郎次の奉公人
ドーニァ・マリア・薫子・デ・ソト…玲奈の母
えつ婆
おけい…えつ婆の娘
ペーテル・ハンセン…デンマーク人
葛里布
矢田堀景蔵
勝麟太郎
一柳聖次郎
酒井栄五郎
(能勢隈之助)
上田寅吉…船大工
永井玄蕃頭尚志…長崎伝習所初代総監
町村欽吾…大目付宗門御改与力
ドンケル・クルチウス…阿蘭陀商館長
加福海山…阿蘭陀通詞
黄武尊…長崎・唐人屋敷の筆頭差配
おらん(瀬紫)…元遊女
老陳…黒蛇頭の頭目
アルバロ・デ・トーレス…南蛮剣士
あい…遊女
専次郎
文乃…奥女中
お列…義母
引田武兵衛…座光寺家江戸家老
都野新也
相模辰治…小姓
末次佐摩之助…徒士頭
彦野儀右衛門…用人格
およし…女中
甲斐屋佑八…武具商、文乃の父
篤蔵…番頭
則吉…小僧
後藤駿太郎…茶道具屋の嫡男
お桂…文乃の母
巽屋左右次…岡っ引き
甲右衛門…稲木楼主
陣内嘉右衛門達忠…老中首座・堀田正睦の年寄目付
男谷精一郎
大久保五郎丸