覚書/感想/コメント
シリーズ二十弾。
佐渡に渡っていた金杉清之助のもとに徳川吉宗主催の上覧大試合の知らせが届いた。その吉宗の上覧大試合まで、本書の終わりであと八ヶ月。春のことである。
そして驚くべき事に江戸では父・惣三郎が一人の逸材を見いだしていた。新抜流の神保桂次郎という青年である。これを上覧大試合までに清之助を超える剣者にすると「宣告」した。惣三郎の真意は一体どこにあるのか?
新抜流は信抜流、心貫流、真貫流とも書く。「密命」シリーズであれば、江戸剣術界の最長老・奥山佐太夫の心貫流で馴染みの流派である。
この流派はタイ捨流・丸目蔵人の弟子・北面の武士・奥山左衛門大夫によって編み出された流儀である。丸目蔵人というと新陰流の上泉伊勢守の弟子にあたる。
つまり心貫流の根っことなるのは新陰流ということになる。新陰流の流れを汲む流派は数多く、最も有名なのが柳生新陰流である。他には疋田陰流、神後流、直心影流なども同じ流れである。
ちなみに、金杉惣三郎は直心影流である。
本書でもう一流は出てくる。心形刀流である。幕末の伊庭軍兵衛(伊庭八郎)で知っている人も多いだろう。
この心形刀流には一子相伝六刀というのがあるそうだ。三陰三陽合而六ケ條というのが正しいようで、水月刀、中道下り藤、剣忍誠、杖威刀、飛竜剣、竜車刀がある。
内容/あらすじ/ネタバレ
享保十一年(一七二六)小正月が過ぎた。
毎朝の日課となったお百度参りに葉月が姿を見せなくなって三日目になった。しのは葉月のことを心配した。
みわはめ組の纏持ち昇平と所帯を持つだろう、結衣も直参旗本跡部家の継嗣弦太郎と縁組みが整う手筈である。しのの心配は清之助の身に集中していた。
清之助は秋には何としてでも江戸に戻って来るであろう。吉宗が主催する上覧剣術大会が十一月に催されるからだ。
金杉清之助は寺泊の湊と八海山を眺めていた。急な佐渡出立だった。手元には父・惣三郎からの手紙がある。上覧大試合出場の命を伝えるものだ。
越後では清之助が教えを乞いたい剣術家が二人いる。一人は五目帖右近であり、もう一人が六条儀左衛門邦悟である。
清之助は佐渡の大商人佐渡庄仁左衛門の強い勧めで長岡の五目帖を訪ねることにしていた。
三国街道を清之助は与板に進んでいた。譜代の井伊家の城下である。この城下にササラ剣術の名人・萩津武兵衛の道場があると聞き、立ち寄ることにした。
この途中で清之助は村上藩内藤家家臣三島正左衛門の娘・染井と弟の房太郎と出会い、与板まで同行することになった。二人とも江戸に向かう途中であるという。清之助は後方から尾行するものの気配を感じ取っていた。
雪がひどく、三人は川小屋に一晩厄介になることになった。
川小屋に渡世人ら三人が入り込んできた。渡世人は草津の種五郎と名乗った。
雪は夜半には止んだようで、草津の種五郎らは川小屋から出て行った。
染井は江戸に出向く理由を清之助に話し出した。それは村上藩の内紛に関わることだった。
先年、新たな藩主がついたが病に倒れすぐに亡くなった。あとを継いだのが五歳の若君で、城下の政は国家老鳥井秀峰が見ることになっているが、病に伏せがちで、中老の園部笙庵が実権を握り専断しようとしている。今、藩は鳥居派と園部派に別れてにらみ合いが続いている。
これを恐れた染井の父が江戸家老の鳥井忠恒に現状を訴えるために姉弟を密使として送り込もうとしているのだ。
清之助は染井・房太郎らとともにササラ剣術の萩津道場を訪ねたが、萩津武兵衛は流行病でなくなっていた。
この道場に草津の種五郎らが姿をあらわした。武家が一人加わっていた。蕃頭の井坂新造、村上藩の家臣だ。染井と房太郎を追ってきたのだ。
清之助らは長岡の五目帖道場に着いた。そこには鹿島一刀流の米津官兵衛道場で一緒だった鶴見冬次郎がいた。ともに汗を流したのは五年ほど前のことになる。
鶴見冬次郎の家は長岡藩の奉行七家の筆頭である。清之助の長岡の滞在先は鶴見家と決まった。
この時に清之助は染井・房太郎姉弟が江戸に無事にたどり着ける方策がないかを冬次郎に相談した。冬次郎は思いついたことがあるので、少し時間が欲しいといった。
五目帖道場に朝稽古に出ようとする清之助を井坂新造が待ち受けていた。そして白装束の集団が周りを囲んだ。忍びの集団か。村上藩がこのような忍びをもつとは思えなかった。だれかに吹き込まれたのか。
五目帖右近は清之助に近代剣法に対する戒めを教えていた。小手先で剣を迅速に振るうことで思い打撃を与えようとする事への警告だ。清之助はこの教えを肝に銘じた。
白装束は守門山、巻機山、八海山の修験道の一団、雪嵐という下人のようだ。法力頭は東雲蓮如という。
越後布問屋、御機屋六右衛門を冬次郎と清之助が訪ねた。染井と房太郎を頼む相手だ。
ここを訪ねている時に、染井と房太郎が何者かに呼び出されていなくなった。行き先は上弥彦神社だという。小千谷土川にある神社だ。
崇神天皇の御世に創建と伝えられる上弥彦神社に清之助と冬次郎は向かった。
待ちかまえていたのは井坂新造だ。そして井坂は二天流の六条儀左衛門と四人の弟子を連れてきた。六条は清之助が教えを乞いたいと思っていた相手だ。それが刺客として清之助の前に立ちはだかった。
六条も清之助に江戸で会いたかったと親しみと哀しみを交えた声でこたえた。
江戸では昇平がみわを連れて新築の長屋を見ていた。
みわはお杏が用意してくれた冠阿弥の家作はいやなのかと聞いた。昇平は分不相応だと思って、身の丈にあった長屋を探そうと思っているだけで、悪気はない。
金杉惣三郎は日吉山王大権現で幼い子らを相手に稽古をつけている若者に出会った。
惣三郎は近頃上覧大試合の出場者候補の下見に出ている。各世話人は琉球、薩摩、陸奥から蝦夷までいくつかにわけて野に潜む人士を捜す役目を負っている。惣三郎は江都に潜む剣の達人の選考を任されている。
若者は新抜流の神保桂次郎という。新抜流は信抜流、心貫流、真貫流とも書く。江戸においては奥山佐太夫が心貫流を継承している。
神保桂次郎は逸材であった。
この時から、金杉惣三郎と神保桂次郎の火の出るような真剣勝負が連日繰り返された。激しい稽古だ。
今の時点では清之助の方が数段上であろう。だが、上覧大試合までには清之助を上回る剣者に育て上げると惣三郎は宣告した。
昇平とみわの結納の儀式が執り行われた。
金杉清之助と鶴見冬次郎は三国峠で染井・房太郎姉弟を交えた一団を見送った。
それから十数日後。
清之助の姿は苗場山と鳥甲山に挟まれた中津川渓谷に見ることになる。ここで一人稽古に入ったのだ。
鶴見冬次郎が一人修行を続ける清之助を訪ねてきた。それからしばらくして五目帖右近が弟子二人を連れてやってきた。
五目帖右近は五日滞在して清之助の受けの弱点を細かく注意し、悪癖を懇切に直してくれた。
佐々木治一郎は江戸家老佐古神次郎左衛門に呼ばれ、下野茂木藩細川家の元締格久村新左衛門実忠を訪ねるように命じられた。
久村新左衛門は水野家で催された享保剣術大試合に出場して八強に勝ち残った人物だ。神保桂次郎にかかりきりになっている金杉惣三郎に代わって、稽古をつけてくれる人物を用意してくれたのだ。
江戸から来る上使一行の村上入りを阻止しようと園部派が強引な手に出ようとしていた。
そのため、清之助と冬次郎は三国峠まで行き、園部派を待ちかまえることにした。
やがて上使一行が到着したという狼煙があがった。
園部派は中老の園部笙庵自らが出向いていた。そして心形刀流の勝野左仲張定が清之助の前に立ちはだかった。柳生の庄にいた時、勝野左仲の水月刀は天下無敵と聞いたことがあった。
奥山佐太夫が車坂の石見道場にふらりと姿をあらわした。
そしてその翌日から金杉惣三郎と神保桂次郎の姿が消えた…。
本書について
佐伯泰英
宣告 密命・雪中行(密命20)
祥伝社文庫 約三二五頁
江戸時代
目次
第一章 二人の密使
第二章 越後路の剣客
第三章 切明の湯
第四章 野天道場
第五章 尾瀬ヶ原の靄
登場人物
金杉惣三郎
金杉清之助…長男
しの…妻
みわ…長女
結衣…次女
葉月…伊吹屋の娘
お杏…「め組」冠阿弥膳兵衛の娘、登五郎の女房
昇平…「め組」通称・鍾馗の昇平
石見銕太郎…石見道場主
伊丹五郎兵衛…石見道場師範
奥山佐太夫…心貫流、江戸剣術界の最長老
佐古神次郎左衛門…水野家江戸家老
佐々木治一郎…水野家家臣
佐々木三郎助…水野家家臣
久村新左衛門実忠…下野茂木藩細川家の元締格
大岡越前守忠相…南町奉行
織田朝七…内与力
五目帖右近…一刀流剣術家
鶴見冬次郎…五目帖の弟子
鶴見文左衛門…冬次郎の父
高女…冬次郎の母
遠藤鵜助…五目帖の弟子
崎田五郎丸…五目帖の弟子
井之頭草十…五目帖の弟子
荒城米蔵…五目帖の弟子
初田繁治…五目帖の弟子
後藤桐三郎…五目帖の弟子
井上源造…五目帖の弟子
山本貴右衛門…中老
御機屋六右衛門
染井…姉
房太郎…弟
三島正左衛門…姉弟の父
鳥居秀峰…村上藩国家老
雨宮塔吾0
草津の種五郎
伊香保の重次
槍下の塚本大願
井坂新造…蕃頭
六条儀左衛門邦悟…二天流の達人
園部笙庵…中老
藤堂左之助…園部家用人
勝野左仲張定…心形刀流
篤右衛門…萩津道場の門弟
東雲蓮如…法力頭
小言の作兵衛
神保桂次郎…新抜流
長吉
伍一
渡良瀬の剛次郎…赤城狼虎党一味