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堺屋太一の「世界を創った男 チンギス・ハン 第2巻 変化の胎動」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

ウランバートルに造られたチンギス・ハンの像は座像だそうです。モンゴル人のイメージとしては馬上の征服者ではなく、「着座の帝王」なのです。

その代わり、両脇には騎馬像があります。ボオルチュとムカリの二人です。チンギス・ハンは有能な部下を手足に世界征服を進めることができたのです。

武官としてはボオルチュとムカリの二人が偉大だったようですが、文官としてチンギス・ハンへの功績の高かったのは、ムンリク、マフムド・ヤラワチ、耶律楚材、タタトンガ、シギ・クトクが挙げられるようです。

チンギス・ハンは武勇の豪傑でも、作戦の天才でもありません。戦闘では負け、攻略では戸惑います。ですがそれでも勢力を伸ばし得たのは、理念たる根本の思想と、コンセプトたる組織原理がよかったからだと堺屋太一氏は述べています。

チンギス・ハンがこうした部下を使いこなすようにするために、様々な改革を行ったようです。そして、対立する勢力との戦いというのも激化していきます。

本作でテムジンからチンギス・ハンになりますが、ハンとなった時から、漠北遊牧民の社会構造の改革が始まり、中世的な身分社会から近世的な絶対王政へと大転換すると作者は述べています。

十二世紀は氏族(血族)制身分社会と宗教信仰におおわれていました。チンギス・ハンの生涯はこの二つを超えるための熾烈な戦いでもあったそうです。

遊牧民というのはその素朴な生活形態から、いわゆる遅れた人々という見方がなされてきましたが、その考え方は誤っています。

遊牧民はきわめて早い時期から東西の文明や宗教に接してきました。ですが、それらを拒み、伝統の生活と信仰を保ってきたのです。こう主張する作者の意見は正しいと思います。

この作品には「歴史小説のロビーで」というコラムが有り、巻末には注釈がついています。このそれぞれが読物としても面白いのです。

特に巻末の注釈は、それだけでも、普通に読み進めることができるようになっており、通常の注釈というわけではありません。

ですから、この部分だけを読んでから小説を楽しんでもいいですし、逆に小説を読んでから、この部分を読んでもいいです。素晴らしい工夫です。

第一巻で著者は歴史小説と時代小説は違うと述べています。

歴史小説は、史実は正確に伝え、史実と史実の間を合理的に推測して記述するのだというのが氏の見解です。ですから、史料で確認できない部分の仮説を立てるのだそうです。

この見解はいまひとつ賛同できません。なぜなら、歴史小説は所詮は虚構であるからです。その端々に作者の想像や創造というのが浮かび上がります。

特にそれは「会話」や心理描写に現われます。だからこそ歴史「小説」なのであり虚構なのです。そのため、歴史小説も時代小説も、広い括りでは歴史を舞台にした同じ分野の小説群であると思います。

両者の違いは、片方は歴史人物や事件に焦点を当て、片方は時代を生きた市井の人々に焦点を当てているかの違いでしかなく、それは歴史学でいうところの政治史と社会史などとの違いのようなものであると思います。

もし、氏の主張するもので最も近いものがあるとすると、それは「史伝」だと思います。「史伝」は現在でも「~伝」などの人物伝として学者を中心とした人々による著作というのはあります。ですが「史伝文学」という文学の側面で見ると、その系譜は事実上途絶えています。著者にその気があれば挑んで頂きたい分野です。

さて、チンギス・ハンの家系は「蒼き狼と黄白き鹿」より出たといわれていますが、テムジンにはその血統はつながっていないそうです。

蒼き狼から何代か後の男性がアラン・ゴア女性と結婚しますが、先に死んでしまいます。未亡人となったアラン・ゴアが日の光の精を浴びて出産した一人ボドンチャルがテムジンの生まれたキヤト族の祖先とされます。

シリーズ全4作です。

  1. 世界を創った男 チンギス・ハン 第1巻 絶対現在
  2. 世界を創った男 チンギス・ハン 第2巻 変化の胎動 本書
  3. 世界を創った男 チンギス・ハン 第3巻 勝つ仕組み
  4. 世界を創った男 チンギス・ハン 第4巻 天尽地果
本の紹介

チンギス・ハンを主人公にした小説です。

  1. 井上靖「蒼き狼」

モンゴル史の入門書としては次が参考になります。

  1. 杉山正明「モンゴル帝国の興亡」

内容/あらすじ/ネタバレ

一一八四年から八五年にかけての冬、二十四歳のテムジンはジャムカと共同で冬営地を営んだ。テムジンの集団は急拡大しており、メルキトとの戦いのため、人数は数百人、ゲルの数は五十以上にもなっていた。

その中、旅芸人のケムルスン親方がテムジンにこう言った。タタル族に勝てても、金国は難しい。それにジャムカは上の人を大事にして饗宴や物を配る。テムジンは兵に衣を着せ、隷属民の少年に乗馬を与える。目の付け所が違うと…。

ジャムカの音頭によってタタル族と金国と戦うことになった。旅芸人の予見通りだ。テムジンはタタル族との先陣を希望した。勝てる時に戦うのが得策だ。

これに際してテムジンは部隊編成と指揮命令系統を変更した。それと、隊長の評価を強さで決める方法から、人使いの上手さで評価することにした。これは生涯変わることのない人事方針となる。こうした変更にともなって、テムジン集団には司令部が出来上がっていった。

この集団には、後に世界を席巻する面々の顔がそろっていた。

キヤト族の本家筋のブリ・ボコが援軍として合流してきた。そして、テムジンは日の出と共にタタル族の宿営に攻撃を仕掛けた。

戦いの中で五歳ほどの幼児を見つけた。裕福な家系の子のようであり、この子を母ホエルンへの贈り物とした。シギ・クトクと名付けられ、後に大断事官(検事総長兼最高裁長官)を務め、ウイグル文字によるモンゴル語の普及に尽力する人物である。

この戦いでの戦利品が少なかったため、ジャムカはすぐさま金国を攻めようと呼びかけた。

テムジンは今度は後詰めに回った。結果的にこれがよかった。金国は大きな濠をつくっており、これを攻略するのに時間がかかった。

ジャムカが金国を降伏させた証として、財宝を積んだ車列が進んでいく。だが、これは手品だった。タネはムスリム商人のハッサンが明かしてくれた。

ジャムカは降伏する代わりに馬を献上するから、その見返りに財宝をくれと交渉したのだ。こちらには文字を読める者がいなかったので、ばれなかったというわけだ。

テムジンに二男が生まれた。名はチャガタイ(白い男の子)と名付けられた。同じ頃、ムンリクの二男で祈祷師のココチュを紹介された。

戦いのあと、雪の降らない日が続いた。山々が黒々としているのだ。このままでは雪解け水が乏しく河川や湖沼が水涸れになる可能性がある。黒災害の前触れだった。

テムジンは集団を移動させることにした。これにはジャムカも賛成した。だが、この中でテムジンはジャムカと別れることを決意する。次に会う時は戦場、敵同士だろう…。

別れがあれば出会いもある。黒災害で冷遇された臣従氏族の集団がテムジンの下に合流した。

こうして黒災害の厳しい状況下で、モンゴル族の氏族社会の解体が急速に進んだ。

テムジンが二十六歳。第三子オゴデイが生まれていた。キヤト族首脳達、諸氏族の代表者数十人の推挙によって「ハン」の位に就いた。チンギス・ハンとなったのだ。

チンギスが最初にやったのは役職に任命だった。つまりは政府機構の設立である。それは内閣官房にあたるものから、直属憲兵隊、輜重部隊、親衛隊の強化などであった。

チンギスはハンになったことをケレイト族のトオリル・ハンとジャムカに報せることにした。そして、トオリル・ハンとの同盟を強化して、ジャムカとの力の均衡を保つことにした。

この間に、チンギスはムスリム商人のハッサンから人を借り、通貨の通用する仕組を取り入れようと考えた。ハッサンが連れてきたのはマフムド・ヤラワチ、まだ十二歳の少年だった。

だが、この少年は後に財務大臣となり、銀本位の国際通貨を定め、人類史上最初の不換紙幣を発行する基礎を築く人物であり、この当時から抜群の能力を発揮していた。このヤラワチが税の導入をチンギスに進言する。

チンギスは対外的には氏族長連合の封建体制を維持しようとするジャムカと対立しており、対内的には本家筋のアルタンらと対立していた。

そこでチンギスはトオリル・ハンとの同盟のさらなる強化を図る。

旅芸人のコルコスンがやってきた。チンギスは改めて情報の大切さを知り、諜報機関の本質を知ることになる。このコルコスンによって、トオリル・ハンが追われ、代わりにトオリル・ハンの末弟ガンボを擁立するたくらみが進行していうることを知る。

その一一八七年から八八年にかけての冬。漠北草原の東半分は凍り付いたような緊張感に包まれていた。

ケレイト部族に傀儡政権を樹立したことによって、ジャムカの勢力は漠北の東半分を圧するほどになり、「ハン」の位に就いた。そしてグル・ハン(総ハン)を称した。この頃のチンギス・ハンは苦境にあった。

ジャムカに金国に内通していると疑われたチノス族がチンギス・ハンの所へ逃げてきた。

そして、一一八九年に金国五代皇帝が死去し、ジャムカを牽制するものがなくなった。

チンギス・ハンにとっては初めてとなる大規模な先頭を指揮する戦いだ。相手はジャムカ。「十三翼の戦い(またはダラン・バルジュドの戦い)」と呼ばれるものだ。

チンギス・ハンとジャムカの最初の激突、「十三翼の戦い」はチンギス・ハンの敗北に終わった。チンギス・ハンには敗戦の責任と新たな権力闘争の試練が待ち受けていたが、幸運なことにジャムカも困難に遭遇していたのだ。

メルキト族のトクトアは両者の戦いを静観しており、戦いの終わったところでジャムカを襲った。不意をつかれたジャムカはひたすら逃げるしかなく、勢力を著しく落とすことになる。

夏が過ぎるころ、チンギス・ハンの集団は落ち着きを取り戻した。この間にヤラワチによる大胆な商業取引で当面の食糧を確保することができた。

そこで、チンギス・ハンは祭を催すことにした。この中でベルグテイが本家筋のブリ・ボコに斬られるという事件が起きた。これにチンギス・ハンのみならず、後の大将軍達も一緒になって棒きれで本家筋の連中と殴り合うことになる。氏族制身分社会の打破された瞬間である。

ムンリクの一家がチンギス・ハンの所にやってきた。この頃には情勢は少しずつチンギスに有利に転がりだしていた。

一一九二年。久しぶりに旅芸人の親方コルコスンと出会った。そしてコルコスンから金国に勝つためには強さを獲得しなくてはならない事に気づかされた。そして、そのために絶対的な命令への服従が必要である。コルコスンは昔の冒頓単干の故事を語り聞かせた。

コルコスンはもう一つ話を聞かせてくれた。トオリル・ハンのことである。そしてトオリル・ハンをもう一度ケレイト族の長に戻すことに力を貸すことにした。

元の地位に戻ったトオリル・ハンはさっそくメルキト族への復讐を行うことにした。チンギス・ハンにも参加を呼びかけた。

本家筋のアルタンらが秘かに金国と手を結んでタタル族の討伐に力を貸そうとしているらしい。チンギス・ハンは迷ったが、放っておくことにした。かつてのジャムカの時と同じように揉めるに違いない。そして、いまひとつ手を打つことにした。噂を流させたのだ。

果たして予想通りにアルタンは無知無能ぶりをさらけ出すことになった。

チンギス・ハンは宿敵タタル族を撃滅する機会を得て出撃することにした。この戦いにアルタンらの本家筋の多くが参加してこなかった。先だっての出来事に関してのチンギス・ハンの怒りが怖かったのだ。

タタル族との戦いではトオリル・ハンと一緒になって行うことにした。

本書について

堺屋太一
世界を創った男 チンギス・ハン2 変化の胎動
日本経済新聞出版社 約三三〇頁
モンゴル帝国 13世紀

目次

「黒い平和」の日々
「族」の壁
政治の取引
家族と氏族
黒災害
「大脱走」
「ハン」に就く
構造改革
寝技と離れ業
草木揺れる
十三翼の戦い
敗者の苦悶、勝者の困難
逆転
暴力と妖術
「歴史」への助走
老木を立てる
「大」を操る
宿敵を討つ
「族」を絶つ
第二巻の注釈

登場人物

(家族)
チンギス・ハン…キヤト族のハンになる。
ボルテ…チンギスの妻
ホエルン…チンギスの母
カサル…チンギスの次弟
ベルグテイ…異母弟
(部下)
ボオルチュ…義侠心で臣下になる。のち「四頭の駿馬」(四駿)
ムカリ…大将軍志望。のち「四駿」
ボロクル…使い番志望。のち「四駿」
チラウン…馬乳酒造りの子。のち「四駿」
ジェルメ…山の民。のち「四匹の忠犬」(四狗)
スボタイ…山の民。親衛隊長。
ヤラワチ…ムスリムの経済金融に明るい少年。のちの財務長官
ムンリク…父の補佐役
(支援者)
ハッサン…イスラム教徒の隊商親方になる
コルコスン…ウイグル人の旅芸人。情報屋。
テプ・テンゲリ…祈祷師。ムンリクの二男で、本名はココチュ
(親族のキヤト族)
アルタン…キヤト氏族本家の家長
トドエン…父イェスゲイの叔父
ブリ・ボコ…本家筋
(他の人々)
ジャムカ…チンギスの盟友(アンダ)
トオリル・ハン…父の盟友
ガンボ…トオリルの末弟
タルグタイ…タイチウト族長、チンギスの仇敵
トクトア…メルキト族の氏族長、チンギスの仇敵