沢木耕太郎がペナンの売春宿で娼婦のヒモの一人と会話している内容は心に刺さります。
そのヒモが日本を批判している内容に関しては、今もあまり状況が変わっていないのではないかと思います。
ヒモいわく「…マレーシアは日本企業の進出がなかったら困るんだろ?そうだ、と俺は答えるのさ。すると奴らは、だったらなぜマレーシアの若い者は反日運動なんかするんだと、訊き返してくる。わかってないんだな。なのに、じゃない。だから、なのさ。確かに困る。だから、頭に来るのさ。」
このヒモの発言を読んで、どう感じるかはともかく、現地に住んでいるのでもない限り、通常の旅ではこの様な発言を聞くことはあり得ないでしょう。
表層的な観光だけを求めるのなら、沢木耕太郎のような旅をすべきではありません。
人種差別や、反日感情など…それを進んで受入れるかどうかは、個人の問題ですが、日本人がどのように思われているのかを知るというのも、沢木耕太郎のような旅をする一つの大きな目的だと思います。
さて、沢木耕太郎がこの旅に出ることになった本当の理由を自己分析している箇所があります。
シンガポールでニュージーランドからの二人の若者と会ったあとで沢木耕太郎が考える場面です。どうして、自分はここにいるのだろうと沢木耕太郎が考えます。
フリー・ランスのライターで、ルポルタージュを書いていた沢木耕太郎。なりたくてなった仕事ではありませんでした。しかし書いたものがたまり、それが一冊の本となってから、仕事の依頼が急増します。
そのことから逃げ出す言い訳として言い出したのが、海外に行く予定があるというものでした。単なる言い訳だったはずが、そのうち実行しなければならない状況へと変化します。
そう、ある状況から沢木耕太郎は逃げたかっただけなのです。それが旅をすることになってしまうきっかけでした。
内容/あらすじ/ネタバレ
第四章 メナムから
居心地のよすぎた香港からバンコクへ。バンコクは想像以上に騒音の凄い街であった。
バンコクのホテルはゴールデン・プラザといった。香港の宿はゴールデン・パレス。何やら因縁めいている。そして、その宿は例のごとくいかがわしい宿であった。しかし、その宿を早々と引き上げ、より安い宿に移ったのだった。
この宿を起点にしてバンコクの散策に出かける。沢木耕太郎は法事に飛び入り参加をしたり、そこで知合った女学生たちにタイ語を少し習ったりして過ごした。
だが、香港のように胸が熱くなるようなことはなかった。そうだ、マレー半島を縦断してシンガポールへ行こう。
第五章 娼婦たちと野郎ども
バンコクを出発してシンガポールに向かう。途中ではマレーシアを通る。
電車の中で知合った男たちからすすめられて、ソンクラーで途中下車をする。そこはきれいな海岸のある町である。
そしてソンクラーを出発してペナンへと向かう。ペナンで泊まることにした宿のマネージャー風の男は日本語が話せた。だが、この宿はうすうす感じてはいたが売春宿であった。しかも、娼婦たちのヒモが暇をもてあましてぶらぶらしているという有様。沢木耕太郎はこの宿で娼婦とヒモたちとの交流を深める。
第六章 海の向こうに
シンガポールに着いた沢木耕太郎。そこでは、ニュージーランドからやって来た若者二人と出会う。
先輩ずらして、今までのことを話す沢木耕太郎だったが、彼らが三年から四年かけて世界一周するつもりであることを聞いて、絶句する。
何となれば、沢木耕太郎は半年かそこらでデリーからロンドンに行くつもりであったからだ。二人の話を聞いて、何も半年という期間を区切ってロンドンを目指す必要がないことを覚るのだった。
シンガポールも沢木耕太郎にとって刺激の場所であった。だが気が付いたのだ。それは、香港の幻影を追っていたためであると。なら、香港の香りのしない何処かへ行かなければならない。そうだ、カルカッタへ行こう。
⇒深夜特急 第3巻(インド、ネパール)に続きます。
本書について
沢木耕太郎
深夜特急
マレー半島・シンガポール
新潮文庫 約一九〇頁(+対談三〇頁)
旅の時期:1974~1975年
旅している地域 : タイ、マレーシア、シンガポール
目次
第四章 メナムから
第五章 娼婦たちと野郎ども
第六章 海の向こうに
深夜特急