本書は「深夜特急」の第一章の冒頭部分に当たるところの出来事を書いています。
本書を読めばわかるのですが、沢木耕太郎はあと一歩で本物のヒッピーになる所まで行っています。
この「深夜特急」の中での沢木耕太郎は、ヒッピーに近い状態で旅を続けていますが、常に彼らとは感覚的に一線を画して旅をしています。この点は興味深いところです。
なぜヒッピーにならずにいられたのか…。もっとも、もしここで沢木耕太郎がヒッピーになっていたのなら、この作品は誕生しなかったでしょう…。
そして、本書は「深夜特急」の中で、最も退廃的で気怠さの漂います。それは、本書の至る所で感じられる死の匂いと関係しているのかも知れません。
本書を読むと、どうしてもイメージが重なる小説があります。それはアントニオ・タブッキの「インド夜想曲」です。
「インド夜想曲」の内容は省略しますが、沢木耕太郎の描くインドの姿とアントニオ・タブッキの描くインドの姿がどうしてもかぶってしまいます。
一つには乾いた感じの文体という点で似ているから、そして、もう一つは自分探しという点で似ているからだと思います。
片方は紀行文、片方は小説。それぞれ別のものですが、非常に近く感じる作品です。
内容/あらすじ/ネタバレ
第七章 神の子らの家
カルカッタについた沢木耕太郎に声をかけたのは、東北の医大生だった。彼ともう一人ダッカに行くという若者と三人になってカルカッタは始まった。
ダッカに行くという若者は度々インドを訪れているらしい。その彼に連れられていったのは売春宿だった。しかし、そこは想像を絶する場所であった。
沢木耕太郎は彼らと別れて、カルカッタに繰り出す。カルカッタは沢木耕太郎を熱狂させた。これは香港以来のことだった。カルカッタにはすべてがあったのだ。悲惨なものから滑稽なもの、崇高なものから卑小なものまで。
カルカッタに半月いた。その後沢木耕太郎が向かったのはブッダガヤであった。つまり釈迦が悟りを開いた場所である。そこでガンジーが神の子と呼んだ子供たちとの交流が始まる。
第八章 雨が私を眠らせる
ネパールのカトマンズに着いて以来雨に見舞われている。カトマンズに来る目的がどうであれ、カトマンズは金のない若者にとって長逗留するのには適した土地であった。しかし、同時にそこはヒッピーである若者たちにとっては残酷な現実の場でもあった。
第九章 死の匂い
ネパールに別れを告げ、再びインドへ。ベナレスに着いた沢木耕太郎が街を当てもなく歩いていると、死体を焼いている現場に出くわす。それをただ茫然と見ていた。
翌日、沢木耕太郎は体に怠さを感じた。やがてそれは本格的な熱をともない始める。いったんは熱も下がったのだが、そこで無理をしてしまったため、再び熱が出てしまう。
⇒深夜特急 第4巻(パキスタン、アフガニスタン、イラン)に続きます。
本書について
沢木耕太郎
深夜特急
インド・ネパール
新潮文庫 約一九五頁(+対談三〇頁)
旅の時期:1974~1975年
旅している地域 : インド、ネパール
目次
第七章 神の子らの家
第八章 雨が私を眠らせる
第九章 死の匂い
深夜特急