インドのそれこそ底なしの深い退廃の中にいた沢木耕太郎は、そこから這い出てきました。そして、とりあえず”前へ”進もうと決意します。
じっとりと重いインドからカラッとした乾いたパキスタンへ。湿度の変化だけでも、なにかの呪縛から解放されて軽くなった沢木耕太郎を感じることが出来ます。
しかし、同時にこの旅に対して情熱を失い始め、飽き始めた沢木耕太郎の姿も見え隠れします。
本書の沢木耕太郎は、余程の動機付けがないと前へ進めなくなっています。
その様子は、カブールに動くのが億劫というだけで長く滞在してしまったことからもわかります。そこから動けたのは、知り合いがテヘランにいるからというものでした。
この様な状態になっても、旅を続ける理由はいったい何だったのでしょうか。本書での沢木耕太郎には、ロンドンに行くという目的すら何の動機付けにもならなかったでしょう。
もしかしたら、理由なんてないのかもしれません。ただ、旅のために旅をしているのかもしれません。
内容/あらすじ/ネタバレ
第十章 峠を越える
インドでの病気も治り再び前へと進む。まずはインドを抜け出そう。そして抜け出した先はパキスタンだった。パキスタンは何と豊かな国なのだろう。じっとりとしたインドから来てみると、からりと乾いた感じが心地よかった。
パキスタンのバスは壮絶なインドのバスを更に上を行くものだった。猛スピードであることにはかわりはない。対向車とのチキン・レースをやるのも同じである。しかし、そのレースの仕方が凄まじかった。
沢木耕太郎はこのチキン・レースを経験しながら、一路アフガニスタンへと向かった。アフガニスタンへはカイバル峠を通るルートを選択した。
この時期、ちょうどイスラムのラマダンにぶつかっていた。
第十一章 柘榴と葡萄
アフガニスタンのカブールに着いた時には日が暮れかかっていた。この頃には、ラマダンが明けていた。
カブールの宿では安くしてもらうかわりに客引きをすることになった。相手にするのは日本人である。しかし、日本人はあまり来なかった。
カブールでの滞在は思ったより長引いてしまった。それは動くことが億劫になってきてしまったのである。デリーでの前へという情熱は失われつつあった。
しかし、前へ進むきっかけになったのは、カブールの日本大使館のメール・ボックスに届いていた一通の手紙であった。そこにはイランのテヘランに磯崎夫婦が来ていると書いてあった。
第十二章 ペルシャの風
テヘランに着いたものの、磯崎夫婦が泊まっているホテルがどこなのかがわからない。なんとかなると考えていたのだが、そうは簡単にいかない。
しかし、偶然とは恐ろしいもので、沢木耕太郎は磯崎夫婦と出会うことが出来た。そして、磯崎夫婦との対面には御馳走が待っていた。
沢木耕太郎はテヘランを出発したくなっていた。それは単純にテヘランに飽きてしまったためである。そして向かう先はイランの古都イスファハンである。
⇒深夜特急 第5巻(トルコ、ギリシャ、地中海)に続きます。
本書について
沢木耕太郎
深夜特急
シルクロード
新潮文庫 約一七五頁(+対談二五頁)
旅の時期:1974~1975年
旅している地域:
パキスタン
アフガニスタン
イラン
目次
第十章 峠を越える
第十一章 柘榴と葡萄
第十二章 ペルシャの風
深夜特急