覚書/感想/コメント
「坂の上の雲」の取材で行きたかった場所としてベトナムがあったようだ。
それは、日露戦争中にバルチック艦隊がベトナムのカムラン湾で最後の給油を求め寄港しようとしたが、イギリスやフランスの妨害により果たせず、それがため全艦隊の精神がへとへとになったというくだりを書くためにその風景を知りたかったというのだ。
ということで、この本は、司馬遼太郎がベトナムに短期滞在して、そのときに考えたことや思ったことを書いている。
前半では、ベトナム戦争の最中のベトナムにあって、戦争と国家、民族などについて氏が考えたことを綴っており、後半はベトナムの滞在記となっている。もっとも、後半の滞在記は滞在記というよりはベトナム人考察といった趣であるが。
作者がベトナムに滞在していたのは1973年4月1日から同13日までであり、ベトナム戦争は終結していない。終結は1975年のサイゴン陥落まで待たなくてはならない。
ベトナム戦争自体が、実質的に共産主義と民主主義の代理戦争としての要素があり、さらに、この冷戦構造とは別にベトナムの独立戦争への抑圧戦争の面もあったと指摘されている。
戦争が終結していない段階での滞在であり、いつ果てるとも知れない戦争の倦怠感がどことなく感じられる。
以下興味をひいたところを書き記す。
独自の文化に閉じこもっていた民族が世界史的な潮流の中で自立しようとする時に普遍性にあこがれる傾向があることを指摘している。そして、そのために夢中に跳躍するというのだ。
それが端的に見えるのが、兵器というものであるという。この兵器は普遍性を戦慄的に体感できるものだともいっている。
この兵器によって引き起こされる戦争。
戦争は補給が決定する。補給が相手よりもはなはだしく劣弱になった時に終了するというのだ。ベトナム戦争は敵味方とも他国から無料で際限なく補給されている。
なら、どうなるか。あるベトナム人は、ベトナム人がいなくなるまで戦争は続くという。
ベトナムでは韓国人は憎悪と嫌悪の対象だという。
というのは、ベトナム戦争で韓国兵は強く、不幸なことに殺人技術者としての悪い印象のみをベトナム人に与えたというのだ。
だが、この両国は歴史も地理的環境も酷似しているというのだ。それは、両国とも中国の歴史的変化に大きく巻き込まれ、そして、それによって政治的な体制も大きく変化を経てきていることに起因している。
似たような運命を経てきたのに、皮肉な結果となったのがベトナム戦争だったといえる。
ベトナム人の八割は仏教徒だという。そして、その思想の中に輪廻転生がある。それを当然のように信じている。
その一方で亡霊の存在を強く信じているのだという。仏教では亡霊の要素は否定されている。
日本のように神仏習合といった、土着信仰が混じっているのはどこでも同じのようだ。神仏習合については、義江彰夫「神仏習合」に詳しい。
人種的偏見がステレオタイプとしてつくられるというのは面白い。
社会一般に広く受け入れられている考え、ないしイメージ。客観的事実にお構いなく単純化してしまった考え。という二つがそうだという。
このステレオタイプは映画、新聞・雑誌、人から聞いた話によるもので形成されるのだという。
百聞は一見にしかずという。人種的偏見というのは、本当は現地に住んでみて体験しなければ払拭されない。それは、短期の旅行のような滞在では不可能なものである。
だが、これを映画や新聞、雑誌、人から聞いた話で、あたかも体験した気になり、百聞してきたかのように勘違いしまいがちである。
未だに、西洋人にとっての日本のイメージが芸者、フジヤマに象徴されるように、昔も今も、そしてこれからも、このステレオタイプは永遠に続くのだろう。
本書について
司馬遼太郎
人間の集団について ベトナムから考える
中公文庫 約二三〇頁
目次
兵器という思想
機械運動
外人師団
朝鮮半島との酷似
世界戦略の虚構
ベトナム人がいなくなるまで
葦と「たおやめ」ぶり
輪廻の思想
亡霊が同居する町
ウズラの魔法
国家を持つこと
近代国家の重圧
実像と幻影
首領の理想
“普通人”の悲惨さ
政治より生物学を
紙幣が支配する世界
“寿会”のひとびと
青木茂氏の風貌
異郷を流離する話
桃太郎伝説
帰属心の安らぎ
陽気な集合
空想と現実の間
少数民族という旦那
武侠映画
紋切り型
メコンへの出発
秘密結社
団結力の弱さ
利口か馬鹿かの世界
越僑性
民族的自負心
チンギス汗の攻城
何を守る
消費文明
国家と圧搾空気
重兵器
対症療法
森の知恵者
日本人墓地
自家発電
戦争は終わらない
メコン河
デルタの征服者
民族を鍛えたもの
乙姫のいた国
葉蔭の村
劇的なフランス人
重い人生の群れ
風流な犯罪
日本との違い
アジア型共産主義
別離の情緒
美男の典型
回帰の心
あとがき