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司馬遼太郎の「歴史の中の日本」を読んだ感想とあらすじ

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覚書/感想/コメント

昭和三十五から昭和四十八年までに各新聞紙や雑誌に掲載されたエッセイを収録したもの。

生きている出雲王朝

出雲大社の社家。島根県の新聞の元旦号には出雲大社のシルエットがえがかれ、謹賀新年の活字とともに、島根県知事の名と「国造、千家尊祀」の名が記されるという。

古代の地方長官とでもいうべきもので、精神世界の君主として国造(クニノミヤツコ)が君臨していることに司馬遼太郎氏は驚いている。現在でもそうなのだろうか?

ちなみに、この出雲大社の宮司家であり国造家である千家氏、北島氏の家系は天皇家と並んで日本最古の家系だそうだ。

幻想さそう壁画古墳

飛鳥の高松塚古墳は色彩あざやかな壁画古墳であることは有名であるが、これを知った時、司馬遼太郎氏は後期古墳期にあたる天智帝五年(六六六)にやってきた高句麗の国使一行を思い出したという。古墳の被葬者は、そのなかの首長ではないかとふと思ったのだそうだ。

なかでも、副使の玄武若光は王族だったと思われ、なおかつ帰国したという記録もない。「続日本紀」にも出てくるし、古墳が高句麗古墳の同じ形式であるという点にも、そうした思いを抱かせたようだ。

惜しむらくは、この高松塚古墳は、文化庁と宮内庁のバカ官僚のおかげで劣悪な保存状況下におかれることになった。そして平成の時代になって慌てて修復しなければならないほどのヒドイ状況まで追い込まれた。

司馬遼太郎氏がこのニュースを知ったらどのような思いを抱いたか。聞いてみたい。

他にも数多くの調査許可が下りない古墳があるというが、仮にこの許可が下りない古墳に同様の壁画があったとしても、もはや手遅れだろう。

それがわかった時に、文化庁と宮内庁はどう謝罪をするのだろうか?職員全員が給料を国に返上しても済まされる問題じゃない。

沸きかえる覇気の時代

司馬遼太郎氏の時代に対する色彩感覚というのがわかって楽しかった。

西洋史の原勝郎博士の言葉を借りて、平安時代は緑と朱、東山文化の時代は銀色、しかもいぶし銀、と述べたあと、安土・桃山時代は圧倒的に金色だと述べている。

「旅順」から考える

「日露戦史」という本。正しくは「参謀本部編纂・明治卅七八年・日露戦史」というらしいが、全十巻、各巻毎に五六十枚の地図がついているというもので、官修の日露陸戦史だそうだ。

この分量にかかわらず、古本屋では紙クズ同然の安さだという。本の値打ちをよく知る古本業界で、紙クズ同然の扱いを受けているのだから、内容は推して知るべしというところか。

執筆者にえらい将軍たちの圧力がいっぱいかかったらしく、手柄話をふんだんに書かせようとしたらしい。そして失敗なき戦史をつくってしまったようだ。

これを読んで、ふと思ったのが某新聞紙の「私の履歴書」。所詮これと同じだよなぁ。

吉田松陰

安政年間のある時期まで、長州藩は動いていなかった。長州が暴走し始めたのは、吉田松陰が松下村塾を萩城外でひらいてからだという。しかも、この塾はわずかに三年足らずしか開かれていない。この吉田松陰のもたらした影響力のすごさがうかがえる。

天才的としかいいようのない人間の資質を見抜く才能があったようだ。言い方を変えると天性の教育者だったともいえる。

「幕末を生きた新しい女」「竜馬像の変遷」

坂本竜馬の姉・乙女は諸芸に堪能だったが、炊事と裁縫だけは出来なかった。むしろこれを馬鹿にする風でもあったという。それでも、社会の反発を受けているわけでもない点に、司馬遼太郎氏は封建社会の武士の家庭の夫人に対する類型的な見方への疑問を呈している。

この坂本竜馬だが、明治国家における歴史的位置はほとんどなかったという。とくに明治四十年(一九〇七)頃まではまるでタブーのようだったという。だが、皇后の夢に現れたという話から坂本竜馬の名が知られるようになったそうだ。

現在、坂本竜馬が好きだといっている人は、司馬遼太郎氏の描いた坂本竜馬が好きなのがほとんどではないだろうか。つまり坂本竜馬像=司馬遼太郎氏の「竜馬がゆく」の竜馬となっており、そういう意味では、明治時代の皇后の逸話の代りに現代では「竜馬がゆく」があると思っていいのではないかと思う。

私などはこの典型的なもので、他の竜馬の作品を読む気にもならない。だから、司馬遼太郎氏の竜馬像以外を知らない。

武市半平太

幕末の活動家の中でも人格はためらいなしに高潔といえる人物だという。だが、最大の欠陥は暗殺団を組織したことだという。

この暗殺に関して、是認されるべき暗殺など原則としてあり得ないが、寛容になる唯一のそれは井伊直弼の桜田門外の変だといっている。

奇しくも、海音寺潮五郎氏も、武市半平太と井伊直弼に関してほぼ同様のことをいっている。ただし、海音寺潮五郎氏の場合、井伊直弼だけでなく、吉田東洋を加えているところが違うくらいか。

→海音寺潮五郎「幕末動乱の男たち

歴史の不思議さ

徳川将軍家の大奥では元旦に「おさざれ石」という儀式があった。この儀式の中で「君が代は千代に八千代にさざれ石の」「いはほとなりて苔のむすまで」という歌を言い交わしていたそうだ。

明治時代の明治二年(一八六九)にイギリスから貴賓が来た。貴賓が来た場合、奏楽が必要で、日本の国歌はなにかということになったそうだ。当時そんなものはない。接待役のものがどうするかと考えている時に、どうやらこの大奥での儀式を思い出し、それを琵琶歌のふしで歌い、これがさらに編曲され、現在の「君が代」になったようだ。

「君が代」に関しては異説もあるらしい。

今こそ必要なアマチュア精神

二週間に一本という量産体制にあった昔の日本映画。司馬遼太郎氏はこのままでは日本映画は没落すると思っていたようだ。現にそうなった。

そして、それからはい上がるために、ある提案をしている。現在のシネマ・コンプレックス、つまりシネコンの発想だ。そして、日本映画が復活してきたのも奇しくもシネコンの全国的普及と期を一にしている。

本書について

司馬遼太郎
歴史の中の日本
中公文庫 約三四〇頁

目次

歴史を動かすもの
 生きている出雲王朝
 幻想さそう壁画古墳
 まぼろしの古都、平泉
 沸きかえる覇気の時代
 大坂城の時代
 競争の原理の作動
 「旅順」から考える
 「坂の上の雲」を書き終えて
 歴史を動かすもの

歴史と人物
 吉田松陰
 白石と松蔭の場合
 ある胎動
 幕末を生きた新しい女
 竜馬像の変遷
 長井雅楽
 武市半平太
 河合継之助
 村田蔵六
 大久保利通

歴史の中で思うこと
 庭燎の思い出
 赤尾谷で思ったこと
 京への「七口」合戦譚
 手に入れた洛中洛外屏風
 血はあらそえぬ陶器のはやり
 毛利の秘密儀式
 倒幕の密勅
 歴史の不思議さ
 質屋の美学
 大阪バカ
 忍術使い
 「妖怪」を終えて
 防衛のこと
 門のことなど
 日本人の安直さ
 わが街
 維新前後の文章について
 苛酷で妖しい漂流譚
 後世への義務

一杯のコーヒー
 一杯のコーヒー
 わが辞書遍歴
 山伏の里
 百年の単位
 自己を縮小して物を見る
 高野山の森
 一人のいなか記者
 私の愛妻記
 眼の中の蚊
 女優さん
 今こそ必要なアマチュア精神
 吉川英治氏をいたむ
 故子母沢寛さんの「人」と「作品」
 異常な三島事件に接して
あとがき