坂本龍馬三十一歳から三十二歳。
前作が「坂竜飛騰」直前の龍馬の姿です。ここからは龍馬を一匹の竜になぞらえたこの言葉の通り、飛騰することになります。
この巻で司馬遼太郎氏が坂本龍馬という若者を書こうと思い立った理由を書いています。
それは、なぜ坂本龍馬が薩長連合を成し得たかということです。
薩長連合は龍馬の独創的な発想ではなく、薩長以外の志士の間では常識となっていました。
それが、龍馬が西郷に「長州が可哀そうではないか」といったひとことで薩長連合が成立しました。奇妙といっていいです。
この一介の土佐浪人からでたこの一言の不思議を書こうとして書き始めたのが「竜馬がゆく」です。
龍馬が西郷に「長州が可哀そうではないか」といった場面は、次のように描かれています。
『「西郷君、もうよいかげんに体面あそびはやめなさい。いや、よい。話しはざっときいた。桂の話しをききながら、わしはなみだが出てどうにもならなんだ」
竜馬は「薩州があとに残って皇家につくすあらば、長州が幕軍の砲火にくずれ去ることも悔いはない」という桂の言葉をつたえ、
「いま桂を旅館に待たせてある。さればすぐこれへよび、薩長連合の締盟をとげていただこう」
竜馬はそれだけを言い、あとは射るように西郷を見つめた。』
薩長連合は土佐人である龍馬であったからこそ出来たという側面もあるでしょう。
この両者の媒介人として適役だったのが土佐人だったからです。
国を出て天下に散った土佐浪士の多くは風雲の中で死にましたが、生き残りは三つの集団に別れています。
一つが竜馬の亀山社中。一つが中岡慎太郎の長州忠勇隊。一つが土方楠左衛門の三条実美護衛組です。
土佐人というのは幕末において常に悲劇に満ちあふれています。それだけに、薩長同盟に煮え切らないのに、龍馬は感情を爆発させます。
『「われわれ土州人は血風惨雨。 」
とまで言って、竜馬は絶句した。死んだ同志たちのことを思って、涙が声を吹き消したのである。
「のなかをくぐって東西に奔走し、身命をかえりみなかった。それは土佐藩のためであったか、ちがうぞ」
ちがう、ということは桂も知っている。土州系志士たちは母藩から何の保護もううけぬばかりかかえって迫害され、あるいは京の路上で死に、あるいは蛤御門、天王山、吉野山、野根山、高知城下の刑場で屍をさらしてきた。かれらが、薩長のような自藩意識で行動したのではないことは、天下が知っている。』
さて、薩長連合でいよいよ倒幕の目処が立ちます。
幕府を倒した後には、新しい政権の樹立が待っていますが、この時点で、龍馬の考えている新政権のあり方と、西郷の考えている新政権のあり方に差違が見られます。
『竜馬の理想は、幕府をたおすということでは西郷と一致している。次の政体は天皇を中心にする、ということでも一致している。しかし西郷の革命像は、天皇を中心とした諸藩主の合議制であった。むろんその下に士農工商という階級がつく、温存される。
竜馬はちがっている。天皇のもとにいっさいの階級を雲散霧消させることであった。大名も消す、公卿も消す、武士も消す、いっさいの日本人を平等にする、ということであった。こういう思想はもっとも尖鋭な勤王志士たちのあいだでもおそらくはまだ受け入れられないであろう。なぜならば西郷は明治なってからでも武士の廃止に反対する薩摩藩士族団にかつぎあげられてついに明治十年の西南戦争をおこし、不幸な死をとげるにいたるのである。』
小説(文庫全8巻)
内容/あらすじ/ネタバレ
元治二年。長州の絵堂で正月早々、千人と二百人の小さな戦争で、内乱が起きた。この戦争の結果が幕末日本史を大きく回転させることになる。
長州藩の俗論党政府が奇兵隊などに対して解散を命じたことから起きた。奇兵隊軍艦山形狂介(有朋)は、俗論党軍を急襲し、一か八かの勝負を決めようとした。これが見事に成功した。
萩の政府は敗戦に驚いた。藩主がふたたび勤王党に味方し、俗論党の軍隊をことごとく解散させた。クーデターは完全に成功した。
二月に入り、大坂の薩摩藩邸に珍客が乗り込んできた。中岡慎太郎と土方楠左衛門だ。五卿筆頭の三条実美が京の情勢を探るために二人を派遣したのだ。
中岡は竜馬に対して、何故座していているのかと迫った。今幕府を倒すほどの気概を持っているのは長州藩しかなく、その長州藩がこの度のことで力を失った。われわれ土佐人は、長州の気概が回復するように必死になって奔走している。長州を再び立ち上がらせることが倒幕の近道である。
だが、竜馬は実力を養った上で倒幕を論ずるべきであり、まわりくどいようだが、艦隊をつくるほかないと思っていた。
翌日、中岡らは京を目指して大坂を離れた。
西郷吉之助がもどってきた。
幕府が再び力を取り戻そうとしており、幕府と大名の関係を元に戻そうと画策しているらしい。竜馬は黙ってこれを聞き、どうやら薩摩藩の矛先は長州よりも幕府にむけられ始めていると感じた。西郷は幕府が再び長州を征伐するつもりらしいと言った。
そこで竜馬は珍しく論陣を張った。
この頃の幕府は日本人の気が付かぬ間に突如として強大なものになりつつあった。小笠原長行、小栗忠順、栗本鋤雲らの一派がフランス公使ロッシュと親密になり、フランス帝国から特別援助を受けることになっていたのだ。
竜馬は薩摩に行くことになった。
薩摩は薩英戦争敗北後、驚嘆すべき勢いで成長している。この藩と長州が手を握ればという発想が竜馬の胸中に光芒をおびて去来した。
竜馬の宿所は家老小松帯刀の屋敷になった。ここで藩の要路の者達に会い、最大の目的である海軍会社建設のことを説いた。
この頃の貿易は幕府のみにうまみがあるもので、諸藩の幕府の貿易独占態度への反感などがある。
竜馬の説得は功を奏し、薩摩藩が大株主に入れることに成功した。あと、長州藩を入れたいと思った。
竜馬は長崎に戻り、亀山に団体を置くことにした。名はとりあえず亀山社中である。
ここの実務はしばらくの間、沢村惣之丞、菅野覚兵衛、陸奥陽之助にまかせることにした。薩摩藩小松帯刀との交渉、ワイル・ウエフ号の購入などを一同に任せた。
当の竜馬は長州へ行こうと考えていた。
いきなり長州へは行かず、太宰府によって工作した。流亡の公卿とはいえ五卿の発言は重かった。これを口説いて、長州人を口説こうと考えたのだ。
ここの五卿を守護しているのは土佐系である。
国を出て天下に散った土佐浪士の多くは風雲の中で死んだが、生き残りは三つの集団に別れている。一つが竜馬の亀山社中。一つが中岡慎太郎の長州忠勇隊。一つが土方楠左衛門の三条実美護衛組である。
このそれぞれに特色があり、これが一つの目的のために機能的に動けば、倒幕活動にはうってつけと言うべきものだった。
竜馬は薩長連合をなすのは媒介人には土佐人しかいないと思っていた。
幕府は第二次長州征伐を三月末に宣言している。フランスの援助もあり強気である。だが、薩摩藩などは私闘であるとして積極的に反対している。
桂小五郎が竜馬に会いたいといってきている。桂と一別して以来何年になるだろうか。
桂は竜馬に会うなり、薩摩は信用できないと言った。竜馬の言う薩長連合のことである。
竜馬は薩長連合という大陰謀にかけまわっているのは自分だけだと思っていた。だが、もう一つのグループがいた。中岡慎太郎と土方楠左衛門である。
中岡は京にいる間に、どうしても薩長連合をやらねばならぬと考えていた。中岡は八方奔走することになり、土方と手分けして説得工作を始めようとしていたのだ。
中岡は薩摩に行って西郷を引っ張り出そうとしていた。成否は西郷が長州にやってくるかによって決まる。
中岡慎太郎が姿をあらわし、失敗じゃった、とおり崩れるように座った。西郷は来なかった。
これを聞いた桂は激怒した。
竜馬はここで語り出した。長州は幕府と戦うことになるだろう。だが、装備が劣る長州は幕府に負けるだろう。ここで最新の武器などを手に入れれば勝機が出てくる。その武器を薩摩藩の名目で買えばいいと言いだした。
竜馬は桂と別れ、働き者の行商人のように働き始めた。下関から長崎へ軍艦を一隻買い入れる指示を出し、薩摩藩の小松帯刀にも手紙を出した。
竜馬は利害問題から薩長の中を考えた。どこかで利害の一致する所はないか。それが兵器購入の一件である。長州も喜び、薩摩も痛痒を感じない。そこから糸を結ばせた。
中岡などが経てきた志士的論理からは思いもよらぬ発想である。
兵器購入の件について、長州は井上聞多と伊藤俊輔の二人を長崎へ送った。この二人の亀山社中での相手となったのが近藤長次郎であった。
一行がたずねたのは英人トーマス・ブレーク・グラバーであった。この商談の進行に近藤長次郎はすさまじい働きをした。
竜馬は京の錦小路の薩摩藩邸を訪ねた。西郷と桂をそれぞれ薩長の代表として京で秘密に会同させるためである。
幕府は竜馬の入洛を探知していた。この竜馬に長州藩は三吉慎蔵という槍の名人を護衛につけた。
慶応二年正月。時勢は勤王派にとって最悪の段階にある。将軍家茂は大坂城にあり、第二次長州征伐の準備がととのえられていた。
竜馬は伏見の寺田屋に泊まった。
竜馬たちがあれだけお膳立てした桂と西郷の会談が進まない。
桂小五郎はとうとう長州へ帰ると言い出した。竜馬は、かつて見せたことのない凄まじい目つきで、わけを聞こうといった。
そして桂は、竜馬の提唱する薩長連合がならなければ、長州は滅ぶだろうと言った。だが、薩摩が皇家のそばで尽くしている限り、天下のためには幸いである。いま交渉を打ち切って幕府の大軍を迎えて滅ぶとも悔いはない。
竜馬は、血相を変えて薩摩藩邸に飛び込んだ。
慶応二年正月二十一日。薩長連合が成立した。
薩長連合が上手くいった竜馬と三吉慎蔵が寺田屋でくつろいでいる中、伏見奉行所が狙っていた。
これに最初に気がついたのが、おりょうだった。
襲われたということを知った西郷は激怒して、中村半次郎に兵を用意せいと言った。伏見奉行を討つというのだ。
西郷は竜馬を薩摩への湯治旅行に誘った。竜馬を一時風雲から隔離したいと考えたのだ。
この頃、竜馬は亀山社中の社名を「海援隊」にしようと思っていた。
だが、竜馬は西郷の薦めに従って、おりょうと共に薩摩に湯治旅行に行った。日本で最初の新婚旅行といわれる旅行であった。
鹿児島にいる間にワイル・エウフ号が鹿児島に向かっているという知らせを受けた。だが、これが沈没した。池内蔵太らがこれによって死んだ。
竜馬が長崎に戻ってきた。寺田屋での遭難、ユニオン号の船籍騒動、ワイル・エウフ号の沈没と同志の死、薩長連合の樹立など、亀山社中は商社どころではなかった。むしろ騒動屋の観がある。
そして帰ってきた竜馬は近藤長次郎の一件を話させた。長次郎が竜馬の留守中に切腹して果てたのだ。
竜馬はユニオン号で馬関(下関)に向かった。馬関では海戦になるだろう。
下関には長州藩の陸海軍総指揮所がある。海軍は高杉晋作の担当である。政治面は桂小五郎が受け持っていた。
竜馬が下関に着いた時には、すでに幕府と長州の間の戦端が開かれていた。
本書について
司馬遼太郎
竜馬がゆく6
文春文庫 約四三五頁
江戸幕末
目次
戦雲
薩摩行
希望
三都往来
秘密同盟
伏見寺田屋
霧島山
碧い海
海戦
登場人物
坂本竜馬
近藤長次郎
陸奥陽之助宗光…伊達小次郎
菅野覚兵衛
沢村惣之丞
高松太郎…竜馬の甥
池内蔵太
新宮馬之助
勝海舟
大久保忠寛(一翁)
桂小五郎…長州藩士
高杉晋作…長州藩士
井上聞多
伊藤俊輔
山形狂介(有朋)
三吉慎蔵
中岡慎太郎
土方楠左衛門
山本覚馬
西郷吉之助
大久保一蔵
小松帯刀
中村半次郎…後の桐野利秋
吉井幸輔
大山弥助
島津久光
トーマス・ブレーク・グラバー
小曽根英四郎
お元…長崎の妓
山内容堂
乾退助…後の板垣退助
後藤象二郎
福岡田鶴
お登勢…寺田屋の女将
おりょう(お竜)…楢崎将作の娘
峰吉少年
寝待ノ藤兵衛…泥棒
千葉貞吉
千葉重太郎…貞吉の息子
千葉さな子…貞吉の娘
坂本乙女…竜馬の姉、坂本家三女
坂本権平…竜馬の兄、坂本家嫡男
春猪…龍馬の姪、権平の娘